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「石岡君、ボディガードを頼まれる」1 優木麥 |
| 「地獄に落ちろー!!」 こんな反社会的なセリフを口にしているのが、うら若き女性である事実が、目の前で起こっている出来事でも信じられない。しかも、その発言者の衣装は、黒いメイド服。これがリング上で行なわれているやりとりでなければ、即通報レベルの喧嘩だ。 「オラー、もう一発だー!!」 黒メイド服の女性が、ピンクの水着の女性を抱え上げて、頭から叩きつける。きっとカッコいいワザの名前がついてるのだろうけど、初見の私にはわからない。 「負けるな、ローズマリー」 私の隣の席では、リング上の彼女達に負けず劣らずの音量で声援する里美の姿があった。どちらもあられもない様子に見えてしまうのは、私がイベントに没入していないからか。女子プロレスを初めて生観戦した身としては、楽しむよりも、まず驚きの連続である。まだ十代から二十代前半に見える娘たちが、感情をむきだしにして取っ組み合う姿。また、殴られ蹴られ、さらには叩きつけられても立ち上がってくる不屈の精神。男性のプロレスとは違う魅力が詰まってることは感じる。 「石岡先生、センセったら」 物思いに耽っていた私は、里美がしきりに呼び立てるのに気がつかなかった。 「なにをボーッとしてるのよ。先生も一緒にスウィート・メイツを応援しなきゃ」 「えっ、スウィートってどっち?」 「もうやめてよ。いま反則攻撃でやられてるほうに決まってるでしょ」 「あ、なるほど……」 プロレスラーは善玉と悪玉に分かれるらしい。そして、メインエベントで戦っているのは、ローズマリーしのぶ・パンジー沙菜江が組んだ『スウィート・メイツ』と、ジャンクメイドA・Bの組んだ『ジャンクメイド』の2チーム。言うまでもなく、スウィート・メイツが善玉で、ジャンクメイドが悪玉だ。 「が、ガンバレー」 里美に促された私は仕方なく声援を送った。彼女に限らず、スウィート・メイツの熱狂的なファンは多い。リングサイド最前列が取れたからという理由で、私は女子プロレス興行に引っ張り出されたが、周囲を見回すと、スウィート・メイツを応援するボードや垂れ幕を掲げた観客がそこかしこに見える。現在、劣勢なため、涙ぐみながら応援している女性も少なくない。 「こちらの席になります」 係員が私の隣の席を指差した。振り向いた先には、いかにもこれから出勤、という出で立ちの水商売風の女性がいる。鷹揚にうなずくと、私の隣の席に座った。 「なんなの。メインエベントの最中に来るなんて」 里美が憤慨したように言う。普段の彼女なら、たとえそう思っても口に出したりはしないはずだが、今は興奮しているため、制御が利かない。 「まあまあ、試合に集中しようよ」 「そうね。あ、あああ……」 リング上では、しのぶがジャンクメイドBに鎖で首を絞められていた。当然、反則攻撃である。しかし、本来、それをチェックしなければならないレフェリーが、コーナーに控えるパンジー沙菜江の動きに気を取られて、視界に入らない。 「レフェリー、どこ見てんだよー」 里美は両拳を振り上げて叫ぶ。 「汚いことするジャンクメイドなんかやっつけちゃえ」 里美の応援は過激になっていく。身を乗り出して、今にも自分自身が戦いに参加しそうな勢いだ。 「里美ちゃん、落ち着いて…」 「ピンチなのに、そんな冷静になれますかって。石岡先生も応援してよ」 「わかった。わかったから座って」 今の里美にはあまり逆らわないほうがいいようだ。これだけ多くの人を魅了する何かがスウィート・メイツにあることは、私にも感じられた。いまリング上で攻められているのは、ローズマリーしのぶのほうだが、その痛々しい表情を見ていると、こちらの闘志をかきたてられてくる。プロレスの目的が観客を熱狂させることにあるとするなら、間違いなく彼女達は一流のレスラーである。 「まだまだ痛めつけたりないんだよー」 ジャンクメイドAが、しのぶの髪の毛を掴むと、そのままリングの下に引き摺り下ろす。会場のあちこちから悲鳴が上がった。 「下がって。下がってくださーい」 Tシャツ姿の若手選手達が、暴れる二人の行く先を空けようと先導する。リングサイドの観客たちは、慣れた動きで席を立って逃げる。その空席のスペースへと、しのぶは放り投げられた。ガシャーンと激しい音がして椅子が散乱する。 「さ、里美ちゃん、これが場外乱闘ってヤツだね」 「そうよ。石岡先生も逃げる用意はしておいて」 「えっ、まさか、こっちにも……」 私は観客というものは、ただ黙って見ていればいい存在だと思っている。自分が、その公演の何かに関わるなどまっぴらごめんだ。とはいえ、自らの身体が危ういとなれば、話は別である。 「そら、もう一回いくよー」 ジャンクメイドAに髪を掴まれたしのぶが、こちらに引きずられてくる。さっきのようにこの席一帯にも放り投げるつもりだ。 「逃げましょう、石岡先生」 「あ、待って。里美ちゃん」 弁解するわけではないが、私が席を立ったタイミングは里美のそれと大差なかったはずである。危ない場所からの避難に関して、私は他者の動きをしのぐことさえある。ところが、立ち上がろうとした私は、中腰で静止してしまった。自らの意思ではない。 「えっ、あの……」 私の服の裾を、隣に座っていた水商売風の女性が掴んでいたのだ。 「ゴメンなさい。私、ハイヒールで早く動けないから」 「えっ、だけど……ええっ」 私は視線を移すと、すでに目の前には一直線に飛んでくるしのぶの驚愕した顔が見えた。 「死ねー!!」 次の瞬間、私は柔らかい肉体と正面衝突してしまう。全員の待避が終わったと思ったジャンクメイドAが、しのぶの身体を投げ飛ばしたのだ。会場では悲鳴が飛び交っている。遠くなる意識の中で、私は里美の悲鳴も聞こえたような気がした。 ● 「本当に申し訳ありませんでした」 ヘル&ヘブン女子プロレスの興行マネージャーである笹倉は、ジャンクボンドAと共に私に頭を下げた。まともに女子レスラーの衝撃を受けた私は、若手選手たちによってそのまま控え室に運び込まれ、興行が終わった後、応接室であらためて謝罪を受けることになった。 「あ、いえ、大丈夫ですから……」 不幸中の幸いで、怪我をしなくて済んだ。 「プロとして、自分は気をつけなきゃいけなかったです。本当にすみません」 ジャンクボンドAが深々と頭を下げる。先ほどまでリング上で「地獄へ落ちろー」と叫んで、鎖を振り回していた選手と同一人物には見えない。急に私は、自分が彼女達に悪いことをした気分になってきた。あんなアクシデントがあったために、せっかくのメインイベントに水を差す結果になったのは事実だ。 「いや、気になさらないでください。こちらがモタモタしていたのが原因ですから。むしろ、試合の雰囲気を壊してしまって、すみません」 私は立ち上がって頭を下げる。 「恐れ入ります。では、今回の件は、文字通りの痛みわけ、ということにしましょう」 笹倉が間に入って、絶妙のオチをつけてくれた。ジャンクボンドAは、部屋を出て行く。私も立ち上がったのを幸い、そのまま帰ろうとするが、笹倉に引き止められる。 「実は、石岡先生に折り入ってお願いしたいことがありまして……」 「何でしょうか」 「パンジー沙菜江のボディガードをお願いできないでしょうか」 |
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