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「石岡君、限定販売にハマる!」4 優木麥 |
| 「レアカラーって何?」 またしても聞き慣れない言葉を耳にした私は稲田に尋ねる。 「先ほど今回のフィギュアには“彩色版”と“白黒版”の2種類があると説明しました。これをノーマルカラーと呼びます。しかし、製品によってはさらにスペシャルなバージョンを含むことがあるんです。たとえば、ほんの少しだけ造形を変えたり、あるいは色塗りを変えたりね。石岡先生が出したこのフィギュアは、その“レアカラー”に分類されます」 淀みなく答える稲田の手は止まらない。 「これがレアカラーねえ」 私は目の前にある『ブナ屋敷の怪』のフィギュアを眺めた。黒い大きな犬に襲いかかられるホームズのデザインだ。 「これは見ようによっては『バスカビル家の魔犬』バージョンにも見えるじゃないですか。いいモチーフですよ」 稲田は興奮している。私は胸に沸いた疑念を吐き出さずにはいられない。 「でもさ、構図は同じなんだから、単なる色違いだよね」 「な、何を言うんですか」 稲田の顔色が変わった。ものすごい怒声に私は思わず身を退く。 「レアカラーですよ。石岡先生、まなこを開いて見てください。限定発売よりももっと価値があるかもしれないのに……」 「いや、ぼくにとっての価値というのは……」 「まだ石岡先生はコレクターの初心者だからわからないんです。レアなフィギュアを手に出来たのなら、大事にしないと。運が逃げますよ。せっかくのラッキーな展開を無駄にしてはいけません」 「はあ……」 それ以上反論するのは避けて、私はフィギュアの開封作業に戻った。 ● 「ひと通り回って偵察してきます」 私の分の3倍近くある分量をフィギュアとチョコに分類し終わった稲田が立ち上がった。 「偵察…?」 「市場を把握しておかないと、トレードのレートがわからないですから」 「えーと、それはどういうことなの」 私には稲田の使う言葉は外国語に聞こえる。 「これからトレードを始めるんですが、どのフィギュアが出にくくなっているのかを確認しておかなければなりません。その状況によって、通常1:1で行なわれるトレードのレートが1:2、あるいは1:3にまで上がります。そこを事前に把握しておくために偵察が必要なんです」 「なるほどね」 私はわかったようなわからないような気分だが、稲田に任せておけば間違いないだろう。 「それから、石岡先生。私が戻ってくるまでトレードは始めないでください」 「えっ、……交換のことだよね」 「そうです。まだ状況が掴めないときに持ちかけられるトレードは、こちらが不利になるレートの場合が多いんです。気をつけてくださいね」 「わかった」 稲田はメモ帳を片手に出かけていく。私は自分の分のホームズフィギュアを眺めていた。よく出来ている。とても150円のチョコのオマケだとは思えない。これをデスクのパソコンの周りに並べたら、さぞかし壮観だろうと思う。 「おー、やってますねー」 感慨に耽っていた私は、目の前に立った人物が声をかけるまで気づかなかった。 「あ、はい……」 「引きの調子はどうですか?」 私の前にはダッフルコートを着た黒ブチメガネの若い男が立っている。 「いえ、まあ、そこそこ……」 「何かご入り用のものはございませんか?」 男は小箱を私の前に差し出す。そこには、整然と番号を振られた12種類のホームズフィギュアが並んでいる。 「おー、すごい。コンプリートじゃないですか」 私は覚えたての言葉を使った。 「ええ。お好みのモノとトレードしますよ。不足してるバージョンはないんですか? 何でも希望を言ってみてください」 男の言葉は私にとって甘美だった。実は3ボックス分、つまり30個のフィギュアを手にした私だが、唯一『銀星号事件』バージョンだけ彩色版がないのだ。美しいサラブレット銀星号の首筋を撫でるホームズのモチーフ。このフィギュアは雑誌で写真を見たときから美しいと感じ、所有欲を刺激されていた。それが、いま目の前に提示され、手に入れることが出来る。私にとって嬉しい誘いである。 「じゃあ、お言葉に甘えて……。これを」 私は小箱の中の『銀星号事件』バージョンを指差す。 「オッケー、オッケーですよ。トレードしましょう」 「あ、トレードですよね」 私は弾んでいた気持ちが萎える。トレードはお互いに足りないフィギュアを交換することである。この男は12種類のフィギュアをすでに持っている。私から彼に与えられるフィギュアはない。 「ぼくのほうはあなたに喜んでもらえるフィギュアが……」 「いや、いいんですよ。1:3のレートで交換ではどうですか」 「うーん。そうですねえ」 私は考え込む。自分だけが得をするようで気が引ける。せっかくトレードをするのだから、相手にも喜んでもらいたい。そう考えると、手持ちの中のあるフィギュアが浮かんだ。 「これはお持ちですか」 私が見せたのは、先ほどの『ブナ屋敷の怪』のレアカラー版だ。 「おっ、おおー。いや持ってないですけど……」 男の目の色が明らかに変わった。私は相手が望むものを示せて嬉しくなる。 「では、これと交換しましょう」 「ちょ、ちょっと待って。本当にいいの?」 動転したのか、相手の口調が変わる。私はうなずいた。 「そんな、でもノーマルバージョンとレアカラーを交換するなんて……。あとで騙されたとか言わないでくださいよ」 「もちろん。納得しています」 私は『銀星号事件』を手にした。白銀のサラブレットをカッコよくデザインしてあってうっとりする。 「本当にありがとうございます。いい人にめぐり会えてよかった」 男は立ち去る。私は気分のいいトレードが出来て大満足だった。 ● 「こ、交換しちゃったー! レアカラーをですか?」 偵察から戻ってきた稲田は、私から事のてん末を聞いた瞬間、顔面が蒼白になる。その後、興奮して紅潮してきた。 「どいつですか。純真な石岡先生からレアカラーを騙し取った野郎は…?」 「いや違うんだよ稲田君。ぼくから言い出した取引だから」 「そんな、ありえないです。レアカラーは、完全に運なんですよ。条件次第では全員の手に入る限定発売分よりも価値があるんです。それをノーマルバージョンと交換するなんて、ありえない。絶対に騙されてる」 「いいの。ぼくはもう『ブナ屋敷の怪』バージョンは持ってるじゃないか。あれは単なる色違いに過ぎない。ああ、そうだ。限定発売分のフィギュアを見ようよ」 購入分の確認作業を優先して、まだ開封していなかったのだ。 「どんなデザインなんだろ。カッコいいホームズなんだろうなあ」 私はワクワクしながら箱を開けていく。 「えっ、あれ?」 出てきたのは、美術学生が人体のスケッチに使うような木型の人形である。 「なに、これ?」 「空家の冒険のときにホームズが身代わりに使った人形です」 「ええー、こんなの要らないよ。ホームズじゃないし」 「石岡先生、限定販売なんですよ」 「稲田君。ぼくには限定だからとか、レアカラーだからとかあんまり関係ないなあ。ぼくの価値観で気に入ったフィギュアに一番価値があるから」 「いや、でも……」 「君がスペシャルだよね、銀星号!」 私は手にしたフィギュアに語りかけて、ニコッと笑った。 |
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