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「石岡君、夏休みにアルバイトをする」2 優木麥 |
| 「凍目(こごめ)の恐怖の物語…ですか?」 生来の怖がりである私は、その手の話に弱い。 「ときは、今から四百年ほど前の話です」 私のささやかな抵抗も空しく、砂男は話し始めた。 「街道から離れた村の入り口に、一人の美しい娘が行き倒れになっていました。村人達は彼女を介抱して、数日で元気になったのですが、こごめと名乗るその娘はどこから来たのか、どこへ行こうとしていたのかも口にしません。そのうち、村の若者の一人である与平といい仲になったそうです。しかし、得体の知れないよそもののこごめがちやほやされるのを妬んだ村の娘たちが、ある夜、行水をする彼女の姿を見てしまいます」 おどろおどろしい雰囲気タップリに進める砂男の話に、私は知らず知らず聞き入っている。 「肌のあちこちに鱗が見え、耳まで口が裂けて舌を伸ばしたその姿は、なんと蛇の化身でした。こごめの正体を知った娘達は転げるようにそれぞれの家に戻って、口々に話します。驚いた村人達は得物を手にして、こごめのいる家に向かいます。ところが、家を取り囲む村人たちの前に出てきたのは、与平でした。彼は『こごめの正体は知っている。でも決して害を為すためには来たわけではない』と話しました。百年に一度、人間の男と交わることで妖力を得るらしい。しかし、異形の存在を認めない村人達は聞く耳を持たない。こごめを引き渡さなければ、家ごと焼き払うといきり立ちます」 砂男の口調には熱がこもってきた。 「与平はこごめと話したいと家の中に入りました。しかし、村人達は最初から与平も許すつもりはなかったのです。あっと言う間に与平の家の周りに木を積み上げて火をつけました。炎に包まれる中から、蛇身のこごめが姿を現しました。与平の身体が隠れるほどに蛇の胴を巻きつけています」 私は胸が熱くなってきた。 「こごめは、血を吐くような声で言いました。『口おしや。妖力さえ得れば、こんな炎に身を焼かれることもないものを…!』と。のた打ち回ったこごめは、一生耳について離れないような断末魔をあげたそうです」 砂男はここで一息入れると、私のほうを見た。 「翌朝、おそるおそる与平の焼け跡に近づいた村人達が目にしたのは、倒れている与平の姿でした。彼は火傷ひとつ負わずに気を失っていました。そのとき、村人達は知ったのです。蛇身となったこごめが、与平の身体に巻きついていたのは、彼を炎から守るためだったと。我が身を挺して愛する人間の若者を救ったんです。与平の手にはこごめの凍った目玉が握られていました」 確かに怖さもあるが、私は悲しくて純粋な恋愛話に感じる。 「自分達の過ちを悟った村人達は、こごめの目を塚に奉り、村の名前もいつしか『凍目(こごめ)』と改められたのです。与平は出家して〃蛇恋坊(じゃれんぼう)〃と法名を名乗ったと伝えられます」 砂男は語り終わった。車内にはある種の厳粛な雰囲気が漂っている。彼は私にニコッと微笑んだ。 「眠くありませんでしたか?」 「とんでもない。物語の余韻に浸っていたんですよ」 「そうですか。私のあだ名である〃サンドマン〃とは、西洋の眠りの妖精の名前ですから、眠くならないかなと思いまして」 「へえ、知りませんでした」 「眠いときって、目を擦るじゃないですか。あの動作が、目に砂が入ったときと似ているから、眠り砂をかける妖精をサンドマンと呼ぶそうです」 車はうねうねとくねった道を登っていく。砂男は慣れているらしく、平然と会話を続ける。私は断崖側には目をやらないように気をつけた。 「せつない物語でしたね」 「こごめの話ですか?」 「ええ、ぼくには怖い話と言うより、悲しさがつのるストーリーに思えました」 「いやあ、実は怖いのはその後なんですよ」 「えっ? まだ話に続きがあるんですか?」 私は砂男を凝視する。 「続きというか。この地域に伝えられているのは、こごめに蛇の精を注入された与平こと蛇恋坊(じゃれんぼう)が、まだ生きているというんです」 ● 「さあ、到着しました」 砂男に先導されて降り立った私は、目の前の門構えを見て高揚感と安心感が半々を占める。石段の上には本格的な瓦屋根を冠した石垣塀が続いている。木の格子戸の隙間から覗くのは調和のある日本庭園。情緒あふれる純和風の旅館に泊まることができると思うと、安らいだ気持ちで満たされていく。 「立派な門ですねえ」 隣に立つ砂男を労う意味も込めて、私はまず門構えを褒めた。こんな風格ある旅館を貸しきりにするには、いろいろと骨を折っただろう。 「石岡先生に喜んでもらえれば嬉しいですよ。どうですか? 表門というより、お城の大手門といった趣でしょう」 「ええ」 私たちは門をくぐる。門の向こうに広がっている風景を目にした瞬間、私は戸惑いを隠せなかった。 「あれっ?」 豪奢な門構えと比べて、旅館そのものは意外なほどに小さい。いや、ハッキリ言うと普通の民家と呼んでもおかしくない。門の格子戸から見えた日本庭園も、広大な敷地の一角である外から見える部分のみが手入れを施されているだけだ。私はまるでドラマのセットに入って裏側のベニヤ部分を見たような気分になった。 「さすがにこの高さまで建築材料を運ぶのには限界があったようですね。門構えで力を使い果たしたらしいです。まあ、それも含めて……あ、先生、何かご不満でも?」 砂男の質問に私はさすがに本当のことは言えない。 「いえ、別に…その、観光や慰安に来たわけではありませんから」 「そうですとも。仕事に集中できる環境が一番です」 私たちは玉砂利の敷き詰められた中にある飛び石を進んで玄関を開ける。 「先生のお着きでーす」 砂男が声を張り上げる。そのとき、私はあることに気づいた。 「あ、柳原さんがいませんね」 「誰ですか?」 「柳原さんですよ。今日、審査を一緒にやる方の……」 「審査員の方同士は接触されると困るんです」 砂男が毅然とした態度で言った。 「厳粛な審査ですからね。粗読みの段階でお互いに何気ない意見を交換して、調整されてしまうのも問題がありますし。そのため、今回の審査会では、審査員の方達の接触を原則的にご遠慮願う形で進行していきます」 「そうだったんですか」 私は新人の漫画作品の審査など初めてなので、砂男のルールに従うしかない。停留所で一緒だったゴーストライターの柳原眞一は、車の後部座席には同乗していたので、砂男の指示で待機しているか、別の入り口から旅館に入るのだろう。 「それにしても遅いなあ」 砂男は靴を脱いで、玄関に上がった。 「ちょっとお待ちください。私が旅館の人間を呼んできますから」 そう言うと砂男は奥に消えた。私は玄関を見回すと、提灯に「風前灯火旅館」と書いてある。パッと見たときは「風林火山」かと思ったが、「風前の灯火」と書いてあるようだ。意味に雲泥の差がある。そのとき、背後に人の気配がした私は振り返った。 「ひっ…!!」 思わず私は驚きの声を上げる。音もなく後ろに立っていたのは、旅装の雲水(うんすい)である。墨染(すみぞめ)の直綴(じきとつ)、白脚絆に草鞋を履いていた。絡子(らくす)といわれる五条袈裟を肩に掛け、前に頭陀袋(ずだぶくろ)を吊るし、左手には坐蒲(ざぶ)を持っている。網代笠(あじろがさ)を深く被っているため、顔はよくわからない。無言で私を見つめている様子が不気味である。 「こ、こんにちは…」 私の挨拶にも雲水は無反応だった。無言の行の最中だろうか。この旅館は現在、『月刊ブレット&テラー』で貸切のはずだ。もしかしたら、異形とはいえ、漫画大賞の審査に携わる人物である可能性もゼロではない。 「あ、あの……審査員の方ですか?」 雲水に尋ねるにしては、史上もっとも似つかわしくない質問だろう。雲水は動かない。沈黙に耐えられなくなった私が再び話しかけようとすると、相手の口が開いた。 「こごめに逢いたい」 そう言い残すと雲水は立ち去っていく。私の胸の水面に恐怖の水滴が垂らされた。あれはもしかしたら〃蛇恋坊(じゃれんぼう)〃ではないだろうか。 |
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