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「石岡君、バーベキューに行く」1 優木麥 |
| 雨にはいくつかの恩がある。 なぜか全員参加を義務付けられたソフトボール大会などが中止になって、私の窮地を救ってくれたのだ。メンバーが一人足りないのでと強引に誘われた草サッカーは、雨天でも決行だったらしいのだが、私は勝手に中止と思い込んで行かなかった。後日、「相手チームも来なかったので、自分たちで紅白戦をやりました」と連絡があった。ちなみに当日は、台風が上陸した嵐の中。サッカーに興じるにはバッドコンディションにもほどがあるだろう。 数々の恩恵を受けてきた雨であるが、もちろん被害を受けたことも一度ならずある。窓を開けっ放しで外出して、強風と雨によって書きかけの原稿を台無しにされた。当時は、まだ手書きだったため、ほとんど一から書き直さざるを得ない。あのときに雨に対して浴びせた数々の暴言を述べるのは自粛しよう。 そんな私が、雨を敵視する一団と出会ったのは、先週の半ばだった。場所は、横浜ランドマークタワーから程近いオープンテラスのカフェ。 「雨男を捜してください」 最初は私に向けられた言葉だとわからなかった。 「石岡先生、雨男を捜すのに力を貸して欲しいんです」 名前を出されて初めて自分が呼ばれていると知った。 「あの……ぼくですか?」 私の目の前には、7人の男女がいた。その誰もがオープンカフェには似つかわしくないいでたちをしている。そのひとり一人については、順を追って紹介していくが、とにかく時代劇のテーマパークに迷い込んだような扮装なのだ。七つ道具を背負った弁慶、黒装束の忍者、烏帽子姿の公家までいる。 「突然、お声をかけて失礼致しました」 総髪で着物姿の年長者が頭を下げる。つられて私も一礼した。 「我ら7人、バーベキュー侍を名乗っております」 「サ、侍……ですか」 確かにその言葉に忠実な扮装ばかりである。もちろん中には、侍とは呼べない職業に見える者もいるが、それはさておきだ。 「バーベキュー、つまり野外における食卓こそが本来正しい食生活。景観を堪能しつつ、その場で調理された食べ物を新鮮な空気と共に味わう。これに優る喜びがありましょうや」 総髪の男の迫力に、私はうんうんとうなずいた。 「名乗りもせずに失礼しました。それがしは、バーベキュー侍を束ねております向坂と申します。以後お見知りおきを」 「ぼくは石岡……」 「存じております。今日は我ら7人、是非とも石岡先生にお知恵をお借りしたく、まかりこし参上仕りました」 7人は同時に頭を下げる。私は戸惑うばかりだ。 「な、何のことでしょうか」 「単刀直入に申し上げる。雨男を捜していただきたい」 向坂は先ほどと同じことをくり返す。 「その呼び方は差別的で好きくない」 紅一点の女性が発言した。彼女は弁財天の扮装をしている。 「雨男と限定してはいけないでしょ。私かもしれないんだから」 「これはしたり。昨今は発言に気をつけないと、セクーハラの合戦になってしまうからのー。アッハハハ」 向坂が大笑すると、一同の笑いも続く。たぶんセクハラと“関ヶ原”を掛けたのだろうが、私は笑えない。笑える気分でもない。 「あの、雨男……か、雨女と言いますと、いわゆる……」 「左様。その人物が出かけたり、催しごとに携わると必ず雨天になるという、いわくつきの人物のことです」 「私達の誰かが、雨を呼んでいるの。あ、私は奈美です」 弁財天の女性が名乗った。 「バーベキューにとって雨は天敵。もはやこれ以上、我慢ならん。我らにあだなす者をハッキリさせるときが来たのだ」 弁慶の扮装の男が怒鳴る。 「その前に、ひとつ……よろしいでしょうか」 とりあえず私は自分が気になっていることを確認したかった。 「どうして、皆さんはそのような格好をしているのですか?」 ● 「バーベキューこそ、自然と一体となる崇高なる一瞬。自分たちも相応の礼を尽くさねばならないと感じ、めいめいが思い思いの正装をしている次第です」 向坂の説明は、わかったようなわからないような話である。 「いずれにせよ、その崇高なるバーベキューの時間が、ここ最近つねに雨の妨げにあっていることは事実。この理由を判明しなければなりません」 「仲間に雨を呼ぶ裏切り者がいるとは思いたくないけどね」 「いえ、あの……これは素人考えなんですけど……」 私はひと言挟まずにはいられなかった。 「門外漢の言葉として聞いてください」 「何をおっしゃいます。石岡先生は、英知に溢れたお方だとつねづね感服しております。いかなる意見でも承りましょう」 「偶然……ということはないでしょうか。その……皆さんの中に雨を呼んでいる方がいるという考えには無理があるような……」 「迷信でござる!」 向坂が一喝した。カフェの中のほかのテーブルの客がこちらを見る。私はすまなそうに頭を下げた。 「偶然などという便利な言葉で片付けられる問題ではない。自然の動きは、すべて天の意志であると考えるべきです。つまり、我らの中に天の意志に背く不逞の輩が混じっているために、バーベキューを雨によって妨げられていると考えるのが道理」 向坂は自信満々だった。しかし、雨男や雨女がいると考える方がよほど不自然で道理に合っていない。迷信そのものではないか。 「ですが、別の角度からお考えください。皆さんがバーぺキューに出かける日は、日本全国で……いや、その場所に行く人たちだけでも何十、何百人といるわけじゃないですか。皆さんのところだけ雨が降るわけじゃないので、雨男か雨女がいたとしても、他の方々にいるのかもしれませんよ」 「お言葉を返すようで申し訳ないが、我らバーベキュー侍がバーベキューを執り行うのは、俗世にまみれたキャンプ場にあらず」 向坂はニヤリと笑った。 「これぞ野外と呼べる場所にて食しております。つまり、周囲には、我ら以外ほとんどおらず。しかしながら雨が降る。これはもう、我らの中に雨を降らせる元凶がいると考えざるを得ない」 私は彼らにわからないようにため息をついた。午後のひと時を不毛な議論で過ごしている気がしたのだ。 「ぼくの手に余るお話です」 きっぱりとそう言った。いや、そうとしか言いようがない。そもそも誰が雨男ないしは雨女かを判別するなど正気の沙汰ではない。 「大変申し訳ありませんが、他の方を当たってください」 「先生のおっしゃる通り。ぶしつけなお願いではございますな」 「いや、そういうわけでは……」 「では、来週の日曜日に我らと共にバーベキューにご同行ください」 「えっ……?」 「いや、雨男の捜査うんぬんとは、まるで別の話。せっかくこうしてお近づきになれたのですから、おもてなしをさせてください」 「い、いや、ぼくはその……」 「これぞ真のバーベキューという格別の味を堪能していただきます」 「はあ、それはどうも……」 無下にも断れず、私は珍妙な扮装の集団と一緒にバーベキューに行くことになってしまった。 「ただし、石岡先生にも正装していただきますぞ」 「えっ、あの皆さんのような……」 「いやいや、これは我らの価値観での正装ですから。あくまでも石岡先生にとっての正装で結構」 とんでもないことになってきた。タキシードとまではいかなくても、スーツ姿にはならなければならない雲行きである。 |
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