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「石岡君、ボディガードを頼まれる」9 優木麥 |
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「最初にアレッと思ったのは、マスコミへの公開練習のときです」 私は覚悟を決めて話し始めた。 「どうしたのよ石岡先生」 口調は穏やかだが、パンジーの目は明らかに攻撃的な色に染まっている。 「パンジージャンプを出そうとしたあなたが、コーナー最上段に上ったとき、トップロープが外れて落ちたときのこと」 「そんな怖い顔で言わなくても覚えてるわよ。大怪我しそうになったのは私なんだからね」 「ぼくはあの公開練習の前にも、パンジージャンプの練習を見ています。後楽園ホールのリングで最初に会ったとき。あなたは何度もぼくの目の前でパンジージャンプを繰り返していた」 「何が言いたいの?」 「あのときの……今でもたいして変わりませんが、とにかくあのときのぼくの女子プロレスに関する知識はほとんど白紙だった。だからこそ、単純に現象だけを見ることができたんです」 私はズキズキするこめかみを軽く押さえた。 「あなたが上って足を踏み外したコーナーは“赤コーナー“でした。これが引っかかったんです」 「細かく覚えてらっしゃること」 「ええ、リングの中にいたぼくは変だなと思ったからです。だって、赤コーナーは、タイトルマッチでは“絶対に上らない”はずのコーナーですからね」 ボクシングでも、プロレスでも、リングで戦う場合、チャンピオン側が赤コーナー、挑戦者側が青コーナーに位置する。つまり、タッグマッチの場合、挑戦者チームからすれば、赤コーナーにはつねに敵が存在し、そこに上って技を仕掛ける展開は珍しいと言っていい。 「事実、後楽園ホールの練習のときは、あなたはすべてニュートラルコーナー、つまりどちらの側でもない“中立のコーナー”の最上段に上って練習していました。あの公開練習のときだけ、赤コーナーに上ったのは、何かわけがあるはずです」 「どういうわけなのよ」 「リングに向かって技を仕掛けるのではなく、転落する写真を撮る場合、マスコミと道場のリングの位置からすると、赤コーナーが構図的に一番よかったんです」 パンジーは上目遣いに私を睨む。 「アハッ、わかってないわね。気分よ気分。どのコーナーに上って技を出すかなんて、レスラーの気分によって変わるものなのよ」 「では、犯人は、なぜ『赤コーナーのトップロープだけ』金具を緩めたんでしょうか。すべてのコーナーを緩めておいたのなら話はわかります。でも、他の3つのコーナーは問題なく締まっていた。緩んでいたのは赤コーナーだけです。まるで、パンジーさんが赤コーナーを選んで登ることを知っていたみたいに。本来なら、もっとも上りそうにない赤コーナーだけを緩めた。ぼくが犯人なら、すべてのコーナーを緩めるか、ニュートラルコーナーだけを選んで緩めますけどね」 「さあ、異常者の考えることなんかわからないわ」 「まだあります」 私はパンジーの裸足の右足を見る。 「あなたがトップロープに上がるときは、必ず右足から上ります。後楽園のパンジージャンプの練習、そして試合のとき、すべて右足から先にトップロープにかけていた。だからこそ、今日の試合中、右足を負傷したあなたは、パンジージャンプを出すことができなかった」 私の言葉に、パンジーが薄く笑った。 「別に、負傷したのが左足だったとしても、私はパンジージャンプを出せないわよ。まだまだわかっていないわね」 「失礼しました。でも、トップロープに上るのは右足から。これは間違いありません。それなのに、あの公開練習のときだけ、あのときだけは“左足”から上っていたんです」 「そういうパターンもあるのよ。私だって機械じゃないんだから」 「ちょっと考えられませんね。ロープに飛ぶのに、何歩で走るかまで気にしているあなたが、自分の得意技の手順をいい加減にしているなんて考えられません。 本当はあなたはいつものように右足からトップロープに上りたかった。でも、右足をかける側のトップロープは外れてしまうことを知っていた。あなたからすれば、ちゃんとコーナー最上段に立ったときにトップロープが外れる形の“アクシデント”が好ましい。マスコミに派手に書きたててもらうには、そのほうが見栄えがすると思ったんでしょう」 私は一度言葉を切った。パンジーは無表情で私の顔を見つめている。 「さらにぼくの疑惑を決定的にしたのは、例の“白覆面の予告状”です。あのマスクには、パンジーさんの香水の匂いがしました。香水はいつもつけている人の体臭と混ざって独特の香りになります。女性記者からあの白覆面を手渡されたとき、パンジーさんと同じ香りがした」 「変態よね。そういうの」 「そう考えると、パートナーのしのぶさんが毒入りコーラを飲んでしまった事件も疑うことができます。入院中の彼女に確認してきました。しのぶさんは節制、ダイエットと口にしているのに、あなたのコーラを飲むことは珍しくないそうですね。たぶん3回に1回はコーラのおすそ分けに預かってると本人が言ってましたよ。その事実を知っているあなたからすれば、彼女に毒入りコーラを飲ませることは容易だ。もし、あの日の試合後に飲まなかったとしても、タイトルマッチまでの1週間のいつかには飲ませる自信があったんでしょう」 私は部屋の隅のクーラーボックスに目をやる。 「これも先ほどの赤コーナーだけ緩めた件と疑惑が一致します。本当に『花摘み人』があなたに毒入りコーラを飲ませるつもりなら、どうして1本だけにしか毒を混入しなかったのでしょう。 たしかに試合後のあなたはコーラを何本も飲みます。でも、だからといって、せっかく控え室まで忍び込めたのなら、複数のコーラに毒を盛っておくほうが確実じゃないですか。1本だけに入れておいて、あなたが飲まなかったら、危険を冒した意味がない」 パンジーの表情には変化がなかった。しばらく私の顔を見つめていた後、大げさにため息をつくと立ち上がる。 「私は帰るわ。それだけ口が回るんなら、大丈夫そうね。今日はお疲れ様。そして、今までボディガードありがとう」 「『花摘み人』なんていないんです!」 パンジーの背中に投げた言葉が、彼女の動きを止める。 「いや、あなた自身が『花摘み人』だと言い換えてもいい。原型になる手紙はあったかもしれないけど、パンジー沙菜江を自分のものにしようと数々の違法行為をしたストーカーなんていない。 全てはあなたの自作自演だ!」 パンジーは私に背中を向けたまま、問いかける。 「どうして、私がそんなことをしなければならないの」 「あなたはぼくに言った。自分が女子レスラーになったのは“逆風で咲く花、逆境で輝く星”になりたいからだと。その不屈の精神力で、あなたはここまでの大スターになった。でも、あなたの心の底では、いつも渇望があったんです。逆境でなくてはならぬ、という渇望がね。人気が出て、悪役レスラーに勝てば勝つほど、あなたにとってはプロレスの試合が“逆境”に感じられなくなった。むしろ順風満帆だ。 そこで、あなたは団体所属を辞めて、フリー選手になった。厳しい環境に置いたつもりが、それでもあまり逆境にはならなかったんでしょう。ついに、あなたが手を染めたのは『悪質なストーカーに狙われながらタイトルマッチに挑む』という自分の妄想的逆境です」 パンジーがゆっくりと私を振り向く。プロレスラーの目だった。リング上で相手と戦うときの殺気が、刺すように私へと向けられている。自分の胸の恐怖を覆い隠すために、私は話し続けた。 「周囲の懸念と裏腹に、あなたは最高の気分だったでしょう。悪質なストーカーの襲撃、頼りないボディガード、タッグパートナーの戦線離脱、そして、トップロープが外れるアクシデントでの試合前の怪我……。まさに満身創痍で、逆境の中、タイトルマッチを迎えたあなたは、自分の仕掛けたアングルに酔っていた。 そして、その仕上げが今日の試合。ぼくというただの素人をパートナーに、あなたは孤軍奮闘。やっと勝機を見出そうというタイミングで、笹倉さんが白覆面を被って乱入。あなたの右足を攻撃して、それが敗北につながる、という話だったそうですね。もちろん、乱入者は『花摘み人』であると処理される予定だったと」 私は一息に話した。間を空ければ、パンジーに飛びかかられそうな気がした。「あなたの『花摘み人』が狂言だとわかったとき、共犯者がいるとすれば笹倉さんしかいないと思っていました。道理で、しのぶさんが毒入りコーラを飲んだときに、あまり動揺してませんでしたからね。そこで今日の試合前、笹倉さんに事実を聞いたぼくは、乱入をやめてもらいました。だから、今日の試合は、あの結果です。ちなみに、こんなにひどい目に遭ったのは、本当にぼくのせいなんです。なぜなら、ジャンクメイドのAさん、Bさんに、今話した推理を伝えましたから」 「何ですって……」 さすがにパンジーの顔色が変わった。 「どうしてそんな余計なことを……もう、私はプロレスを続けられないじゃない」 パンジーの言葉は、私の推理を裏付ける告白とも受け取れた。 「まあ、しばらくはわだかまりが残るかもしれませんが……。ただ、相当怒っていたジャンクメイドの人達が、ぼく達にメチャクチャな攻撃してきて、こっちも感情むきだしで力一杯やって……なんていうか、お客さん、盛り上がってましたよ」 私はリング上で何もできなかった。だが、観客のうねるような大歓声は、通常なら立てない場面で立たせ、耐えられない痛みをやわらげてくれた。 「パンジーさん、ひとりよがりの、自分だけが気持ちのいいストーリーなんて描いてはダメですよ。プロレスは相手があって初めて成り立つと教えてくれたじゃないですか。それに、あなたがファンのときに憧れた“逆境で輝く星”は、そんな安っぽいアングルの賜物ではなかったでしょう。そこに真実の光があったはずです」 パンジーの目の光が穏やかになっていた。 「これから、どうすればいいの」 「少なくても、しのぶさんに毒入りコーラを飲ませた件は、警察に届けている以上、事情説明に行く必要があるでしょう。その後は、パンジーさんの誠意次第です」 「バッシングの嵐だわ」 パンジーは自嘲気味に笑った。 「そのときこそ、逆境で輝く星になるんですよ。パンジー沙菜江さんならできます。リングの外でも強いプロレスラーであってください」 しばらくパンジーはうつむいていた。やがてクーラーボックスからコーラを二本取り出す。 「皮肉な話。私にとって石岡先生はボディガードでも、タッグパートナーでもなくて“対戦相手”だったわけね」 彼女の顔は吹っ切れたように颯爽と輝いている。コーラを一本渡しながら言った。 「この件が片付いたら、ちゃんと私とタッグを組んでもらうわよ。カズミちゃん」 「えっ、考えさせてください」 「まあ、それがカズミちゃんの逆境ってことね。では、これから私達を待つ逆境に……乾杯!」 私とパンジーはコーラの瓶をぶつけ合った。ボディガードとしても、タッグパートナーとしても頼りなかった私だが、パンジー沙菜江のプロレスラー魂の輝きだけは守れたような気がする。 |
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