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「石岡君、ゴルフコンペに参加する」4 優木麥 |
| プロゴルファーと一騎討ち。それも並みのプロではない。世界で戦うトップ中のプロであるガリバー・ガッツ。まさか、そんな相手に勝たなければならないのか。そう考えたら私はめまいがして倒れそうになる。 「全米オープン優勝、全英オープン優勝、世界ゴルフ選手権優勝、史上最年少で……」 「もういいです。ありがとう」 私はこめかみを指で揉みほぐしながら、キャディの石川の言葉を遮った。いくらガッツの凄さを聞いても関係ない。たとえるなら、海に流れ込んでいる川の名前をすべて聞く必要がないのに似ている。ガッツが海なら、私はコップ一杯の水だ。最初からその水量を比べること自体がナンセンスである。誰がどう見ても、海のほうが圧倒的な水量なのだ。 「石岡先生……すみません」 息も絶え絶えな様子で、西尾がティグラウンドに帰ってきた。体をくの字に折りながらチョコチョコと足を動かしている。他のプレイヤーは自分の苦しみを和らげることに専念することにしたのだろうが、彼だけは放漫社の代表として招待したガッツをもてなさなければならない。 「大丈夫ですか。西尾さん」 「ええ、何かアタッてしまったんでしょう」 彼の妻達の策略で朝食に下剤を入れられたなどと私は真相を明かせない。 「私を含め参加者は、とてもゴルフどころではありません。とはいえ、ガリバー・ガッツ選手をお招きしてコンペ自体を中止にするのも体裁が悪い。申し訳ありませんが、石岡先生だけでもガッツ選手と試合をしてください」 「えっ、いや……でも…」 これは全く予想外の事態だった。ゴルフに明け暮れる夫連中をこらしめるという大義名分の下、このコンペで優勝を委託された私だが、西尾達が下痢に苦しんでいる以上、当初の目的は達せられたのではないか。 「私からもお願いします。石岡先生」 キャディの石川が私の耳元でささやく。 「でも、もう西尾さんや豪島さんはゴルフができないわけだし、ぼくがゴルフをする意味はあまりないのでは……」 「いいえ、是非勝ってください石岡先生」 「はあ…?」 あまりにも非現実的な言葉に私は一瞬、自分の耳を疑う。 「相手は、トッププロゴルファーですよ。勝ても何も……」 「考えてみてください。これは当初の計画よりもさらに効果的に西尾さんたちをやっつけるいいチャンスなんです」 石川の目がらんらんと光っている。 「世界に冠たるトップゴルファーに、ビギナーの石岡先生が勝ったらどうなりますか。ゴルフという競技自体が根底から揺らぐでしょう。少なくても、週に3回も打ちっぱなしに通い、毎週末をゴルフ場で過ごしている西尾さんたちは徹底的に打ちのめされるはずです」 「まあ、そうだとしても……」 「これはもう勝つしかないですよ」 「勝負にすらならないです。火を見るより明らかでしょう」 「大丈夫。ゴルフにはハンディというルールがあります」 石川が説明する。その道10年というベテランと、にわかゴルファーが一緒にプレイできるように、技量に応じてスコアを調整するルールがあるという。 「つまり、プロのガッツ選手と、ビギナーの石岡先生が戦った場合、ガッツ選手のスコアには試合終了の計算時にあらかじめ決められたスコアを足すんです」 「うーん、よくわからないんですが……」 「通常3打をパーとするショートホールの場合、初心者ならそれより1打多い4打のボギーを基準として考えるべきです。それで石岡さんが5打のダブルボギーだったとして、ガッツ選手が2打で入れてバーディを取ったとします。でも、ハンディを3つけていれば、同じ5打で入れたのと同じで同点とみなされるんです」 「はあ、つまりハンディによっては勝つこともできるわけですね」 「もちろんですとも。今回は特別にワンホールだけの勝負にして、ハンディをもらって奇跡を信じましょう」 「ぼくを普通人と同じ技量で考えないでください」 「それなら、ハンディは7もらいましょうか」 石川ははしゃいでいた。 ● 1ホール勝負のマッチプレーで、ハンディ7。私はあとで知ったのだが、こんな取り決めは、金融に置き換えるなら日率9割のような暴利らしい。本来3打で入るショートコースで、ガッツは何打で入れようと7をプラスされる。ということは、2打で入れたとしても、私が10打しない限り、勝ちはないのだ。 「オーケー、フェアなプレーを心がけてベストを尽くしましょう」 ガッツの返事を石川が通訳したとき、私は口をあんぐりと開けそうになった。いくら世界クラスのプロゴルファーでも、ルールがメチャクチャでは勝負以前の問題だ。だから、こんなルールを持ちかけたとき、ガッツは受けるわけがないと思っていた。もしかしたら、激怒してその場を去るかもしれないとヒヤヒヤしていたのだ。 「やりましたね石岡先生。ガッツさんは条件を呑みましたよ」 「まさか、そんな……」 ガッツと握手する私の笑顔は引きつっている。無理難題を受けてもらった以上、私はやるしかない。 「では、変則的なルールですが、ガリバー・ガッツ選手と、石岡和己さんの1ホール限定のマッチプレーを行ないます」 ジャンケンの結果、ガッツが先に打つことになった。ティに置かれたボールに向かって彼がクラブを構える。その瞬間、ガッツの周囲に透明のカーテンがサーッと降りたように見えた。彼の集中力が私のいる場所の空気までピーンと張り詰めさせたのだ。ガッツはゴルフを振り上げて下ろす。ゴルフの門外漢である私が見ても、美しいと思えるショットだった。ボールは当たり前のようにグリーンに載った。 「ナイスショット!」 あちこちから拍手が沸きあがる。当然、私も手を叩いていた。 「さあ石岡さんの番です、と言っています」 石川に促されて、私もアドレスに入った。どっと汗が吹き出てくる。普通のプレイヤーなら3打で入れるコースを、私は何打かかるのだろうか。なにしろボールを打つのは、これが初めてである。考えていても仕方がない。私は必死にクラブを振り上げると、練習場でやったようにボールめがけて振り下ろす。手応えがなかった。やはりゴルフボールは小さいから、打ったときに爽快感がないのか。 「空振りです石岡先生」 石川の声で、私はあわてて真下を見る。ボールは先ほどとまったく変わらぬ位置にあった。 「ちなみに、今の空振りも1打に数えられますからね」 被害妄想かもしれないが、石川の言葉が冷たく感じられた。その後、ガッツが予想通りに2打でホールに入れる間に、私は7打でようやくグリーンに載せ、ホールの近くまで辿り着いた。こんなことなら、遠慮せずにハンディを10ぐらいもらっておけばよかった。 「石岡先生、わかってますよね。次で入れれば勝ちですよ」 石川の声が弾んでいる。ハンディ7のガッツは2打で入れたが9である。私は次で入れれば8であり、1打差でスコア上は勝ちなのだ。ホールまでの距離は、もうあと10cmほど。よほどのことがない限り、パットインできるだろう。しかし、その“よほどのこと”が、日常的に起こるのが私の人生である。そのうえ、絶対に外せないというプレッシャーに私ほど弱い人間もいない。吹きでる汗は目に入り、パターを持つ手は小刻みに震えている。 「石岡先生、ガッツ選手から提案です」 アドレスに入ろうとした私に石川が話しかけてきた。満面の笑顔である。何が彼女を喜ばせたのだろう。 「OKパットにします、とのことです」 「えっ、何ですか」 「もう石岡先生が打たなくても、それだけ近いボールだからパットインしたとみなしますということです。つまり、石岡先生の勝ちなんですよ。やりましたね」 石岡が私の手を握って飛び跳ねている。 「石川さん、ガッツ選手に通訳してください」 「はい、何でしょう」 「ありがたいんですが、OKパットではなく、ぼくは勝負をしますと」 「何を言ってるんです。石岡先生、これは……」 「お願いします。通訳してください」 私は少し大きな声を出した。石川が渋々、ガッツに伝えに行く。やはり、最後まで勝負をしなければいけないだろうと私は思っていた。西尾を始めとして参加者に下剤を飲ませ、ガッツに失礼といえるハンディの条件を呑ませて、ようやく辿り着いたこのパットなのだ。私の手で勝負に決着をつけるべきだと考えていた。それに、私は少々だが、パットには自信があった。なにしろ、昨年の忘年会でパッティングゲームに優勝しているのだ。あのときは2m以上あった。いまはたったの10cmである。石川がガッツが承諾したと伝えてきた。 「石岡さんのことを、さすがサムライだと言っていました」 「ありがとう。ゴメンね、石川さん。我がままかもしれないけど、ぼくは打ちます」 私はほんの少しの力でパターを振る。ボールはまっすぐホールインするはずだった。ところが、芝の流れで微妙にずれ、カップの縁で止まってしまった。 「あああー、だから言わんこっちゃない」 石川がため息をつく。私にとっても残念だった。 「落ち着いて打って、とガッツ選手が言っています」 もはやなげやりな声で石川が言った。私は勝負にケリをつけるために、パターを振る。今度はカップに収まった。結局、私は9打、ガッツもハンディ7を足して9。 「ドローでいいのかな」 私の言葉に、ガッツは笑顔で首を横に振る。そして、石川になにやら話した。 「そんな、本当に…?」 「どうしたの。ガッツ選手は何て言ってるんですか」 「それが自分の負けだって…」 「えっ……」 「ゴルフでは、プレー中に自分のキャディ以外からアドバイスを受けてはいけないルールがあります。でも、私は先ほど『落ち着いて打って』と石岡さんにアドバイスしてしまいました。これは2打のペナルティーです、と言っています」 私の目から涙が出てきた。言うまでもなく、ガッツがそんなゴルフの基本ルールを忘れるわけがない。武士の情けをかけてくれたのだ。私は彼の手を握って、ひたすら「サンキュー」とくり返した。 「石岡先生、どうでしたか」 なんと這うようにして西尾が私たちの側に来る。私は涙を拭いて胸を張った。 「西尾さんは、ぼくをゴルフに誘ってくれたとき、10球打ってその後、ゴルフをするかしないか決めていいと言いましたよね」 「あ、はい……」 「じゃあ、まだもう少しゴルフをしなければなりません。だって、ぼくはまだ9球しか打ってないですから」 |
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