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「石岡君、早朝番組のコメンテーターに なる」2 優木麥 |
| 「毒舌でしたね石岡先生」 編集者の吉江が開口一番、そう言った。私はあわてて事の次第を説明する。今朝から出演することになった早朝のラジオ番組なのだが、事前に用意したコメントと、司会者の質問がズレていたため、私はトンチンカンな答えをくり返すことになった。いや、もっとハッキリ言えば、不適切なコメントの連発だったようだ。もちろん、私の本意ではないが、全ては番組が終了してから判明したことなので、いかんともしがたい。 「そうなんですか。まあ、怪我したアイドルにいい経験でしたみたいなコメントをなさっていたので、なんかおかしいなとは感じましたが……」 「こっちはイッパイイッパイで、とても気がつかなくてね」 「はあ。あの石岡先生……大丈夫ですか」 「えっ、何が…?」 「それ、シロップですけど」 吉江が指差したのは、私の目の前のカップだ。眠くて仕方がないので、眠気覚ましにコーヒーを頼んだのだが、いま私はシロップを入れていた。いつものクセでアイスティーを頼んだような気がしていたのだ。 「ああ、つい…ね」 「すぐにお代わりを注文します」 「いいよ。飲めないわけじゃないし」 吉江を手で制すと、私はシロップ入りのコーヒーを口にした。苦味と甘味がお互いを主張しあっている。 「差し出がましいですが、大丈夫ですか」 「うん。これはこれで飲めるよ」 「いいえ、コーヒーのことではなく、大丈夫か心配なのは石岡先生の体調です」 吉江は深刻な表情だった。 「徹夜しちゃったからね。一晩寝れば元に戻るよ」 「でも昨夜だけでなく、前から睡眠不足のように見受けられます」 「言われてみれば……」 確かにここ最近の私は、あまり睡眠を取れてない。ラジオに5日連続で出演するプレッシャーなどもあって、一週間くらい前から夜中の3時ちかくまで眠れなかったり、一度眠ってもすぐに目が覚めたりをくり返す夜が続いていたのだ。 「目がかなり充血していますし、隈もできています。少し休養されたほうがいいです」 「まあ、今日はこの打ち合わせが終わったら帰って寝るつもりだけど……」 「しかし、明日からまだ4日間のラジオ出演がありますし、お昼過ぎから寝れば、中途半端な時間に起きなければなりません」 「そうだけど……」 私は吉江が何を言いたいのかわからなかった。 「石岡先生、スリープ・カウンセラーという、眠りの専門家がいるのをご存知ですか」 「知らない」 「不眠で悩む人々に効果的なアドバイスをしてくれるそうですけど、石岡先生も相談してみたらいかがでしょうか」 「えっ、そんな大げさな……」 「このままではもっと深刻な事態につながりかねません。睡眠不足による免疫力低下から大病を患って入院、という最悪のケースも考えられます。是非ともお節介を焼かせてください」 真剣な目で吉江に訴えられて、私は渋々承諾した。 ●
「石岡先生、眠ることはあなたにとってどういう意味がありますか」白衣を着た神経質そうな男が、ソファに横たわる私に尋ねた。彼の名は、横河熟水(よこかわ・じゅくすい)。吉江に紹介されたスリープカウンセラーである。 「疲れを取ると言いますか……」 「甘い。そんな認識で18000回以上も眠ってきたのですか」 「えっ、1万…」 「あなたは、もう50年近く生きているわけだから、1年に365回以上ずつ眠ってきたと考えれば、優にそれだけの回数は眠っています。しかし、ただ眠るだけなら赤子でもできる。有意義に眠ってこそ、睡眠を取ったといえるのです」 「は、はい……」 「睡眠とはね石岡先生。身体の温度を下げることです」 「えっ…?」 「生物の身体は、起きて活動している間はつねに熱を発しています。脳も内蔵も、まるでエンジンのようにフル回転だ。その状態のまま何十時間も動かしっぱなしなら、オーバーヒートは必至。だから、定期的に機械のスイッチを切るように、人間の身体も睡眠によって熱を冷まさなければならない。ここまではわかりますか」 「何となく、ですが…」 「聞けば、あなたはこの1週間ろくな睡眠を取っていないそうですね。つまり、身体は熱を持ちっぱなし、動かせっぱなしに近い。相当の疲労が蓄積されていると考えられます」 横河の説明を聞いていると、だんだんと自分の身体が不安になってきた。 「この疲労を解消しなければなりません。つまり、早く身体のスイッチを切って熱を冷ましてやる必要がある。言うまでもなく睡眠です」 「は、はい…」 「とはいえ、ただ眠りこければ万事OKではない。あなたの身体は、いま3つの睡眠障害に陥っている」 横河が私の目の前に人差し指をつきつけた。 「み、3つもですか……」 「その通り。昼夜逆転に近い生活によって夜に眠れなくなった『睡眠リズム障害』、寝床に入ってなかなか眠れない『入眠障害』、さらに一度眠っても深い眠りになれない『熟眠障害』です。これらを併発しているあなたの不眠を改善するには、抜本的な解決法が必要なのです」 「あ、あの……ショックです。単なる睡眠不足と思っていたものですから」 まるで病名のようにいくつもの名前を挙げられると、私としては精神的にツラい。 「単なる睡眠不足? 不眠を軽んじるととんでもない目に遭いますよ」 「はい、すみません」 「眠らざるもの、食うべからず。睡眠こそ我が人生。なにしろ、人の一生の3分の1は眠っているのですから、決して侮ってはいけません」 「わかりました。気をつけます。それで、ぼくはどうしたらいいのでしょうか」 「まずは3日間、ぶっ通しで眠ってください」 「えっ、ええ……」 「何時に目を覚まさなきゃいけないとか、昼間は起きてなきゃならないとか考えるから、いつまでも疲れが取れず、熟睡できないのです。思い切って眠りつづけましょう。まとめてドカーンと眠るのです」 「いや、しかし……」 「果てしなく眠る。これが蓄積した疲労を回復するのにもっとも適した手段です」 「実は、毎朝5時過ぎからラジオ番組に出演しなければならなくて……」 「ほう、ご自分の身体と仕事とどちらが大切ですか」 「そうはおっしゃいますが……」 さすがに眠りたいからと言う理由で番組をキャンセルするわけにはいかない。 「ラジオ番組とおっしゃいましたね」 「ええ、そうです」 「では、こうしたらどうでしょう。テレビと違って本人の姿が映るわけではないのだから、生番組であってもあなたの声が流れれば問題ないのでしょう」 「まあ、そうかもしれません」 「それなら、事前にコメントを録音しておいて、誰かにうまく流してもらうんです」 「えっ、ええ…!!」 私は仰天した。そんな反則技が許されるのだろうか。 「私もよくコメンテーターの愚にもつかないコメントを聞きますが、要は当り障りのない言葉を羅列すればいいんでしょう。不祥事であれば、主語を消費者としてとか、国民としてなどを変えて、遺憾に思います。今後の成り行きを見守りたいです、とかね。おめでたいできごとには、本当に喜ばしい。私もあやかりたいですとか。いくつかのパターンを録音しておいて、質問に合わせて流せばいいんですよ」 「うーん。しかし……」 あまりにも気が引ける手段である。 「提案者の責任として私が協力しましょう。何かあれば、すぐに石岡先生を起こしますから」 決して心から賛同したわけではないが、何となく押し切られる形で私はコメントの事前録音を実行することになってしまった。 |
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