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「石岡君、野球監督になる」3 優木麥 |
| グラウンドの私達の前にカブトガニを模した被り物のキャラクターが近寄ってきた。 「キャー、カブニ君。カワイー」 どうやら"カブニ君″というキャラクターらしい。ルミが抱きついた。プロ野球でもホームチームの球団キャラクターが球場を歩いている。先ほどの殺伐とした空気を変えてくれる微笑ましい光景として私達は眺めていると、突然カブニ君が頭の部分を脱ぐ。 「遅れてすみません」 頭にタオルを巻いた青年がこちらに謝った。 「笠田君…」 チームのメンバーから複数の声があがる。事情がつかめない私に今永が代表して説明してくれた。 「彼は笠田君です。ポジションはセンターです。この人が今日の監督を勤めてくれる石岡さんだ」 「どうも、よろしくお願いします」 私達は互いに頭を下げるが、滑稽な印象は否めない。 「すみません。監督、僕はフリーターなんですけど、あの…今日はバイトとバッティングしちゃいまして……」 「バイトって、もしかして、その…」 「そうなんです。ここで"カブニ君″をやらなきゃないけなくて…」 一同は言葉を失う。 「だって、守備とかバッティングとかどうするの?」 当然の質問である。 「このままでやれます。僕は根性だけなら誰にも負けないですから」 「いやあ、そういう問題ではないような気がするなあ」 「そうだよ。そんな格好をしてたらユニフォームだって着れないし」 「それも違う問題だと思うけど」 「とにかく、僕はどちらも両立させてみせます。あっ、スタッフに見つかると怒られるんで、もう被りますね。今日の試合頑張りましょう」 笠田は再びカブニ君の姿に戻ると、スキップを刻んで去っていった。私は自分自身のことを棚に上げるようで恐縮だが、こんなにも不安材料が多いチームだとは知らなかった。 ● カキーン。 「よし、いいぞ。古賀くーん」 私は思わず声を張り上げていた。正午になって、ついに試合開始。対戦相手は「玉虫マカオビートル」。先攻になった青葉ハタラキバチは、一番バッターの古賀が見事に初球を叩いて左中間を抜けるヒットを打った。幸先のいいスタートに、私は知らず知らずに自分が熱くなっていることを実感する。野球は、程度の差はあれど少年時代に誰もが通り過ぎるスポーツ。私は遠い昔に思いを馳せながら、試合にのめりこんでいる自分が意外だった。 「古賀に続けよ。七尾。おい七尾、なにやってんだ」 仁円土乱が怒鳴るのも無理はない。二番バッターの七尾はバッターボックスにも入らず、携帯電話を耳に当てている。 「マジで? じゃあ、今日お祝いしようよ。お店で待ってるからさ」 審判が「ネクストバッターは早く」と催促している。ようやく七尾はお客との会話を打ち切り、バッターボックスに入った。 「七尾っち、さっき誰と電話してたのよー」 ルミが七尾に掴みかかる。 「違うよ。ただの客だって。営業さ、営業」 必死に言い訳する七尾。審判が監督の私を呼び寄せた。 「試合中ですよ。これ以上、揉めるのなら退場してもらいます」 「すみません。気をつけますから」 私は暴れる幼稚園児の保護者のように今永と共にルミを七尾から引き離す。 「なによー。まだ話は終わってないのよ」 「それは、試合の後にしてください」 ベンチでは、仁円土乱たちが渋い表情である。 「ゲーム再開!」 審判の掛け声で、ピッチャーが七尾にボールを投げた。先ほどまで不謹慎な態度でいたにも関わらず、七尾はヒットで塁に出た。なんと一回から無死一、二塁のチャンス到来である。 「これも御仏のお導き。乾坤一擲、ワシが点を入れてこよう」 3番バッターは仁円土乱。かなり期待できる。 「草野球の場合、七回までしかないので、チーム最強のバッターは3番打者に置くのがセオリーなんです」 今永が私の脇で小声で説明してくれた。だとすれば、この状況は最大の好機だといえる。自然と私の応援にも熱が入ってきた。 「よーし、御坊。力まないでいきましょう」 私の言葉に仁円土乱の顔色が一変した。今永が私の袖を引っ張る。 「監督、ダメですよ。そんなことを言ったら」 「えっ、何で、なぜ…」 私には意味がわからない。しかし、次の瞬間に想像もできないことが起きた。ピッチャーが投げた球を、仁円土乱はバントしたのである。 「えっ…!」 ピッチャーは捕った球を一塁に送球。打者の仁円土乱はアウトになった。古賀と七尾は二、三塁に進塁できたが、最強の仁円土乱に打たせなかったのはもったいない。 「監督、ちとお伺いしたい」 ベンチに帰ってきた仁円土乱が銅鑼声で詰問する。 「ワシにバントのサインを送ったのは、どういうわけなのか」 「バント…?」 理解できていない私に今永が耳打ちする。 「ウチのチームでは『力まないでいこう』は、バントのサインなんです」 私は知らなかった。それで、仁円土乱は私の言葉によって不本意なバントをしなければならなかったわけだ。だが、ここで間違えたなどとは言えない。そうすれば、監督の権威を失い、信頼がなくなって試合に悪影響を与えるからだ。 「あの…、相手チームが前進守備だったから……」 「それなら、なおさら打っていくべきではないのか。バントでは逆にマズ…」 「御坊、とにかくまだ試合は始まったばかりですから、ここは手堅く一点を狙いたかったんです」 今永が助け舟を出してくれた。 「ウーム…」 「では、僕が行ってきます」 四番バッターは今永である。ワンアウトを取られたとはいえ、まだランナーは二、三塁に残っている。得点のチャンスは十分にあるのだ。私は応援しようとして、自分の口を押さえた。また知らないうちに妙なサインを出してしまったらいけない。先ほどの仁円土乱とのやりとりで汗が出てきた。私はハンカチで額の汗を拭う。 「あっ、走った!」 観客が騒然とする。三塁にいた古賀が突然、ホームめがけて走り出したのだ。もちろんピッチャーはすぐにキャッチャーに送球。キャッチャーと三塁手に挟まれた古賀はあえなくタッチアウトになった。 「監督、なんでホームスチールのサインなんて送るんですか」 今度は、古賀が少し怒った調子で私に訴えてくる。 「ハンケチで額を拭ったら、即座に迷わず走れとは言われてましたけど、あのタイミングでは難しかったと思いますが……」 もちろん、私だってそれで点が取れるなんて思っていない。それどころか、ホームスチールのサインであることさえ知らなかった。 「まあ、その……これが後の場面で生きてくる……んじゃないかなあ」 「そうですか。監督を信じてますけど…」 私は自分でも訳のわからない言葉で古賀を納得させる。 カキーン。壮快な打球が飛んでいく。今永がセンター前に綺麗に打ったのだ。 「走れ、走れ!」 ベンチではみんな立ち上がって声を出している。二塁にいた七尾はかなりの健脚のようだ。あっという間に三塁ベースも踏んだ。ついに得点のチャンス。私も我を忘れて騒いでいた。 「進め、進めー!」 私の声が届いた七尾はハッとした表情になると三塁ベースに戻る。 「あれ…?」 選手たちがシラーッとした顔で私を見ている。 「監督、ご存知だとは思いますが『進め進め』は、『そこで待て』のサインです」 私は頭を抱えてしまった。一回からの得点チャンスを片っ端から潰しているのは、監督である私なのだ。 「もうサインは一切廃止します」 断固とした口調で私は選手に宣言した。 「えっ、でもサイン無しでは……」 口篭もる選手たち。しかし、彼らは知らないのだ。私のサインに従ってプレイしていたら、百イニング戦っても点が入らないのである。 「大丈夫。今日はみんなが自由にプレイして、楽しみながら勝ちに結びつけよう」 「はあ…まあ、監督がそうおっしゃるのなら…」 「うん、次のバッターは誰? 期待しているよ」 「ハーイ、僕です」 私の目の前に現れたのは、カブニ君の被り物をした笠田だった。五番バッターの彼は予想通りに三振に終わる。その理由は視界が悪いからか、バットが振りにくいからかわからない。 |
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