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「石岡君、ファミレス店長になる」4 優木麥 |
| スパイスGメン…? 一体、どういう立場の人なのだろう。だが、今の私には、とりあえずやらなければならないことがある。 「すみません。ちょっと先のお客様のオーダーを取っていいですか」 「わかりました。では、そこのテーブルでお待ちしています」 意外にも河合はアッサリと承諾してくれた。しかし、いくら彼でも先客が50人もいるとは思わなかっただろう。 ● 河合のテーブルに顔を出せたのは、彼が現れてから1時間後だった。50人のオーダーを取るのに30分、彼らに料理を出すのに30分。これでも、お客が私のために全面的に注文数を減らしてくれて、何とか成立したのだ。 「お疲れ様です。お一人で切り盛りされてるんですか?」 河合が心配そうに言う。私は「まあ今だけ」と曖昧に答えた。 「改めて申し上げますが、私は香辛料取締局、スパイスGメンの一員です」 「はい。スパイスを取り締まられているんですか?」 「そうです。中世より、スパイスはヨーロッパにおいて高額で取引され、その原産地を巡って戦争が起きるほど貴重なモノとされてきました。現代においても、ある特殊なスパイスに中毒性があることが判明しまして、輸入禁止、嗜好する事を違法行為としております」 「ぼくは知りませんでした」 当たり前の話である。私が飲食業界に関係してから、まだ2時間も経っていない。 「インドで発見された、その麻薬にも似たスパイスは〃ラーフラー〃と名づけられました。古いインドの言葉で〃障害〃を意味します。ゴータマ・シッダールタが修行の妨げになる自分の息子に名づけたとして有名ですね」 「えっ…誰ですか?」 「ゴータマ・シッダールタ、お釈迦様です」 「そのラーフラーを嗜好するとどうなるんですか?」 「多くのドラッグと同じです。精神がハイになり、一種の幻覚作用を起こします。そして、異常なまでに水を求める。そのうえ、ラーフラー無しではいられない体になってしまうのです」 まさに魔性のスパイスというわけだ。 「それで、そのラーフラーと当店が何の関係が…?」 私の質問に河合は顔を近づけて、声を潜ませる。 「我々の掴んだ情報によりますと、この店でラーフラーの取引が行なわれているというのです」 「えっ…そんな馬鹿な…」 私には驚天動地の話である。ラーフラーか、テンプラーか知らないが、その麻薬に似たスパイスをファミレスで取引すると言うのは考えにくいだろう。怪しげなディスコとか、港の倉庫で一目を忍んで行なわれるのが常套手段に思える。 「もちろん、我々も確たる証拠があるわけではありませんので、少し張り込み捜査をさせてほしいのです。責任者であるあなたにご了承いただきたい」 「なるほど…まあ、それは……」 断る理由は見つからない。河合にそのテーブルを提供することにした。 ● 悩んだが、私は木口を起こしてでも事の次第を伝えておこうと決めた。彼は3時間の熟睡を得るために「火事、地震、犯罪が起こる以外は、決して起こさないで」と私に釘を刺していた。その条件の中のひとつである「犯罪」の可能性があるのだ。本来の店長である木口の耳に入れておかなければならない。 「すみません。木口さん」 私は木口が仮眠を取っているオフィスのドアをノックする。中からの反応はない。3日間ろくに眠っていない体をようやく休めたのだ。泥のように睡眠を貪っているのだろう。しかし、ここは心を鬼にしてでも起こすしかない。 「木口さん。起きてください。問題があるんです」 最初よりも大きな声を出して、ドアを強く叩く。しかし、無反応だった。ドアはロックされているが、私は鍵を持っていない。そこで、私はシェフに相談をしてみようと、厨房に回った。 「すみません。相談したいことが……」 厨房にも誰もいなかった。 「あれっ…タバコ休憩かなあ」 私が厨房から出てくると、河合が立っていた。 「大きな声がしましたが、何か問題でも?」 「いえ、その…スタッフがいなくなって」 「オフィスはどこです」 河合の反応は素早かった。オフィスのドアを遠慮なく叩く。 「開けてください。スパイスGメンです」 ガチャッ。中からロックが外れ、ドアが開かれた。私は出てきた人物の顔を見て驚く。 「えっ、あなたは誰ですか?」 木口ではなかったのである。だが、その人物も私と同様に驚きの表情を見せた。 「あなたたちは一体…?」 「木口さんはどうしたんですか?」 詰問調の私の質問に、オフィスから出てきた人物は怒ったように答える。 「私が店長の木口です」 ● 「ランチタイムがないですって…?」 今日何度目かの驚愕の事実を知った。このファミレス「アングリーワイフ」の営業時間は夕方5時から翌朝の5時まで、ランチタイムの営業はないという。 「毒蛇が潜んでいるなんて妙なうわさのせいで、地元の人はほとんど足を運んでくれないんです。だから、ランチの営業をすると赤字がかさむばかりで、もう半年前から夜の部だけの営業に切り替えています」 本物の店長である木口が言った。 「お冷をくれ」 隣のテーブルで老人客が怒鳴る。私の頭は混乱していた。 「じゃあ、ぼくが出会った木口店長は…?」 「真っ赤なニセモノでしょうな」 スパイスGメンの河合が答える。合理的な解釈だ。 「でも、なんで店長になりすましてまで、無意味なことを…」 「無意味ではないでしょう。きっとラーフラーの取引をしていたはずです」 「ラーフラーって、非合法スパイスの? ウチの店でそんなマネを…」 木口が言葉を失う。彼にはショックな事実のはずだ。 「つまり状況を整理すると、木口さんが夜の営業を終えて睡眠を取っている昼間、客が寄り付かないことを利用して、犯人は店内でラーフラーの取引をしていたのです。さもカレーを供しているように見せかけてね」 「でも、河合さん。なぜその犯人は、ぼくに店長代理を依頼したのでしょう」 私にはわからないことが多い。隣のテーブルでは、お冷やのコップを持って長髪の老人が立ち上がっている。 「今日、スパイスGメンが取り締まりに来るという情報を掴んだのかもしれません。そのため、ニセモノのニセモノが必要になった」 「悔しいですね。この奥様仰天のアングリーワイフが、犯罪の温床だったなんて…」 「木口さん、いま何とおっしゃいました?」 私は彼の言葉が引っかかった。 「えっ、ウチのキャッチフレーズですよ。奥様仰天、美味しすぎてアングリ、ワイフって」 「そうですか、外食天国アングリーワイフ。美味しすぎて奥様のお仕事がなくなると怒り出すからアングリーワイフへ…ではないんですか?」 「まさか、そんな不謹慎なフレーズでは、お客様に失礼です」 私にはひとつの謎が解けた。ニセ木口は、口上を変えることにより、ラーフラーを求めてくる客と、一般の客とを見分けていたのだ。ラーフラーの客は「怒り出すから」の口上に反応する合言葉があるのだろう。 「たぶん、コブラをこの一帯に放したウワサというのも、犯人一味の仕業でしょう。ファミレスの店内が一般客で溢れていたら、取引しづらいですから。でも、なぜファミレスという場所で取引しなければならなかったのか」 「スパイスはミックスしないと風味や効果が十全に発揮されないんです。ラーフラーも同様で、その調合をするのに、この店の厨房が適していたんでしょう」 そう説明すると河合は悔しそうに手を叩く。 「せっかく情報を得たのにあと一歩で逃げられてしまった。次の機会はないでしょう」 「さあ、それはどうでしょうか」 私は隣のテーブルで「お冷やをくれ」と怒鳴っている長髪の老人を指差した。 「犯人なら、そこにまだいます」 ● 「一体、どうしてわかったのですか。石岡先生」 テーブルを引っくり返すほどの捕り物帳が終わった後、河合は私に尋ねた。 「ラーフラーを嗜好した者は、異常に喉が渇くと聞いていましたから。それに、50人が51人になっていれば、1時間も給仕した人間はわかるもんです」 犯人は、このファミレスのシェフの田口だった。自分の職権を利用して、閉店時間中にラーフラーの取引をしていたのである。 「素晴らしい。石岡先生の今回のお働きには感謝に耐えません」 河合にそう言われても、私はピンとこない。 「そもそも、なぜ閉店中のこの店にお入りになったのです。悪の匂いを感知されたわけですか?」 「いえ、とんでもない。あまりに太陽が暑かったからです」 頭が十分に働かず、閉店中のプレートが見えなかっただけだ。そんな恥かしい理由だが、河合は感心したようにうなずいて言った。 「理由は太陽が暑かったから…。なるほど。カミュの『異邦人』ですか。さすがに文学者でいらっしゃる」 あまりに過大な誤解を受けて、私はうつむくしかない。 |
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