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「石岡君、おしゃれなバーで待ち合わせをする」4 優木麥 |
| 吸血鬼、透明人間、新撰組隊士の登場までは驚かされたが、劇団員によるシャレだと判明している。しかし、いま登場した刑事だけは本物らしい。 「説明します」 刑事は落ち着いている。店内にいた5人はスツールに腰かけている。店長の井原、吸血鬼役の男、透明人間役の男、新撰組隊士役の菊地、そして私の5人だ。 「この近所の路上で30万円相当の品物が引ったくりを受けたんです。すぐに私は追いかけたのですが、このビルのフロアまで追い詰めました」 「しかし、それだけではここに入ったとは……」 「いえ、このフロアではこの店以外に入れる場所はありません。他の場所は確認済みです」 気まずい沈黙が訪れていた。現実的な話をすれば、もし刑事の考え通りだとすると、あとから入ってきた3人の劇団員の誰かが引ったくり犯だということになる。 「盗まれた品物を処分している時間もなかったはずですから、この店の中に隠されているはずです」 先ほどから刑事は油断なく店内に目を光らせている。 「井原さん。怪しい人物に心当たりはないですか」 刑事の質問に井原は首を捻る。 「皆さん、常連なので……」 強いて言えば私は一見の客だが、犯人でないことは自分自身でわかっている。またアリバイも成立していると言えよう。 「いわれなき容疑で尋問を受けるのはおかしいでしょう」 吸血鬼が牙を剥き出しにして抗議した。 「その扮装を取りたまえ」 刑事はたじろがない。 「君も包帯を取って素顔を見せなさい」 「いや、でも、まだ舞台のカーテンコールがあるので……」 透明人間の表情は変わっているのだろうか。いたたまれなくなった私は、カウンターの中の棚に目をやっていたが、ふと閃くものがある。 「ちょっと刑事さん、いいですか」 「何でしょう」 「犯人がわかりました」 私の言葉にその場の全員が驚いた表情を見せる。内心では少し誇らしかった。何しろ今夜はずっと驚かされ続けだったのだ。一矢報いなければ気が済まない。普段の私なら、絶対に思わないことなのだが、やはり酔っているらしい。 ● 「犯人がわかったと言うことは、この中にいる引ったくり犯を指摘できるということですか?」 刑事が確認するように訊いてきた。私はうなずく。 「ええ。多分、間違いないでしょう」 アルコールの助けを借りて、自身満々の発言である。口に出してから恥かしくなる。 「では、伺います。犯人は誰です」 刑事の質問に私は即答した。 「望月さんです」 その言葉を聞いて、スツールから立ち上がった人物がいる。吸血鬼役の男だった。やはり、私の推理は正しかったようだ。 「何を言い出すんだ。なぜオレが犯人なんだよ」 その様子では、素顔を真っ赤にして憤慨しているのだろうが、ドラキュラの化粧で青白いため、顔色は変わらない。私は冷静に刑事に尋ねる。 「盗まれたものは、お酒のボトルですよね?」 「そ、そうだが……」 「あそこにあるボトルじゃないですか?」 私が指差したのは、店内の棚の一角だ。そこには、望月と書かれたプレートを下げた封切られていないボトルがあった。 「あ、あれだ。あのボトル。限定のシングルカスク物で30万円は下らない」 「望月さん……」 井原が戸惑った目で望月を見つめている。望月は私を睨みながら言った。 「なぜ、わかった。オレの本名も知らなかったはずなのに……」 私は立ち上がると、カウンターの中に入った。一同の視線が私に集中している。 「実はぼくは、この店に来たのが初めてなんです。だから、シングルモルトの品揃えが売りの店だと知りませんでした。それで、最初に注文したのはアーリータイムスです」 それも好きだというわけではなく、ハードボイルドの主人公が愛好していたから知っていただけである。 「そのとき、井原さんはこう言われた。『ウチはアーリータイムスは置いてないんですけど……』と。でも、これを見てください」 私は、盗品のあった棚の一角を指差す。そこにはアーリータイムスが置いてある。 「他にもワイルドターキー、ジャックダニエルなどバーボンウイスキーが揃いぶみです。ぼくはアレッと思ったんです。バーボンがないと言ったのに、こんなにあるじゃないかって。でも、ご覧のようにボトルの首には全部プレートがかかっている。つまり、ここにあるボトルはすべてお客さんのキープなんです」 私は一息入れてチェイサーの水を呷る。 「なぜ店長が『置いてない』と言ったバーボンのボトルがここにあるのか。最初はサービスかと思いました。飲食店では常連だけに出す"裏メニュー"があると聞きますからね。しかし、それもおかしな話です。いくら何でもシングルモルトを売りにしているバーで、バーボンウイスキーを裏メニューにするのは違和感がありすぎる。日本そば屋の裏メニューがウドンみたいなものです。しかも、ボトルキープの場合、何回かはそのお酒を飲むわけですから、シングルモルトにこだわる井原さんのポリシーからしてもありえない」 私の言葉に井原は微笑んだ。 「では、このバーボンのボトルの群れは何なのか。ズバリ、持込ボトルというヤツです。常連が一定の持ち込み料を店に支払うことで置いてもらう自前のボトル。それなら、バーボンが並ぶのはわかります。この店にはないわけですから」 井原がうなずいてくれた。 「そこまで考えたとき、この望月さんのプレートがかかっているボトルに目がいきました。なんで、持ち込みボトルの棚に、封を切っていないボトルが置いてあるのか」 私の言葉に望月の目が鋭くなる。 「だっておかしいでしょう。店が提供しているボトルなら、前のボトルをちょうど飲みきった際に『新しいボトル入れといて』となって、封を切ってないボトルの首にプレートが下がっていることはありえます。でも、持ち込みボトルでその状態になることは考えにくい。そして、井原さんに聞いた話ですが、プレミアム性の高いお酒は数十万円の価格もありえるという。そこでもしかしたらと思いました」 望月がうなるように噛み付いてきた。 「だが、あんたはオレを望月だとわかっていた。名前を言ってなかったのに。この透明人間役の男だとは考えなかったのか」 「ええ。だって、カウンターの中に入ったのは、吸血鬼に扮したあなたのほうですからね。ぼくがトイレから帰ってきたとき、お客に背中を向けて棚でゴソゴソしていた。あれは、ぼくを脅かす意味もあったけれど、それ以上に引ったくって盗んできたボトルを棚に隠す目的もあったんですね。木は森に隠せ、ボトルはバーに隠せ、です」 「見事だ。ご協力を感謝します」 刑事はドラキュラの扮装の望月を拘束する。私は言うべきことを言っておくことにした。今夜の私の精神状態は高ぶっているのだ。 「これが、あと1本の代わりにはなりませんか?」 立ち去ろうとしていた刑事は立ち止まる。 「そのプレミアムボトル、刑事さんが手にしていたんでしょう。井原さんに渡すためではなかったんですか?」 「石岡先生、一体なにを言い出すんですか?」 井原は困惑した表情で言う。 「井原さん、あなたがおつきあいしている方のお父さんは、この刑事さんです」 「えっ……?」 「公務員をなさっていますしね」 私の言葉に刑事がゆっくりと振り返った。先ほどとは違い、温和で人の良さそうな笑顔である。 「あと1本とは、素晴らしいね。井原さん」 「あ、いえ……その…」 井原に娘と結婚する条件として3カ月間で100本のボトルを空にすることを出していた刑事は腕時計を見る。 「12時まであと1時間ある。この犯人を署に送ってくる間に、これでも飲んでてくれ」 刑事はカウンターにプレミアムボトルを置いた。 「あと1本を空にしろ、ということでしょうか?」 心配そうな井原に、刑事は豪快に笑った。 「まさか、結婚の前祝をやってくれということだ」 私の顔もほころんだ。そのとき、ケータイに里美から電話が入る。 「ゴメンね石岡先生。あと5分で着くから。退屈してない?」 「うん。退屈だけはしてなかったよ」 私はそう確信をもって言えた。すでにお酒も一生分飲んだ気がする。 |
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