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「石岡君、討論番組に出る」4 優木麥 |
| 「石岡先生の座布団を全部持っていって」 小俵が笑いながら言った。私は顔を赤らめながら頭を下げる。 「かないませんなあ。石岡先生の人徳や」 あの鬼山監督も笑顔だったので、私はホッとした。ADが新しいアイスティーを私の前に置いた。 「ここで議論の方向を変えたいんだけど……」 小俵が表情を引き締めて口を開いた。 「そもそも竹馬の友の定義を固めてから討論したほうがいいと思うんだ。そこで、まず辞書を引いてみよう」 小俵は傍らにある国語辞典のページをめくった。 「竹馬の友とは……親しい幼友達のことを指すとある」 私は大きく頷いた。だからこそ、さっき御手洗との関係を強硬に「竹馬の友」ではないと否定したのだ。これで誤解が解けるだろう。 「さらにその原典も示されている。竹馬(ちくば)とは、笹竹を馬に見立て、またがって走り回る子供の遊びを指すらしい。つまり、日本の正月の遊びとして有名な、あのタケウマではなくて、別の遊びなんだね。しかも、それは子供達が乗馬する大人のマネをして遊んでいたらしい」 その答えは、私には意外だった。竹馬(ちくば)と竹馬(たけうま)は同じモノだと勘違いしていたからだ。 「しかもここに面白い原典が載っているよ。漢籍の『晋書』なんだけど、登場人物は殷浩(いんこう)と桓温(かんおん)。二人は幼馴染で、後に軍人になります。時代は東晋の後半頃で、桓温は東晋を支配できるかもしれないほどの軍事力を掌握していた。その桓温に対抗するために、皇帝は殷浩を引き立てます。結果的に、戦に負けた殷浩は、桓温の諫言もあって庶人の地位にされて地方に流されてしまいます」 小俵はテレビの前の視聴者にもわかるように説明していく。 「竹馬の友の語源となったのは、そのときに桓温が話したといわれる言葉からです。『殷浩とは子供の頃に竹馬(ちくば)で遊んだ。いつも私が乗り捨てた竹馬に彼がまたがって遊んでいた』と。つまり、桓温が、幼い頃に自分の捨てた竹馬で遊んでいたと、殷浩に対する優位性を吹聴したことから故事が生じているんだね」 聞き入っていた聴衆はざわざわと話し出す。 「現在のイメージでは子供の頃から仲良しこよしの関係を指していたが、原典はむしろ間反対の関係を指している気がする」 「そうなると、石岡先生が先ほどあんなに御手洗さんとの関係を『竹馬の友』ではないと否定したのは、原典の意味に沿っていたからなのか」 代議士の弾上が唸るように言った。同時に「おー」と驚嘆とも、共感ともつかないため息が場内に漏れる。 「さすがに文士の方は博学でいらっしゃる」 白林が皮肉めいた言い方をする。 「いずれにせよ、石岡先生が我らの蒙を啓いてくださいましたな」 「いえ、そんなことはないんですけど……」 私の胸に浮かんでいたのは、まったく逆だった。「竹馬の友」の原典の意味を聞いて、そういう「上下関係」に近いことを指すのなら、あながち私と御手洗の関係は「竹馬の友」と呼んでも間違いではないかもしれないという感慨だ。 「とりあえず、一回CMを入れます」 小俵は一息入れるようにそう言った。 ● 「では、観覧にいらしている方の声も聴いてみましょう」 小俵が促すと、女性リポーターが観覧者の一人にマイクを向ける。 「どうですか? 今までの討論を聞いていて、どのような感想をお持ちになりましたか?」 若い男は突然、1m60センチほどの竹馬(たけうま)を取り出す。 「今日が竹馬の友のテーマだと聞いて、極上の竹馬を作ってきました。どうぞ、先生方、これに載ってみてください」 2本の竹馬が差し出された方向には、小俵がいる。 「竹馬は馬鹿にしたもんじゃないんです。確かにあなたが言ったように、笹竹を馬に見立てて跨って遊ぶ『竹馬』も日本には入ってます。平安時代には、子供達がその竹馬で遊ぶさまを歌った和歌も残されてます。しかし、この竹馬だって歴史があるんですよ。室町時代には、今の竹馬の原形ともいえる2本の竹幹にくくりつけた横木に足を載せて、竹幹の上端をにぎり歩行する遊びが生まれたんです」 男は懸命に話しながら、竹馬を差し出している。 「この竹馬は、真竹(マタケ)から作りました。全国的に竹馬が知れわたるようになったのは、江戸時代行以降なんですよー」 マイクを差し出していた女性も対応に困って、小俵を見る。 「いや、本物の竹馬がどうこうじゃないから。この場は討論するところだからさ」 小俵は手と目で「次の観覧者にインタビューしろ」と女性リポーターに合図した。私はその様子を見て、胸の底から湧き上がってくるものを感じた。 「先生方、載ってみてほしい。竹馬だって、残していかなければならない文化じゃないのかい」 「いいから、他の人にインタビューして!」 「転ぶと危ないからって禁止しているところも多いけど……。子供の遊びに竹馬は必要だと思ってるんだよー」 「警備員さんを呼んでもいいんじゃないの」 小俵がディレクターに合図しようとしたとき、私は立ち上がっていた。 「ぼくが載ります。その竹馬に載りますから」 自分でも押さえきれない衝動だった。 「石岡先生、頼みますよ。今日は議論の場所なんだから……」 「結構です。皆さんは討論を続けてください。ぼくはあの人の気持ちに応えずにはいられません」 そう言うと私は観覧席に近づいていく。竹馬を差し出していた若者は笑顔で私を迎えてくれた。 「石岡先生、すみません」 「いいんです。せめてぼくのできることぐらいはしないと……」 若者から渡された竹馬は思っていたより軽い。 「載られたことありますか?」 「いいえ……」 我ながら情けない返事だと思う。まず靴と靴下を脱いで裸足になると、ズボンの裾を捲り上げた。 「足の指で竹の幹を掴むようにしてください」 若者の指導を受けて私は竹馬載りにトライするが、一瞬と立っていられずに転んでしまう。たまりかねた若者が観覧席からスタジオに降りて、私の竹馬を支えてくれる。 「ちゃんと支えてますから、先生は下を見ないでください」 「えっ……」 どうしても足の位置などが気になってうつむきがちなのだ。 「下を向いてしまうと、重心が踵にかかってしまってバランスが悪いんです。うまく竹馬に載るコツは、重心をつま先に集めることですから」 そう言われても、正直に言って怖い。 「立てましたね。上手ですよ。手を離しますから」 「あっ、ちょっと待って……」 ズルンと私は横転する。 「それは番組のジャマにならないようにやってよ」 小俵が不機嫌そうに言った。 「その言い方はないでしょう」 代議士の弾上がたしなめる。 「石岡先生のあの姿は、立派です。むしろ今日の討論よりも、もっと大事なことを教えようとしているのかもしれない」 「弾上先生、何を言って……」 「その通りだわ。石岡先生の一途に打ち込む姿は教育問題にも光を投げかけているもの」 空間デザイナーのミオが同調する。 「心理学の面からも、出来なかったことを達成することで、子供は成長するものです」 精神科医の白林が言う。 「石岡さん、オレが子供の頃の腕を伝授しましょう」 映画監督の鬼山が立ち上がった。スポーツ評論家のアディオス火野も続く。 「前に前に、倒れそうになったら手と足を動かすんです」 いつのまにか私の周りには人垣が出来ている。私は高揚感で胸が一杯だった。最初に竹馬を提案した若者は目を真っ赤にして私を見つめていた。 「立って、石岡先生。もうすぐだよ。歩けるよ」 私はみんなの声に励まされて竹馬に載る。両方からアディオス火野と、鬼山監督が補助をしてくれていた。 「行くぞ、石岡さん。せーの!!」 掛け声とともに私の心から恐怖感や不安感が消えた。これだけの人に何かを返したい。今の私に出来るのは、ただ竹馬で歩いて見せることだけだ。一歩、右の竹馬が前に進む。バランスが崩れない。続いて左の竹馬も動かした。 「おー、歩いた。石岡先生が歩いたー!」 そして、さらにもう一歩、竹馬の歩を進めた。倒れそうになる私を鬼山監督たちが支えてくれた。傍らに小俵がいる。彼も笑っていた。 「今日の討論のテーマは竹馬の友でしたが……テレビをご覧の皆さんに何かが伝わったと思います。石岡さん、ありがとう!!」 番組のエンディングを告げる音楽が流れる中、私は拍手に包まれていた。 |
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