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「石岡君、ボディガードを頼まれる」4 優木麥 |
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「『鬼作家』はどうですか?」 喜色満面の笹倉が二つのTシャツを私の前にかざす。どちらも白地に黒で文字が染められているが、書かれた言葉は違う。ひとつは『鬼作家』、もう片方は『炎の執筆師』だ。 「私としては『炎の執筆師』も捨てがたいんですが、やはり時代は鬼嫁、鬼軍曹、『鬼作家』かなと」 今日も昨日と同じヘル&ヘブン女子プロレスの後楽園ホール大会。パンジー沙菜江はローズマリーしのぶと組み、ジャンクメイドA・Bとメインイベントで試合をする。身の程しらずにも私はパンジーのボディガードという大役を引き受けてしまった。そのため、試合を控えた彼女のロッカールームにいると、そこへ笹倉が「石岡先生のTシャツができましたよ」と現れたのだ。 私のTシャツ、つまりキャラクターグッズのようだが、昨日引き受けて、すでに今日出来上がっているというのは手回しが良すぎる。 「よくこんなに早くできましたね」 「いや、もちろんこれはサンプルです。実際に売店で売るのは、もう少し先になりますが、今日の石岡先生のデビューでバーンと宣伝しますからね」 笹倉の言葉には奇怪な単語が詰まっている。少なくても、私からすれば意味が読めないキーワードばかりだ。 私のキャラクターTシャツとは? 鬼作家とは? と問いただしたいポイントはいくつもあるのに、そのうえ「石岡先生のデビュー」に至っては、日本語として正しいのかどうかから疑いたくなるほどの難解である。 「炎の…のほうが、石岡先生っぽくない? 燃えてるって感じがして、私は好きだなあ」 すでにリングコスチュームに着替えたパンジーがテーブルの上のTシャツを見比べている。 「そうかあ。でも、鬼って言葉はトレンド的に入れておき……」「すみません。笹倉さん」 つい私は大声を出す。このまま黙っていたら、私を乗せたトロッコは、どこまでも走り続ける気がしたからだ。 「話がおかしな方向に行ってませんか?」 「いいえ、全然」 笹倉はブンブンと音がしそうなほど、首を横に振った。 「でも、さっきから妙じゃないですか。私のTシャツを作ったり、デビューとか意味不明なことを口走ったり…」 「妙でも、意味不明でもありません。石岡先生は、今日リングでデビューするんです」 異議を許さない態度だった。だが、私は異議申し立てる。断固として異議をぶつけねばいられない。 「わけがわかりません。そんなとっぴな話は知りませんね」 確かに私は『花摘み人』なるストーカーから襲撃予告を受けたパンジーを守るためにボディガード役は引き受けると言った。しかし、それに付随して変な条件はなにひとつ承諾したつもりはない。言うまでもないが、これから先も含めてだ。 「ほう、石岡先生は早くもパンジーを見捨てるわけですか」 「話を飛躍させないでほしい」 「素手、意識が無防備、不特定多数は危険じゃないんですか石岡先生」 「何ですか急に」 今日の笹倉の言動は、あっちこちに飛んで飲み込むのに苦労する。彼は、リングコスチューム姿のパンジーを指差した。 「つまり、リングで試合をしているパンジーは、まごうことなく危険そのものだと言ってるんです。素手で何も身を守るものはない。意識は対戦相手に向けているから、精神的にも無防備だ。そのうえ、リングを囲んでいる人間は360度、不特定多数の集団ですよ。その中に『花摘み人』が紛れていたとしても、こちらでは事前のチェックは不可能。となれば、不測の事態に備えて、試合をするパンジーの側にいてやるのが、ボディガードの務めではないですかねえ」 笹倉の言い分にはうなずける部分はある。私は深呼吸してから言い返す。 「なるほど。では、リングに上がるパンジー選手のセコンド役を勤めることまでは了承しましょう。ただ、先ほど口走ったリングデビューとか何とかはゴメンこうむります」 「まあ、リングデビューは大げさかもしれません。要は、リングの登場人物になってほしい、という意味です」「レスラーとは違うんですか?」 「違います。リングで試合をする必要はありません。アングルに絡んでもらえればOKです」 「アングル……?」 「すみません。プロレス界の隠語ですからね。あまりヨカタの前で使う言葉じゃないですな」 私には“ヨカタ”の意味もわからなかったが、そのままにしておいた。あとからわかったのだが、“素人”の隠語らしい。 「アングルとは、わかりやすく言えば、試合を盛り上げるためのストーリー、ですかね。たとえば、対戦相手同士が記者会見の席で乱闘するとか、違う試合に乱入して因縁を作るとか、そういうビッグマッチの前フリをアングルというんです」 プロレスそのものに疎い私にはピンとこないが、とりあえず「はあ」と返事をしておいた。「実は来週の日曜日にパンジー達『スウィート・メイツ』と、『ジャンクメイド』とでタッグ王者のタイトルマッチがあるんです。今のチャンピオンはジャンクメイドのほうで、パンジー達が挑戦します。その試合の話題を呼ぶために、石岡先生にアングルをお願いしたいんですよ」 「あの……具体的には、ぼくは何をすればいいんでしょうか」 笹倉の説明を聞いていても、どうもイメージが湧いてこない。 「いえ、基本的には、何もしなくていいです。戦うパンジーを応援してやってください。細かいことは、彼女達に任せておけば心配いりません」 そう言ってニヤリと笑う笹倉が気になった。 ● 「おい、パンジー。てめー、なんでそんなボンクラ連れてきたんだ」 リング上でマイクを握ったジャンクメイドAが、私を指差して怒鳴った。入場テーマと共に、スウィート・メイツと花道を歩いているときから、逃げ出したい気持ちで一杯だった。人気タッグの二人にスコールのように浴びせられる歓声は、ずいぶんと場違いなところに来てしまった自分への非難にも聞こえた。 「この人はね、石岡和己先生なのよ」 パンジーもマイクを握って言い返す。会場の観客が一斉に叫んでいる。パートナーのローズマリーしのぶが、私に向かって小声で「リングに上がって」と何度も呼んだ。 「いや、ダメです。ぼくはそんな……」 「いいから、上がりなさいって」 しのぶに吊り上げられるように、私はエプロンサイドに立った。その私の肩をパンジーが叩きながら、マイクアピールを続ける。 「昨日の試合では、よくも石岡先生に暴行を加えたわね。そのリベンジで私たちに味方してくれるのよ」 あながち間違いではない。元はといえば、そのアクシデントが、今日のこのリングに立っている原因だからだ。 「ああ、思い出した」 ジャンクメイドAはオーバーアクションで笑っている。 「どこかで見たマヌケ面だと思ったら、逃げ遅れてヒーヒー言ってたヤツか。おとなしく観客席に座ってりゃいいのに。こんなリングにまでしゃしゃり出てくるなら、タダでは帰さないからな、覚悟しろよ」 ドスの利いた声ですごまれて、私は卒倒しそうになる。しゃしゃり出るつもりはないし、何なら即座に帰りたい。それにしても、昨日の事故の後は、神妙な顔で謝罪してくれたジャンクメイドAが、リングの上では180度違うキャラクターだ。とても演技でやっているようには見えない。今にもぶん殴りそうな暴力的な気配を発している。 「石岡先生、なんかひと言お願い」 しのぶが私にささやく。次の瞬間、私は激しく首を振る。満員の大観衆の前で何かをしゃべったり、演じたりを期待されても困るだけだ。 「覚悟するのはお前達のほうよ。さあ、石岡先生も何か言って」 パンジーが私にマイクを渡した。目で「頑張って」と訴えている。渡されたマイクを持つ私の手はブルブルと震えている。観衆の興味の視線が四方八方から私に突き刺さる。自分に言い聞かせるしかない。私はアングルの登場人物。試合の前フリをすればいいのだ。 「ら、来週の日曜日の試合も、皆さん観に来てください」 |
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