![]() |
||
|
|
|
|
「石岡君、限定販売にハマる!」3 優木麥 |
| 「1カートンって何?」 私には聞きなれない言葉だった。稲田は百貨店に向かう途中で「1カートン買いですよ」と興奮していた。 「チョコの箱が10個入りのものを1ボックスと呼びます。これが8ボックス入ったダンボール箱をカートンというのです」 「ちょっと待って。じゃあ、1カートン買うってことは、80個のチョコを買うってことなのかい」 「そうですね」 「多すぎるよ!」 私は思わず声をあげる。これから稲田と共にダリアン製菓から発売される『よみがえる名探偵フィギュア』シリーズのチョコを買うのだが、1人1カートンまでと制限がつけられているらしい。だが、初心者の私にとっては10個入りの1ボックスで十分である。 「80個なんて絶対買わない。そんなに買ったらお菓子屋さんが開けるよ」 「では、いくつにします?」 「1ボックス。だって、フィギュアの種類は6種類なんだよね。それなら、10個入りを買えば揃うからいいよ」 「甘い。石岡先生は、なにもわかっていない!」 稲田は眉間にシワを寄せて怒鳴った。路上で行き交う人々が私たちを怪訝そうに見ている。 「ダリアン製菓のアソートは結構シビアですよ」 「アソートって……?」 「このシリーズはブラインドですから、アソートが極悪だと1ボックスで半分ぐらいしか揃わない可能性だってあります」 声を荒げる稲田を私はなだめるように話した。 「その、アソートとか、ブラインドの意味がわからないんだけど……」 「あ、すみません。石岡先生は初めて食玩を買うんですものね。ブラインドというのは、商品を購入して開封するまで、オマケが何なのかわからない方式です。つまり、欲しいオマケがある人なら目当ての物が出るまで買うしかない。ましてや、コンプリートを狙うなら……ああ、コンプリートというのは全種類をそろえることですね」 「うんうん。それでアソートというのは?」 「ボックス、あるいはカートンの混入率です。たとえば、仮に10種類のオマケがあるシリーズがあったとして、1ボックスの10個が10種類そのまま入っていたら、これは最高のアソートです。しかし、現実にはそんなことはない。10種類中、7種類が普通で、下手すれば6種類なんてアソートもありえる。ダリアン製菓は混入率が5割なんてこともめためたあるので、要注意なんです」 経験者らしく稲田は説明してくれた。私はうんうんとうなずいたが、すぐに自分の頭に閃いたことを口にする。 「そうだとしても、今回は別だよ、きっと」 「どうしてですか」 「だって、このホームズフィギュアは全6種類なんでしょ? 極悪のアソートだったとしても、半分て3種類しかないことになるよ。10個のフィギュアが3種類で占められてるなんて、それはありえないよ」 私の疑問に稲田は意味ありげに笑っていた。 「石岡先生は、先ほど雑誌の紹介記事をご覧になりましたよね?」 「うん。見たけど……」 「肝心なことを理解してないみたいです。もう一度お見せしましょう」 稲田は先ほどファストフード店で眺めたホビー雑誌を取り出すと、件のページを広げて私に渡す。「四つの署名」や「赤毛連盟」、「銀星号事件」「まだらの紐」などにバージョンと名づけられたカラフルなホームズフィギュアの写真が並んでいる。 「えっ、何が問題なんだろう。わかんないけど……」 「この文字を見てください」 稲田が指差す箇所には、こう記されていた。 『なお、この商品はそれぞれ“彩色版”と“白黒版”の2パターンがあります』 目を通した私には、しばらく意味がわからない。しかし、稲田がニヤリと笑っているのを見て、事態を飲み込む。 「えっ、まさか……」 「そうですよ石岡先生。フィギュアのポーズに関しては、確かに全6種類です。でも、それぞれにカラーで色が塗られた“彩色版”と、2色の“白黒版”が存在しますから、実質は倍の12種類と考えるべきなんです」 「そ、そんなバカな……」 私は一瞬、頭がクラッとした。6種類なら簡単に集められそうなイメージだったが、12種類となれば、かなり大事だ。いや、単純に計算して、最高のアソートだったとしても1ボックスではコンプリートできない。 「12種類なんて……」 「先ほどの話に戻しましょう。ダリアン製菓の極悪アソートで3種類のフィギュアが、2タイプずつ入っていれば6種類と言えなくもありません。それなら十分にありうる混入率ですよ」 「1ボックス、つまり10個買っても実質半分しか入手できない可能性があるわけか」 「それに、3ボックス以上買わないと、限定発売分を買う権利が発生しないんです」 「えっ、例の『空家の冒険バージョン』かい」 私にとってはホームズ復活の名作『空家の冒険』のフィギュアは是非とも欲しいところだ。もちろん、他のフィギュアも揃えたい。 「せっかく朝早起きをしてここまで辿り着いたのに、肝心の限定発売分を買わないのではもったいないですよ」 「確かになあ……」 結局、私は3ボックス買うことに決めた。 ● 「赤毛連盟バージョンはダブるなあ」 私は4個目のフィギュアを手にしてボヤいた。ロンドン主要銀行のひとつのシティー支店の地下で、トランプを手にするホームズである。 「でも、このモチーフは選択ミスだと思う」 私はまじまじと『赤毛連盟バージョン』のホームズフィギュアを眺めてつぶやく。 「なぜです」 稲田の開封作業は手早い。慣れた手つきで箱を開けるとチョコの小袋とフィギュアを分けて紙袋に入れていく。1カートン購入した稲田はすでに1セット、コンプリートできている。 「この『赤毛連盟』の話では、ホームズはトランプをやらないんですよ。一緒に地下に潜むカード好きの頭取のためにトランプを用意してくるんですが、灯りをつけると犯人に気づかれるということで中止にするんです。それなのに、なんで、こんなポーズにするのかなあ。もっとカッコいい場面を選んで欲しいのに……」 「石岡先生……」 稲田が手を止めて笑っていた。私は彼に尋ねる。 「どうしたの?」 「いやあ、なんかハマッてくれたなあと思いまして。ダブリをボヤいたり、フィギュアの出来についてこだわるなんて、立派なコレクターですよ」 「いや、まあホームズは特別だからさ」 「それで、コンプリートは難しそうですか?」 「白黒バージョンばっかり出るんだよ。彩色版が欲しいのに……」 「色を塗るコストの問題で、白黒版を多く混入させるというのは、多くのメーカーがやっていることです。まあ、だからこそ彩色版が出たときに嬉しいわけですしね」 「ねえ稲田君。先に『空家の冒険バージョン』を開封して眺めたいんだけど……」 私はついに限定発売のホームズフィギュアを手にしたのだ。 「駄目です」 稲田はにべもなく言った。そうやって話す間も、彼の手が止まることはない。 「もうすぐトレードが始まります。勝負は序盤で決まるんです。このアソートなら、皆が欲しがるものは似たようなフィギュアになります。だから、まだ皆が欲しいものを手に入れてない時期に、こちらの取引を持ち掛けないと無理です。今は石岡先生の3ボックス分の状況を把握することが先。何が足りないのか、何を交換に出せるのか。それが終わってからゆっくり愛でましょう」 「なるほどね」 私は再び開封作業に戻る。今度出てきたのは『ブナ屋敷の怪』バージョン。しかし、色がおかしかった。ホームズはカラーなのに、挌闘している犬の色が黒なのである。 「稲田君、これさあ……」 私が掲げたフィギュアを見た稲田の顔色が変わった。 「え、そんなバージョンもあったのか。まさか、レアカラーじゃないですか!!」 まるで埋蔵された財宝を見つけたかのように、稲田は喜んでいる。私にはさっぱり意味がわからない。 |
|
| Copyright 2000-2004 Hara Shobo All Rights Reserved |