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「石岡君、護身術を習う」4 優木麥 |
| 私の首が狙われている。目を覆いたい事実だが、受け入れて前に進むしかない。九割安心道の師範である宍戸信玄は、明日の正午までに私の隙をついて一本取ると宣言した。本来なら、私が彼に護身術を習うという主旨だったが、もはや四の五の言っていられる状況ではなくなった。物騒な言い方をすれば、やらなきゃやられるのである。 「能ある鷹は爪を隠す。いやあ、石岡先生の武勇伝を目の当たりにしました」 編集者の沢野は心から感服した様子だ。先ほど中華料理屋の店内で、私は宍戸の最初の襲撃を未然に防いだ。もちろん、偶然に過ぎない。ウェイトレスを呼ぼうとたまたま挙げた手が、宍戸の攻撃とぶつかっただけだ。しかし、そんな説明をするヒマもなく、宍戸は姿をくらまし、沢野は誤解している。 「全然違うんだよ。単なるまぐれなんだから」 もう私は沢野に十回ぐらい説明しているが、彼は聞く耳を持たない。 「謙遜されるお気持ちはわかります。とにかくお見事でした」 私は弁解に疲れ、車窓に目を向けた。早々に中華料理屋を出た私たちは、すぐにタクシーを拾う。普段なら、電車を中心に移動している私も、このときばかりは沢野の提案に従った。いつどこで宍戸の襲撃を受けるかわからない。路上や駅、あるいは電車の車内に身をさらしていることは危険なのだ。 「でも、本心をいえば、このままタクシーで帰宅するのは、ルール違反のような気もしますけどね」 沢野がポツリと言う。とんでもないことを言い出した彼の顔を私は軽く睨む。 「だって、日常生活の場面で暴漢に襲われたときに、どう立ち振る舞うかがこの実戦稽古の目的でしょう。タクシーに乗って、帰宅して、ずっとご自宅に篭るのでは……」 「沢野君。ぼくはまるっきりのシロートなんだ」 私はあらためて言って聞かせる。 「柔道着を着たら、白帯さえもったいなくて、透明な帯にしなきゃいけないと思ってるくらいだよ。とてもじゃないけど、宍戸さんの稽古にはつきあえない。まともにやったら、大怪我をしてしまうから」 それでも、宍戸が私を初心者と認識して、手加減をしてくれるのなら、九割安心道の流儀に従っただろう。ところが、彼は私のことを武芸の達人だと勘違いしている。容赦なき攻撃性を発揮されたら、私などひとたまりもない。 「この方法が一番いいんだよ。誰にとっても」 私は本心からそう信じていた。 ● 「石岡先生、お腹が空きませんか?」 夜の7時を回った頃から、沢野は何度も私に問いかけた。成り行き上、事の次第を見届けるために彼を私の事務所に泊めるのは仕方がない話だ。 「ぼくは大丈夫だから、君は好きにしていいよ」 私はソファに座って週刊誌に目を通す。こんな緊張したときには、とても小説を読む気にはならない。かといってテレビをつけていると、不審な物音を聞き逃すのではないかと不安なのだ。 「お言葉はありがたいですけど、さすがに石岡先生をさしおいて、僕だけ食事を摂るわけにもいきません」 沢野が殊勝なことを言う。 「外で済ませてくればいい。ぼくの視線がなければ大丈夫だろう」 「そういうわけにはいきませんよ。だって、その間に襲撃があったら、僕は現場に居合わせないで終わってしまいます」 沢野の発言の意図は、ジャーナリスト魂なのか、単なる野次馬根性なのか判別がつかない。 「ピザを取りましょう」 沢野の言葉に私は過剰に反応する。 「ダメだよ。他人をここに呼ぶような行為は危険だ」 「大丈夫ですよ。大体、宍戸さんはこの石岡先生の事務所の住所さえ知らないはずです。この空腹のまま、一晩を過ごすほうがよほど危険です」 とても沢野の言葉を額面どおりには受け取れなかったが、私は折れざるをえなかった。 「じゃあ、シーフードとマルガリータのミックスで注文します」 「うん。お願い」 電話で注文を終えた沢野が私の目の前に座る。その目は真剣だった。 「なんだい。怖い顔をして」 「石岡先生、そんなにビクビク怯えられるのは誰のためですか?」 「誰のため?」 「護身術を身につけるのは石岡先生ご自身のためでしょう。それなのに、今回の実戦稽古を台無しにするようなことまで……」 「宍戸さんはぼくのことを勘違いしている。腕が立つと思われて、過激な一撃を食らわされたらたまらないんだよ」 「ですけど、逃げていても始まらないのではないでしょうか」 沢野の言葉がどこまで本心かわからなかった。本当は、単にこのまま進展がなければ、面白みがないので煽っているような気もする。だが、一理あることも事実だ。逃げ回っていても結論は出ない。 「では、君はどうすればいいと考えるの?」 「あえて隙を見せるんです」 沢野はとんでもないことを言い出した。 「そして、一撃を受ける」 「受ける? 宍戸さんの攻撃を?」 「ええ。待ってください石岡先生。そうすれば、この悪夢から解消されるという考え方もできますよ。宍戸さんの気が済むわけですから」 反論しかけた私は思いとどまる。確かにそうかもしれない。私が逃げ、隠れ、防御を固めれば固めるほど宍戸は攻撃を加えられずにフラストレーションが溜まっていく。しかし、彼の望みどおり、私から一本取ることができれば、そこでこの無意味な攻防に終止符が打たれるわけだ。 「やってみる価値があるかなあ」 「絶対そうですよ。それに……」 沢野が話しかけたところでチャイムが鳴った。 「ピザですよ。早いですね。あ、僕が出ます」 立ち上がろうとした私を沢野がおし止めた。 「これぐらいはご馳走させてください」 さっさと彼は玄関に向かう。私は好意に甘えることにした。それにしても、宍戸から食らわされる一撃は、どれぐらいの威力だろう。まさか、本気で打ち込んでくるとは思えないが、私のことを誤解しているため、手加減される保証はない。厄介な問題をしょいこんでしまった。私はため息をつく。 ふと気がついた。ピザを取りに出た沢野がまだ戻ってこない。彼が玄関に向かってからどれぐらいの時間が経ったのだろう。意識していなかったからハッキリとはわからないが、5分間ぐらい過ぎたような気もする。 「まさか……」 私の胸に一点の黒雲が湧き、もくもくと膨れ上がっていく。ドアを開けた先に立っていたのは宅配ピザの店員ではなく、宍戸ではなかったか。沢野を片付けた後、この部屋に入り込み、どこかで私の隙をうかがっているのかもしれない。 「沢野君……」 私はソファからゆっくり立ち上がりながら、彼の名を何度か呼んだ。応答はない。明らかにおかしい。玄関にいるなら聞こえないはずはないからだ。私は震える手でドアを開け、玄関の様子を見る。なんとドアが半分ほど開いていた。玄関には誰もいない。やはり異状が発生している。 「沢野くーん!」 ほとんど私は叫んでいた。しかし、誰からの返事もない。不安はやがて恐怖となって、私の全身を覆い尽くした。沢野の身に何かが起きたことは明白だ。稽古と実戦の境目を失った宍戸が、本物の襲撃者としてその毒牙にかけた可能性が高い。 「助けてくれー!」 私は悲鳴をあげた。このままでは危険だ。半開きになったドアに向かっていた。どこかに身を隠さねば、次に狙われるのは私なのだ。ドアを開けて飛び出した私の耳にパーンというピストルの発射音に似た音が聞こえた。そして、目の前にいくつもの紙テープが舞う。 「メリークリスマス!!」 何人かの男女の声がした。私は頭を覆いかけた両手を下ろす。周囲には知り合いの顔が並んでいる。里美もその中の一人だった。 「石岡先生。メリークリスマス!」 「ど、どういうことなの」 私には事態が把握できていない。 「驚かせてゴメンね。サプライズパーティよ」 本人に開催を内緒にしておいて、いきなり驚かせる形式のパーティのことだ。 「引ったくりに遭って以来、少し落ち込んでたと聞いたので、みんなで慰めようと思いまして……」 笑顔の輪の中に沢野がいた。 「じゃ、じゃあ、あの九割安心道の宍戸さんは……」 「すみません。やりすぎてしまいまして」 私の目の前にサンタの扮装をした“宍戸”が顔を出す。 「紹介します。ウチの雑誌の編集長の宍戸です」 沢野が笑っている。私は安心したら、一気に疲れが出てきた。そしてなぜか笑ってしまった。 「ピザ屋に電話したんじゃなくて、外の里美さん達に連絡したんです」 「手の込んだことを……」 「いいじゃないの。クリスマスなんだから」 里美の言葉に全面的に承服するわけではなかったが、まあいいかと私は思った。 「それじゃあ、クリスマスパーティを始めましょう」 そうだった。パーティはこれから始まるのだ。 |
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