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「石岡君、ビジネススクールで学ぶ」3 優木麥 |
| 「ウェルカム トゥ MBAコース……イン カラガラ・カレッジ」 トレーシーこと美香の挨拶は、私にすらあまり流暢に思えない英語だった。私をビジネススクールに勧誘に来た彼女が、その学校の教授だったとは、驚きである。それにしても、教授自らが生徒集めに奔走するというのはいかがなものか。第一、「断固としてミステリー作家の地位を向上させる会」はどうなっているのだろう。 「MBAとは基本的にヒト・モノ・カネを駆使して、いかにビジネス世界で経営者となるかを学んでもらいます」 挨拶以外は、日本語で説明を続けているので、私は一安心した。生徒に外国人が多いとはいえ、すべてを英語でコミュニケーションされたら、とてもではないが今日一日を過ごす自信がない。 「基本的に、経営学とは3つの要素で成り立っています。それは、マネジメントとマーケティング、さらにファイナンスですね。マネジメントは、広義の意味で経営学そのものも指しますが、主にヒトをどうモチベーションアップさせて管理するか。社長は一人でやるものではないですからね。次のマーケティングは市場をリサーチし、顧客のトレンドを掴んで、営業戦略に組み込むことです。あなたがいかなる商売をやるとしても、そのマーケットにあった戦略は必ずあるはずでしょう。最後のファイナンスは、文字通り、資金の管理。財務諸表や損益計画書が読めること。数字に弱い経営者は、起業一年で必ず行き詰まってしまいます」 美香は立て板に水の如く話しつづけていた。私は聞けば聞くほど、自分に無関係の世界に来てしまったという思いを強くしている。 「まあ、今回は一週間という短期間ですので、その中でもマネジメントとマーケティングの二つのプログラムをやりましょう。ファイナンスに関しては、正式に入学してからで十分です」 美香は黒板に大きく「マーケティング」と書いた。 「まずはゲーム感覚で考えてみましょう。最初にやるのはマーケティングのトレーニングです」 私はノートを広げて、必死に美香の言葉を書きとめている。それが後に役に立つのかどうかは神のみぞ知る、である。 「……というように、顧客のニーズを察知し、商品のメリットとデメリットを相手に訴えるわけです。口で言ってもいまいちピンとこないでしょうね。そこで、今からこの場でシミュレーション的にあるモノを売ってもらいます。何を売ってもらうかと言いますと、これです」 美香が取り出したのは、縦が60センチで横が25センチほどの木製の板。表面にはザラザラと幾筋もの溝が付いている。つまり、洗濯板である。 「これは、日本の伝統的な洗濯の用具で洗濯板と言います。ウォッシュ・ボードね。でも、現在では全自動洗濯機が全盛ですから、これを売るのは一苦労でしょう。しかし、誰が売っても売れる商品ではなく、売ることに工夫がいる商品だからこそ、それぞれの手腕が問われるわけです。さて、では、どなたにこれを売ってもらいましょうか」 美香は教室を見渡した。恐怖を感じた私は、彼女と顔が合わないように、うつむいていた。しかし、コツコツという足音が聞こえたかと思うと、私の机の前で立ち止まった。観念するしかないらしい。恐る恐る顔を上げると、やはり目の前に美香が笑顔で立っていた。 「ミスターイシオカ、プリーズ」 「は、はい……」 「さあ、あなたに売ってもらいましょう」 美香は私の前に洗濯板を差し出した。 「売れるかどうかは、売り方ひとつです。かつて、電動タイプライターが世を席巻したときのことです。もはや手動タイプライターは、時代遅れとして、見向きもされなくなっていきました。次々と手動タイプライターのメーカーは商売替えを余儀なくされていたのですが、ある商人だけは違いました。彼は、船乗りのところに営業に行ったのです。船の上では電動式よりも、電源の要らない手動タイプライターのほうが都合がいい。彼のアイデアは、そのメーカーに富をもたらしたそうです」 「は、はい……洗濯板も船乗りに売りに行けばいいでしょうか?」 私の質問に、美香は失笑した。 「今のはひとつのたとえ話です。つまり、需要というのは、探してみないとわからないということ。それに、売り込む相手は、この中の誰かにやってもらいます。あくまでもシミュレーションですからね」 美香が選んだのは、日本人の若者だった。 「ミスターモトヤ、あなたは中古車ディーラーで、従業員10人ほどの会社の社長です。そこへ、営業マンのミスターイシオカが来たという設定にしましょう」 本谷という生徒は椅子に座って腕組みをした。早くも社長らしい雰囲気を漂わせている。私は洗濯板を持って、彼の目の前に進んだ。周囲の生徒の目が集中しているのを感じ、緊張する一方である。 「あの……」 「私が社長ですが、何か御用でしょうか」 本谷は役になりきっている。その点、私のほうは心もとない。いや、実際に営業に行っても大して変わらないだろう。 「あの……洗濯板をお買いになりませんか」 「買いません」 にべもなく断られ、私は頭を下げて席を立った。 「はぁー、ダメでした」 「何を情けないことを言っているんです」 美香の顔は夜叉のようである。 「ミスターイシオカ。何の捻りもなく買ってください、では誰も買うわけがないでしょう。マッチ売りの少女だって、よく燃えて暖かいマッチです、と言いながら売っているんですよ。商品の特徴をアピールしないとダメです。ワンモアトライ」 解放されると思ったのに、せきたてられるように私は本谷の前の席に戻る。 「あの…洗濯に役立つ洗濯板をお買いになりません?」 「乾燥機付きの洗濯機がありますので、結構です」 私はすごすごと、また美香のところに帰るしかない。 「はぁー、ダメでした」 「ミスターイシオカ、洗濯板が洗濯に役立つことは、説明されなくてもわかるんですよ。もっと知恵を使いましょう。あらゆる商品に効能は書かれているものです」 美香はメモを私に渡す。しかし、数枚のメモにすべて目を通しているヒマはない。とにかく本谷のところに行き、一番上のメモの文章を読んだ。 「洗濯板は、濡れたままで放置しておくとカビの原因になってしまいます。使用後は風通しの良い場所に置いて、乾かすことを心がけてください」 「まだ買うと言っていないのに、そんなことを注意されても困ります」 社長役の本谷のツッコミに、生徒達はお腹を抱えて笑っている。私は赤面して、美香のところに戻った。 「ミスターイシオカ。大体、値段も言ってないじゃないですか」 こうなってくると、私は自分でも何を言っているのかわからなくなる。 「あの……この洗濯板は一枚1000円ですが、500円にオマケしますから」 「必要ないものは買いません」 「では、1枚300円では…」 「値段は関係ありません」 本谷には取り付く島もなかった。 「はい、ではそこまで」 見かねたのか、ようやく美香が私と本谷のこっけいな寸劇を止めてくれた。 「確かにこの時代に洗濯板を売ることは難しい。でも、絶対に売れないわけではないんです。例えば、高校の野球チームなどは白いユニフォームを強力な泥で汚してしまう。そのために手洗いをしているところも結構あるんです。あるいは、今回のように中古車の会社に売り込むのなら、社長に対して『手作業で洗っていた時代の苦労を営業マン達は知らなければいけない。そのツールとして社長から彼らに洗濯板を贈るというのはどうでしょうか?』ともちかけてもいいでしょうね」 「なるほど。勉強になりました。ありがとうございます」 精神的にはかなり披露困憊の私は美香に頭を下げて踵を返した。 「ミスターイシオカ、どこに行くんですか?」 「えっ、席に戻ろうと…」 「汚名返上しましょう。今度はあなたが、社長の役をやってください」 ● 今度は、私がシミュレーションで社長の役をやるそうだ。設定としては、インターネットで商売をしている会社の社長。年商5億の会社を経営している私のところに、さまざまな営業マンが来るという状況らしい。もちろん、営業マンの役をやるのは、みんな生徒である。 「営業マン役の人は、ありえないものを売りに来てください。石岡さんはその商談の矛盾をつくんです。では、レディー、ゴー」 最初の相手は、少し年配の男性だった。 「空飛ぶ円盤を売りに来ました」 「そんな…空飛ぶ円盤なんてあるわけないでしょう」 私は身構えて頑張る。しかし、相手は全く動じなかった。 「いいえ、あるんです」 「ダマそうったって、そうはいきません。ロズウェル事件も、エリア51も、みんな単なるウワサ話の類だと聞いたことがあります」 UFO関連の本は何冊か読んだことがある。しかし、有名な事件を否定されても、相手の反応に変化はない。 「その話は知りませんが、私は確かに空飛ぶ円盤を売りにきたのです」 「何を根拠に、そんなことを……」 「だって、私が作ったんですから」 「えっ…?」 「私が製作した空飛ぶ円盤を売りに参りました」 「あ、そうですか。それでしたら、是非とも…」 「ストップ、何を買ってるんですか、ミスター・イシオカ」 美香はあきれたように割って入ってきた。 「ダメでしょう。そんなに簡単に購入しては」 「すみません」 「ワンモアトライです。もう少し頑張ってくださいね。相手の話の矛盾をつくんですよ」 次の相手は、30代前半の男性だった。 「私が売りにきたのは、恐竜の骨です」 「要りません」 私は理由を聞かずに断る作戦に出た。 「まあ、話だけでも聞いてください。とにかく、これは、世にも珍しい恐竜の骨なんです」 「恐竜の骨ならどれも珍しいでしょう」 「それが、これは特別です。なにしろ、ふつうなら6500万年前に滅んだはずの恐竜が、こいつはほんの100年前に死んだばかりの骨なんですから」 「えっ、それはすごい」 「信じちゃダメー」 美香が悲鳴のような声で注意した。 「ミスターイシオカ、人がいいだけでは、ビジネスの世界で生き残れませんよ。次がラストチャンスです。相手の話をよく聞いて、矛盾点を探してください」 私は緊張しながら三番目の相手を迎えた。 「これからは映画ビジネスです。私はある作品の映画化権を委託されているんです」 「なるほど」 「名探偵御手洗潔シリーズの第一作『占星術殺人事件』です。どうですか」 「お断りします」 やりとりを見守っているギャラリーから「オーッ」という歓声が上がった。 「どうしてです。まだ映画化のされていない作品で、映画になればかならず話題を呼ぶはずで……」 私は相手にみなまで言わせなかった。 「だって、私がその作品の映画化権を持っているんですから」 「すばらしい」 「ブラボー、ナイスジョーク」 生徒達は口々に叫んで、拍手をしてくれた。私は当たり前のことを言っただけなのに、こんなに反応されて戸惑っている。前半にあれだけ失態をくり返したので、ようやく断れた私を称えてくれているのだろう。 「おー、ナベブギョー」 素っ頓狂で、場違いな掛け声が上がった。しかし、私はその声と呼び名に心当たりがあった。いや〃鍋奉行〃という四股名にかもしれない。恐る恐る、声のした方向に目をやった。やはり笑顔で立っていたのは、ロバートだった。 |
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