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「石岡君、ファミレス店長になる」3 優木麥 |
| 3時間限定とはいえ、私はファミレスの店長になった。つい5分前までは思いも寄らなかった事態だ。本来の店長である木口は、人件費のコストを下げるために、身を粉にして働きつづけたらしい。24時間営業のファミレスで、この3日間、一度も自宅に帰っていないという。よくコンビニを始めた店長も似たような状況に陥ることがあると聞く。アルバイトを使うより、1分間でも長く自分が店に出ればいいと頑張るのだ。しかし、ファミレスとコンビニの店長では、根本的に二つの点が違う。コンビニの店長の多くは、自分自身が店長という現場の責任者だけでなく、その店の経営者でもあるのだ。それに比べて、ファミレスの店長の多くは、サラリーマンである。その店舗がクローズドの憂き目を見ても、自身が路頭に迷うリスクがない代わりに、少々売上を上げたところで金銭的な見返りは少ない。 そして、もうひとつの違いは、コンビニ店長は店舗が自宅兼用であることが多く、休憩時には帰宅時間というロスタイム無しにくつろぐことができる。だが、ファミレス店長の場合、まさかファミレス店舗が自宅である人はいないだろう。必然的に、通勤時間が生じて、その分、睡眠時間も削られてしまうというわけだ。木口が3日間も家に帰れなかったのは、そのためである。通勤時間を使うぐらいなら、ソファに横になって体を休めたいというのが本音だろう。 別にファミレス店長がキツいと言いたい訳ではない。ましてや、私はまだ店長代理を任されてから3分間ほどしか経過していない身だ。どちらの店長であっても、優秀なスタッフを多く育てれば、自身の負担は軽くなる。いくら閑古鳥が鳴いているからと言って、ランチタイムに店長一人というシフトは無謀に過ぎる。木口が目覚めたら、やはりアルバイトを使うことを進言しよう。 客の立場の私は、ファミレスの愛用者であった。雰囲気のいい落ち着いた喫茶店も好むが、別の意味でファミレスも愛着がある。ついふらっと入るにはファミレスが都合がいい。知らない土地で喫茶店に入るのは情報が少ない分、要らぬ緊張を強いられる。以前、仙台で夕方、喫茶店で紅茶を飲んでいたら、いきなりカウンターにケバケバしい女性が入ってきて、照明も私には毒々しいライティングになってしまった。聞けば、その店は午後6時を境に、スナックへと変わるらしい。事態が把握できるまで、私はぼったくりバーならぬ、ぼったくり喫茶店にでも迷い込んでしまったのかと生きた心地がしなかった。 話をファミレスに戻せば、オムライスやエビフライ定食がむしょうに食べたくなって入るのにも、ファミレスなら目に付いたチェーン店で何のメニューがあるかバッチリわかる。里美に言わせると、私はファミレスが好きなのではなく、単に「オムライスとエビフライ定食」が好きなだけだと笑うが、まあどちらでも構わない。 時刻は1時半を回っていた。通常、ランチタイムが2時までの店ならそろそろオーダーストップになる頃だ。もちろん、この「アングリーワイフ」では、そんな慌しさはない。大体、今日は何食のランチが出たのか怪しいものである。 「厨房が美味しいものを作ります。その料理を美味しいようにお客様にお出ししてください」 本物の店長である木口はひと言だけ、そうアドバイスして奥に引っ込んだ。私はそんな機会は訪れないのではと高を括っていた。自動ドアが空く気配がする。目をやると、ひとりの老人が笑顔を称えて入り口に立っている。 「あんれ? 誰もおらんのかい。休業なのかいな」 ファミレスに誰もいないという状況は異質なので、オープンの印象が薄い。私は軽い緊張感を抱きながらメニューを手にした。ようやく仕事だ。老人に負けずに笑顔を作ると、ファミレスの例の言葉を口にした。 「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」 老人は首を横に振った。一人ではないらしい。最初の接客なので、できれば一人が望ましかったが、それは私の都合である。 「あ、お連れ様がいらっしゃるんですね。皆様で何名様ですか?」 「50人!」 老人の言葉は耳に入ったが、私には瞬時に理解できない。 「あの……何名様ですって?」 「50人じゃよ。同窓会で箱根旅行に行った帰りなんじゃ。こんなに空いててよかったぞい」 老人は入り口の外に向かって両手を大きく振った。この店に入れるぞという合図だろう。 「あ、あの…あの……」 私は文楽の人形のように口をパクパクと動かす。声が出たとしても、何と言えばいいのだろうか。50人は多すぎると断ることなど許されない。 「よかった。予約もしないでみんなで入れる店が見つかるなんてねー」 「みんなの心がけがよかっただよ」 高齢の男女が次々と店内に入ってくる。今まで私一人だったのがウソのような喧騒に包まれた。 「いらっしゃいませ…いらっしゃいませ……」 ひたすら私はうわ言のようにそうつぶやく。50人のグループ客は、店側としては天与の恵みとさえ言えるだろう。しかし、私個人としては悪夢以外のなにものでもない。なにしろ、1対50で接客するのである。 ● 「ちょっと、さっき頼んだ分はまだかい?」 「お代わりは待ってえな。ワシらのテーブルは、まだお冷やが届いとらん」 私は泣きそうであった。もしできることなら、この店から逃げ出したい。やはり50人を相手に一人で接客するのは無理がある。ましてや、私はほんの10分前からこの仕事を割り当てられたばかりなのだ。しかも、50人の老人達は5人ずつなど均等に座っているわけではない。少ない人数のテーブルは2人など無秩序に20卓近いテーブルに分散している。メニューとお冷やを配り回るだけでひと苦労だ。これで口々にオーダーを始められれば、私はトラックの荷台に載って大阪まで行く方を選ぶ。その選択を迫られる状況もよくわからないが、それだけ私の頭がパニックになっている証拠だろう。 「店員さん、オムライス。大盛りで」 「なに勝手に注文してるんだ。こっちからやってくれよ。佐々木さんは官僚のOBなんやぞ」 「あ、庶民は後回しかい」 「ココアが体にいいんやて 」 「これ以上、長生きしたら息子の嫁はんに嫌われるで」 まるで他人事のように私は彼らの言葉を聞いている。オーダーを紙に書くなんて状況ではない。 「日本茶はないのかのー」 「あるわけねえべ。ここはオシャレなブティックやから」 「兄さん、ブティックやないよな」 隣のテーブルから話しかけられた私は「はい」とうなずく。 「ブティックはアメリカの大統領の名だって。ブティック大統領」 付近のテーブルからどっと笑いが起こった。 「クリームソーダ、氷は要らん。冷たくせんでな」 「じゃ、ワシはアイスティー。ティー抜きで」 「氷だけやんか」 喧騒の中で私はまるで案山子のように立ち尽くしている。この人たちのオーダーを全てかなえることができるのだろうか。 「玄さん、カレー食ってみんか?」 「食い切れんよ」 「二人で一皿食ったらええがな」 「福神漬けをサービスしてや」 「いえ、あの……エスニックカレーですので…」 かろうじて私は反論する。店長どころか、新米の店員の働きさえできていない。 「兄さん、こっちこっち」 向こうのテーブルで私を呼ぶ声がする。ふらふらと熱病にうなされた人間のように私はそちらに近づく。 「みんな勝手なことばっか言ってすまんなあ。兄さんを困らせてるだけや。こっちのテーブルはオーダーをまとめたから」 温かい言葉だった。私は思わず「ありがとうございます」と頭を下げた。 「注文はな、アイスコーヒー200杯!」 私のペンを持つ手が固まってしまった。またもや、周囲で爆笑が起こる。このままの状況がいつまで続くのか。そんな混乱の状況で、さらなる客が現れた。自動ドアの開くチャイムを聞いた私は卒倒しそうだった。スーツ姿に口髭を生やした男が足早に私の元にやってくる。 「この店の責任者にお会いしたい」 「あ、あの……一応、いまは私が…」 「店長ですか。よかった。内々にお話があります」 「あなたは一体…」 「香辛料取締局、通称スパイスGメンの河合と申します」 |
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