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「石岡君、大相撲に挑戦する」1 優木麥 |
| 五十歳の力士はいるものだろうか。アマチュア相撲にならいるかもしれない。だが、大相撲の世界にはいないだろう。私はどちらの世界にも身を置いていないが、今から大相撲の力士たちと相撲を取らなければならなくなった。姿見に映っている私の姿は、白い廻しひとつのあられもないものだ。いや、もちろん国技である相撲のユニフォームにけちをつけるつもりはない。情けないのは、私の肉体である。生っ白いという表現が正しい肌に、必要最低限の筋肉と、年相応の脂肪が少々……。だから、力士と呼称するのはおこがましい。カラーひよこを猛禽類と呼んだり、グッピーを海のギャングと称するようなものだ。どうも頭が混乱している。もう一度、自分の置かれている状況を整理しておこう。 なぜ、角界の雄が集まっている空元気部屋の力士達と取り組みをするハメになったのか。その遠因は、二週間前に馬車道の自宅で開いた鍋パーティまでさかのぼる。私は鍋料理に目がない。食べるのも、調理するのも、給仕することまで含めて好きである。俗に鍋奉行と呼ばれるタイプの人がいるが、恥ずかしながら私がそれにあてはまるようだ。鍋に対する愛情が強いあまり、セオリーを外れた行為に対して反射的に口を挟んでしまう。他人の仕切りがどうにも合わないと、自分で手を出していく。他のことにはむしろ傍観者の立場をとりたがるのに、鍋料理になるとズイズイと中央に出ていく性分のようだ。そうなると、鍋を囲むという行為にどうしても条件がついてくる。少人数で、ホームパーティ形式。これが鍋奉行がもっとも効果を発揮し、なおかつゲストからもうるさがられない形である。その日は、すりおろしたニンニク入りのつみれを使った味噌ちゃんこ鍋をつくった。私は、野菜がクタクタになるまで煮込むことはしない。鍋料理の場合、白菜やもやしでも歯応えがあるくらいの熱の通し方が素材を活かす食べ方だと信じている。 「おナベするときの石岡先生は、本当に別人よねー」 里美の言い方は感心しているのか、冷やかしているのかわからない。 「でも美味しい。今日は来てよかった。これは何という鍋ですか?」 「名前はないですよ。オリジナルです」 「じゃあ、石狩鍋があるから、石岡鍋でいいですね」 「そんな大したものじゃないですけど」 桐生美津子が旺盛にお代わりしてくれる。彼女は里美の友達で、女性向けのグルメ雑誌の編集者だという。私としても、出した料理に「美味しい」とくり返してもらえば、自然と熱が入る。三番鍋までつくって、そのうえデザートに中華街からテイクアウトしてきた杏仁豆腐で締めた。 「ありがとうございます。私はずっとアメリカに留学していて、最近帰ってきたばかりなので、こういう鍋料理って飢えていました」 「それはよかったです」 「美津子はメトロポリタン大学で日本文化を専攻していたのよ」 「石岡先生、もしこのお鍋を食べたいという人がいたらどうしますか?」 「ぼくでよければ出張してお作りしますよ」 調子に乗った私は、他愛ない話で笑っていた。つつがないやりとりを交わせたいい夜だった。ところが状況が一変したのは、それから十日後だ。やけにテンションの高い美津子から電話がかかってきた。 「石岡先生、こないだの企画が通りましたよ」 「へっ…何でしたっけ」 私の戸惑いなどお構いなく、美津子は果てしなく盛り上がっていく。 「編集長も一発OK。石岡先生は女性読者に受けがいいですし、今流行りの料理対決のテーマなら文句ナシですからね」 「はあ……」 「鍋で勝負するなら、やっぱりちゃんこ鍋でしょう。大相撲協会は取材許可が厳しいから、正直懸念してたんですけど、先生、喜んでください。あの横綱"休火山"関のいる空元気部屋が企画に応じてくれました」 「いや、何の話でしょうか」 「あらやだ私ったらタイトルをお教えしてませんでしたね。悩んだんですけど…『鍋奉行いしおか越前守の人生3番鍋』。きゃっ恥ずかしい。でも、でも自分としては気に入っているんです」 そこはかとなく事情が伝わってきたが、とても私のテンションの上がる話ではない。 「一応申し上げますとー、石岡先生の苗字と、江戸の名奉行、大岡越前守を掛けちゃいました」 「それは、まあいいんですけど…」 「あ、先生。まるでタイトルはどうでもいいみたいじゃないですか。ひどーい」 「いえ、どうでもよくはないですが…」 「でしょう? それから取材は金曜日の朝六時に両国なので、前夜から錦糸町にホテルを予約しておきました。横浜からでは時間が早すぎますものね」 「は、はあ……」 「FAXでいただいた『石岡鍋』のレシピに従って、食材はご用意しておきますね」 「ええ、その…よろしくお願いします」 目の前にはたった一つのトビラしかない以上、どんなに不本意でもそこを開けるしかないのである。 自分の思考が霧に包まれたまま、空元気部屋に行く当日の朝を迎えた。せっかく用意してもらったホテルだが、前夜はまるで眠れなかった。迎えにきたタクシーに乗り込むと、車内では美津子が山ほどの食材を抱えて座っていた。これでもカメラマンと手分けして運んでいるらしい。 「先生、五十人前の鍋の食材って想像つきますか?」 美津子は朝から異様に高揚している。 「うーん。ぼくの場合は多くて四人分ですからね。あ、でもお相撲さんが相手だから単純に人数分では足りなくなるのでは?」 「大丈夫です。向こうはいつものようにちゃんこを作っていただいて、それ以外にこちらの石岡鍋があるわけですから」 彼女の話では、勝負といっても、誌面上のことだけで、力士たちに石岡鍋をふるまって和気あいあいといった絵柄が取れれば構わないらしい。私としてはホッと一安心である。なにしろ空元気部屋といえば、注目されている相撲部屋である。横綱の休火山を抱え、来場所は大関をねらっている不夜城、ほかにも幕内力士を抱える伝統のある部屋だ。部屋でで迎えてくれたのは、三段目の%熾ル慶″。眼鏡をかけて優しそうな顔立ちだが、私には見上げるような大男である。 「ウチのソップ炊きちゃんこは秘伝の隠し味がありまして、なかなかの評判をいただいておりますからね」 「石岡先生のお鍋だって、宇宙一美味しいと保証します」 美津子が自信満々にそう言うので、私はひたすら恐縮する。 「ほう、それは楽しみです。お手柔らかにお願いします」 「いえいえ、こちらこそ。本当に本当にこちらこそお手柔らかに」 ここで内弁慶は少し声のトーンを落とした。 「本日はVIPも見えています。タマラントアマラン国の太子なんですけど」 「えっ……」 タマラントアマラン国とは、南太平洋の島国で、全国民を合わせても十万人程度の小国だが、サファイアをはじめ豊かな宝石を産出しているため豊かだ。内弁慶の説明によると、ヨブーン太子は無類の相撲好き。そのためだけに衛星中継によって大相撲中継を放映させているとか。さらに自費を投じて自国でもタマラントアマラン場所を開催している。国賓として来日しながら、多忙なスケジュールを縫い、たっての希望で空元気部屋に来たらしい。 「そんな…どうします?」 大物が同席すると聞いて私はたまらなく不安になった。 「太子様にも石岡鍋を召し上がっていただきましょうよ。あとで、私は突撃取材しちゃいます」 「そんな、国賓の方に、ぼくの鍋を出すなんて…」 「名誉なことですねー」 どうしても企画を取りやめる気はないらしい。乗りかかった船なのだ。鍋奉行の本領発揮といくしかないとみえる。私は仕込みに取りかかろうと腕をまくって家から持参した包丁や菜箸などを取り出した。 「とりあえず着替えてきた方がいいですよ」 美津子が妙なことを言い出した。 「着替える? 割烹着か何かですか?」 嫌な予感がした。頑張るぞと大書された鉢巻でも締めて、絵作りをさせられるのだろうか。しかし、美津子の思惑は私の想像をはるかに超えたところにあった。 「まっさかー。ここは相撲部屋ですよ」 「ハイ、と言いますと……」 「マワシを締めるんですよ。やっだー、私の口から言わせてみたかったんでしょう」 「待ってください。どうしてぼくがマワシをつけるんですか?」 「簡単な稽古風景を撮影したいからです」 美津子は平然と言う。 「それは……お断りします」 当然である。さすがにこの年になって、人前で全裸に近い姿になれるものではない。美津子の顔からスーッと笑みが消えた。 「先生、ちゃんこの意味をご存知ですか?」 「意味ですか。お相撲で…」 「そう、そこです。ちゃんこの意味は辞書を引くとですね。ありました。"力士の食べる料理の総称"と書いてあります。おわかりですか?」 「えっ、ええ…」 「だから、力士が食べれば何でもちゃんこなんですよ。ラーメンでも、タコスでも、シュラスコでも、ノエル・ド・ブッシュでも、力士の食事はみんなちゃんこ!」 私は圧倒されてジリジリと後ずさる。 「逆にいえば、力士が食べないとちゃんこにならないんです。先生は、力士にならなければ鍋をつくっても、それはちゃんこじゃないんです」 どうも論理が破綻している気がするが、これ以上騒がれるのもよくない。私は大きく息を吐いてうなずいた。 「わかりました」 この取材を受けた段階で、どちらにせよ厄介事に足を踏み入れているのである。毒を食らわば皿まで、の気持ちだった。 |
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