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「石岡君、コンビニ店長になる」1 優木麥 |
| 「それでは石岡先生、一日店長よろしくお願いしますよ」 大友オーナーの言葉を聞いた私は自分の耳を疑った。 「えっ、てん…店長…ですか」 「当たり前でしょう。先生にお手伝いいただくなら、店長ですよ」 大友はそういうと℃рェ一日店長です″と大書されたタスキを恭しく私に掛けた。ここは馬車道の店からは離れた位置にあるコンビニ「デイリーY」。旧知の大友オーナーからのたっての頼みにより、私は一日だけコンビニの仕事を手伝うことになった。しかし、その時点では、まさか自分が店長などとは夢にも思わず、店員のつもりだったのだ。 「それでは申し訳ありませんが、我々夫婦は失礼いたします。久しぶりに女房孝行させてもらいますわ。仕事については、息子の勝一が面倒見ますので」 大友オーナー夫妻が立ち去っていく。あとに残ったのは、彼らの子供である大学生の勝一と、私だ。 「石岡先生と一緒に仕事が出来るなんて感動だなあ。夢みたいだ」 「いえいえ、こちらこそ、よろしくお願いします」 勝一が素直そうな好青年で助かった。ただでさえ仕事をこなす自信がない私が怖い相手と組んだりしたら、生きた心地がしない。 「では、レジ作業からやりましょう。僕が袋に詰めるので、先生は会計をお願いします」 私はカウンターの中に入った。ついにコンビニの仕事を始めるのだ。いつも弁当を買っているときは、自分がこちら側に立つなんて考えたこともなかった。 「い、いっ…いらっしゃいませ」 少し声が震えてしまう。接客の仕事をしたことがないので、慣れるまでは大変かもしれない。若い女性客がカウンターに十袋ほどの飴を置く。 「頑張ってくださいね、一日店長さん」 女性が微笑みかけてくれた。一瞬なぜわかったのかと不審に思ったが、まだ℃рェ一日店長です″のタスキをしていたのだ。恥ずかしかったが、励ましてくれた人の目の前でそれを外すわけにもいかない。 「ありがとうございます」 礼を言って彼女の置いた商品を見た。リンリンミント飴という商品だ。 「温めますか?」 昨夜、必死で読んだマニュアル通りの台詞をいった。次の瞬間、女性は破顔する。 「ハハハ、いえ結構です」 「箸か、スプーンはお付けしますか?」 私はコンビニの仕事の流れを間違えないように一生懸命である。正面の女性はもちろん隣で商品を袋に入れている勝一も大爆笑である。 「ハイ、大丈夫です」 「そうですか。どうもありがとうございました」 精一杯の笑顔で私は商品を女性に差し出した。彼女と勝一の二人はお腹を抱えて笑っている。 「先生、まだ会計してませんよ」 「えっ、そうか。ゴメンなさい」 私は赤面する。どうも緊張しているようだ。 「そのバーコードスキャナで読み取るんです」 小声で勝一が教えてくれる。たしかに私自身が客としてコンビニで買ったときも、何百回と見てきた風景だ。でも、自分がやるとなるとまた勝手が違う。商品のバーコードを読み取るバーコードスキャナを持つ私の手は、先ほどから感電したかのように震えていた。飴の袋のバーコードにバーコードスキャナを当てる。これで商品の情報をスキャナが瞬時に読み取り、ピッと小気味よい電子音がするはずだが、無反応。ちょっと離して再び挑戦するが、結果は変わらない。 「あれ、おかしいな」 何度試みてもウンともスンとも言わない。私の気持ちは焦るばかりだ。 「うまく読み取らないときは、スキャナを軽く振ってみてください」 勝一の言葉通りに前後に振ってからバーコードに当てた。ピッ。商品は読み取られたようだ。しかし、ようやくひとつだ。あと九個も入力しなければならない。私が二つ目の飴を手にしたとき…。 「大丈夫ですよ店長。同じ商品ならひとつ読ませたら、あとはここに個数分の数字を入力すれば…」 勝一がPOSに十個分の数字を入力した。本当に彼がいて助かった。 「ありがとうございました」 安心した私は両手で商品の袋を女性に差し出す 。 「アハハ、まだお金を支払ってませんよ」 屈託なく女性は笑ってくれているが、こちらは冷や汗が止まらない。そうこうして、なんとか一人分の会計が終わった。 「石岡先生と仕事をしていると楽しいですね」 勝一が笑顔でいってくれた。その優しい言葉に甘えず、私は今度の会計こそ頑張ろうと気合を入れる。次の客は、五歳くらいの男の子と母親の親子だった。 「いらっしゃいませ」 最初よりは大きな声を出せたと思う。 「あらっ、素敵な店長さんね。通っちゃおうかしら」 母親がパック入りの卵やジュースのペットボトル、ミートソーススパゲッティ、ハムなどを入れたカゴを置く。 「一日店長さんて楽しそうね。お笑い番組かなにか?」 「いえ、そんな…」 私は自分の仕事に集中するのがやっとで、気の利いた言葉など返せない。 「スパゲッティは温めてくださいね」 「ハイ」 「ソフトクリームちょうだい」 子供がカウンターから顔を覗かせて言う。 「ハイ、ちょっと待っててね」 複数のことを同時に言われるとパニックになりがちなので、落ち着いてひとつひとつ片付けなくてはと自分に言い聞かせる。まずスパゲッティの加熱からだ。電子レンジは適正な時間と温度はあらかじめ設定してあるため、スイッチを入れるだけだ。 「ソフトクリームまだ?」 「ゴメンね。もう少しだよ」 私は原料のカップをソフトクリームフリーザー(製造機)にセットする。片手でコーンを持った私は、アイスクリームを受けられるようにセットしたまま、ソフトクリームのフリーザーのスイッチをONにする。 「あ、そうだ。あなたはアレの人じゃないの?」 突然、母親が大きな声を出したので、ビックリした私は振り向いてしまう。 「『ダイエット・ジュリエット』のシリーズに出てなかったっけ?」 一応そうなのだが、その件に関しては何となく肯定も否定もしたくない。 「いえ、その…」 「ああ、アイスがすごい」 子供が指差す先では、私が片手で持つコーンに次から次へアイスクリームが重ねられている。アイスが軋みを立てそうなほど山盛りに載ったソフトクリームは、かなり重い。 「ハイ、サービスだよ。持てるかなあ」 「ありがとう」 子供が笑顔で受け取ってくれた。 「まあ、いいんですか。良かったね、マー君」 ようやく会計をし終えた母親は袋の中を見て不審そうに言う。 「あらっ、スパゲッティがあるわねえ」 「あれ…?」 確かに目の前で母親はミートソースのスパゲッティを手にしている。では、私は何を温めたのだろう。猛烈に嫌な予感がしてきた。 「それから卵が入ってないんだけど…」 そうだ。カゴの中には六個入りの玉子パックが入っていた。ということは、まさか…。私が恐る恐る電子レンジの方向を見たときである。 バーン! 銃撃されたかと思うほどの破裂音が店内に響き渡った。生卵を電子レンジで加熱すると小型爆弾になる。私は自らの失敗によってひとつの教訓と、ささやかな知識を得た。二組目の客でこの状態では、ちょっと先が思いやられる。それにしても、昨日までの私は、まさか自分自身がコンビニの店長になろうなどと夢想だにしなかった。 |
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