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「石岡君、ビジネススクールで学ぶ」4 優木麥 |
| 「無敵のゴールデンコンビ復活、でいきましょー」 ロバートは私の肩を叩いてはしゃいでいる。一方の私はというと、複雑な気分だ。ビジネススクールで旧知の人間に出会えたのは嬉しいが、ロバートに対しては苦い思い出があることも事実だった。以前、大相撲のある部屋において、彼の大いなる勘違いに端を発して、私はそこの力士達と相撲を取らなければならないハメに陥ったのだ。ちなみに、そのときの私の四股名が、彼がさっき呼びかけた「鍋奉行」である。 「あのときは、ミーのタクティクスで、スモウレスラーをバッタバッタだったね」 「いえ、どうも…」 事実は、ロバートの授けてくれた戦略はなにひとつ役に立たなかったのだが、ここでそんな話を蒸し返しても始まらない。 「では、次のプログラムに移りますよ」 美香は板と、ゴムヒモと接着剤を取り出した。 「これは、ある有名な大学のMBAコースにおいて行なわれている思考トレーニングです。この三つの素材を使って、パチンコ玉をどれだけ飛ばせる発射台がつくれるかをチームによって競う。同じ条件だからこそ、チームワークと知恵が試されるんですね」 美香は再び教壇に立った。 「つまり、限られたヒト・モノ・カネによって、どれだけの成果が挙げられるかを見せてもらいたいのです。もちろん、我が校でも同様のプログラムがあります。それは、これです」 取り出したのは、小さくて白い三角形。美香は自分の手に持ったモノを私に示して質問した。 「ミスターイシオカ、これは何ですか?」 「オニギリですか」 「イエス」 美香はオニギリを齧る。 「まずは二人一組になってください」 生徒達はガヤガヤと動き出す。ビジネススクールの初日なので、さすがに知り合いがいる人間は少なく、誰とチームを組むのかをあちこちで交渉が始まっていた。おろおろする私の肩を叩く人間がいる。もちろん、ロバートだった。 「さあ、ゴールデンコンビ アゲインでいくネ」 私は曖昧にうなずく。 「やろうぜ、グッドパートナー」 十年来の友のようにロバートは私の肩を抱いて笑っている。本音をいえば、彼とのチームには期待よりもはるかに大きな不安があるが、見知った相手と組むほうが気分的にはラクである。それから五分ほどして、他のチームも出来上がった。 「ルールを説明しましょう」 美香は黒板に次々と書き入れていく。 「オニギリはこちらで用意します。同じ素材で、同じ大きさのものを相当数用意してあるので心配なく。ただし、中に入れる具は、みなさんで用意してください。その予算も決められています。1000円以内で具を用意してほしい」 生徒達は必死にメモを取っている。 「今からその具を加えたオニギリをこの学校の構内でそれぞれ売ってもらいます。タイムリミットは2時間。この学内ならどこで売ってもOK。値段も自由設定。そして、1万円の売上を上げることが、あなたたちのミッションです」 「ミッション?」 「任務、つまり使命です」 さすがにそれぐらいの英語の解釈は、ロバートがしてくれる。1万円を売り上げるためには、オニギリを何個売らなければならないのだろうか。オニギリ一個の常識的な値段としては、150円程度か。150円なら67個以上売らなければ1万円は突破できない。少し値段を上げて200円であれば50個。しかし、200円のオニギリを出すクオリティがあるだろうか疑問である。多少安めの値段で売るなら1個100円。ただし、これでは2時間で100個売らなければならない。 「では、レディー、ゴー」 美香の掛け声とともに各チームは一斉に動き出した。いずれにせよ、勝負の決め手は、具によって決まるのだろう。 「具のことを考えなければいけないでしょう」 私はロバートにそう言った。 「たしかに、そうネ。ちょっと待っていて」 ロバートは教室の外に出る。私はまだ考えていた。スタンダードなオニギリの具としてはシャケ、おかか、梅干などが挙げられる。ただし、その辺は、他のチームも押さえてくるだろうから、差別化を計るには、もう一工夫が必要だろう。単純に具の素材で差をつけるならば、豪華にするという手がある。多少奮発すれば、タラコということになるのだろうか。 思案に暮れているうちに、ロバートが戻ってきた。 「心配ないよ、イシオカさん」 やけに自身満々のロバートに私は非常に不安を募らされる。 「もう準備してあるからネ」 「準備したって……何を?」 「具に決まってるネ」 「もう買っちゃったの?」 「イエッサー」 ロバートはおどけて敬礼ポーズを取った。私は唖然とする。チームで動くのだから、最低限二人で話し合った末に行動すると思っていた。勝手に行動されては、チームワークもへったくれもない。 「日本文化の真髄を極めた、このミーにナイスタクティクスがあるんだけどね」 猛烈に嫌な予感だけが漂っている。とにかく、ロバートが用意した具を確かめなければならない。彼は白いスーパーの袋を示して見せた。 「サシミ…」 「さ、刺身」 私はのけぞりそうになる。オニギリの具に刺身。奇天烈なものになるのではないか。 「ツ、ツナのオニギリならあるんだけど…刺身かあ」 落胆の様子を隠せない私に対して、ロバートは笑顔で首を振る。 「ノーノー、ワイフ」 「ワイフ?」 拙い私の英語の知識でもワイフぐらいはわかる。妻のことだ。ロバートはついに自分の奥さんに助っ人を頼んだのだろうか。たしかに、こういう家庭料理に関しては、女性の力は頼もしい。しかし、生徒以外のメンバーの力を借りることは許されるのか疑問だ。私はそういう不正に対しては気が弱い。 「ロバートさん、気持ちは嬉しいけど、奥さんにサポートを頼むのはどうかと思う」 「ホワット?」 「そーだ。何の刺身なの?」 「あ、ハハ。何のサシミとは、ケッタイな質問ね。種類なんて関係ないよ」 「えっ、刺身は魚の種類によって違うんだよ」 「イシオカが、早とちりしたのよ」 「えっ、どういうこと?」 「サシミというのは、まだ言いかけよ。トチュー、トチュー」 ロバートの言葉はよくわからない。 「サシミ……のツマなのよ」 「え、刺身のツマなんだ」 「そうか、ツマなんだ」 ツマだから、ワイフという言い方なのか。まぎらわしいことこのうえない。そういえば、昔流行ったギャグに「シャコ」のことを「ガレージ」、「カッパ」のことを「レインコート」というものがあった。それはともかく、オニギリの具に刺身のツマはマズイ気がする。 「まだ予算が残っているんだから、正当な具を用意したほうが……」 私の提案にロバートは自信満々に首を振った。 「トッピングよ。トッピングを自由にさせれば、それぞれのお客さんのオリジナルなオニギリができるから人気抜群よ」 「ほぅー」 私は少し彼を見直した。確かに、巷で流行りのサンドイッチやベーグルなどもそうやって作られている。客が自分の好みで、調味料の量から、パンの間に挟む具材まで自由に選ぶらしい。 「なるほど。一理あるね」 「カスタマイズ・オニギリということで売り出せば、人気がバクハツ」 そう考えると、オニギリの中にある具は、刺身のツマのようにあまり味を主張しないもので正解だ。案外、ロバートは切れ者といえる。 「それで、どんなトッピングを揃えたの?」 「チョコ、ピーナッツ、生クリーム、レーズン、蜂蜜、ジャム、バター、チーズなど取り揃えたヨ。新しいテイストが話題を呼ぶネ」 私はアゴが外れるかと思った。それらの洋食のための調味料などでは、オニギリとの相性は、最悪。よほどの愛好家でない限り、組み合わせようがない。 ● 「ホワイ?」 ロバートは本気で売れると思っていたらしい。校門の入り口に近い場所で商売を始めた私と彼だが、案の定、売れない。恐ろしく売れない。当たり前だ。私でもこんなオニギリを買う冒険はしない。 「ノーノー、手はあるよ。イシオカ」 「いや、もう君のアイデアは……」 「これが目に入らぬカ」 ロバートが差し出したのは、写真だった。金髪の美しい娘が微笑んでいる。 「私の知り合いのミス・ジェシカ。この写真を貼りましょう」 「それで、どうするの?」 「そして、この〃手作り〃と書かれたキャッチコピーをもっと貼る。これで、お客さんから見たら、まるで彼女が握ったオニギリに見えるヨ」 「でも、実際は違うでしょう」 「ノープロブレム。別にジェシカが作ったとアピールするわけじゃないヨ。あくまで勘違いするのは、お客さん」 「そういう商売は、気が引けるなあ」 「売上に貢献するんだから大丈夫ヨ」 「でも……」 「イシオカさん、一個も売れませんでしたでは、話になりませんヨ」 私は抵抗感が拭えない。 「とにかく10個売りましょうヨ」 「とりあえず、10個を目標……」 「大丈夫。1万円の目標はクリアね。だって、一個1000円だからネ」 ロバートの言葉に私はドキッとする。 「なんで、そんなに値が上がってるの?」 「あと10分。タイムリミットは迫ってるのよ」 「だからと言って……」 「もし……」 声の方向を見ると、ズタズタの服を着た老人が校門の外に立っている。 「ひどくお腹が空いているのじゃが、握り飯をひとつもらえんかの」 ロバートは老人の身なりを見て顔をしかめる。 「ノン、これは売り物なんでね。買ってくれるのなら…」 「1個1万円で買おうではないか」 信じられない老人の言葉に、ロバートの表情が一変した。 「オー、イエス。お客様 イズ ゴッドです」 ロバートはお爺さんの手を握る。しかし、私には納得できないことがあった。 「1万円など受け取れません」 「おい、イシオカさん」 「当たり前だよ。それは違う。商売ではない」 私はオニギリを二つ掴むと、老人に手渡す。 「ゴメンなさいね。これ、タダで結構ですから、召し上がってください」 老人は微笑んだ。 「合格じゃ」 「えっ…?」 何のことか理解できない私たちの後ろで、美香が拍手をしていた。 「MBAコースには、どのビジネススクールにも倫理を教えるプログラムが組み込まれているの。単に経営の知識や、ノウハウだけ学んだって、それだけでは経営者として十分ではない。大切なことは、社会に対して感謝の気持ちを抱き、人に対する優しさを忘れないこと。ただお金儲けだけが上手な人間を作る気はないわ」 「美香さん……」 「タイムリミットよ」 私の胸には猛烈に感動が湧いていた。 「石岡先生、あなた達の売上がいくらであっても、このミッションはクリアね」 「本当ですか、やったネ。売上がゼロなのにクリア……」 「えっ、何ですって」 美香の顔色が変わった。私が説明する。 「あの……すみません。売上はゼロだったんです」 「そ、それはさすがに、ゼロでは……社長にはなれないかなあ」 美香は困惑していたが、私にとっては最初からわかっていたことであった。 |
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