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「石岡君、ゴルフコンペに参加する」2 優木麥 |
| 「ゴルフは自然との戦いでもあります」 タクシーの中で、西尾が説明する。私がゴルフの練習場に行くことを承諾したため、彼の表情は晴れ晴れとしている。 「元々、ゴルフの発祥は14世紀の後半、羊飼いの遊びから発展したものだと言われています。スポーツとして体系化したのはイギリスですけどね」 「西尾さん、あの……」 私には釘を刺しておかなければならないことがあった。確かに練習場への同行はするが、そこで10球だけ打った後は、こちらの自由意志で続けるか続けないか、つまり2週間後のゴルフコンペに参加するかどうかを決めるという点である。 「石岡先生、ゴルフをただ穴に入れるまで打つだけの単調なゲームだと思っておられませんか?」 「えっ、いや、その……」 「先ほど申し上げたように、ゴルフは自然との戦いです。ご存知ですか? プレイする場所は、手入れされた芝生の上だけではありませんよ」 「は、はあ……」 一度火が着いた西尾のゴルフ談義は止まるところを知らない。 「石岡先生がイメージされる芝生の部分以外にも、バンカーと呼ぶ砂に覆われたくぼ地があります。またウォーターハザードといって池や川などの水域も設けられているのです。当然、これらのエリアにボールが入り込めば、ハンディになるし、技量を問われる。しかし、その自然の中で孤独にボールを……」 「西尾さん、ちょっとすみません」 私は強引に彼の話を遮った。 「はい、何でしょうか」 「確認させてほしいのですが、ぼくがボールを打つのは10球だけで、それ以上は、ぼくの意思で辞めるも続けるも自由ということでよろしいですね」 「ええ、もちろんです。ただ……」 西尾が意味ありげに笑う。 「その10球は、ちゃんと私の指示に従って打つということを約束してください。私の指示に関わらず打って、球数をこなしたから終わりというのは、アンフェアですから」 「まあ、わかりました」 本音をいえばやりたくないことなので、10球を打つ前から私の中では結論が出ている。ただ形式的に、西尾の顔を立てるだけだ。 「さあ、ここが練習場です」 何度も来ている西尾はすぐに受付を済ませると、私を練習場に誘う。 「まずはクラブの握り方からお教えしましょう」 西尾は私にウッドクラブを渡す。 「スクエアグリップといって、最もベーシックな握り方です。私のマネをしてみてください。まず左手の親指をシャフトの真上に伸ばす。そうです。その親指とシャフトを包み込むように右手で握ってください」 言われたとおりにした。 「いいですね。石岡先生、飲み込みが早い。筋がいいですよ」 「そうですか。いやあ、まあ……」 めったに誉められることがないため、私は嬉しくなりかけたが、すぐに当初の目的を思い出した。西尾のペースにハメられて、ゴルフに夢中になったりしたら、コンペに出場しなければならない。 「調子に乗せないでください」 「いえいえ、お世辞抜きですよ。では次は、石岡先生のアドレスです」 西尾の言葉に、私は即座に反応した。 「神奈川県横浜市……」 「そのアドレスではありません」 「えっ…?」 「ボールに対する体の構え方のことを、ゴルフではアドレスと呼ぶんです」 「そうなんですか」 私は赤面した。まぎらわしい用語である。 「つねに一定の手順でアドレスに入れるようにする事が大事です。まずスタンスから固めましょう」 西尾は私の立ち位置や肩の開き方など、事細かに指導してくれた。さらに、何回か素振りをくり返す。 「本当に初めてなんですか? 自然な感じでいいと思います」 「自分ではわかりません」 「では、初日はこれぐらいにしておきますか」 「えっ初日?」 私は西尾の言葉が信じられなかった。 「だって、10球打って、その後でぼくの意思を確認するという約束は……」 「もちろん覚えていますし、守るつもりです」 「守ってないじゃないですか」 「石岡先生、人聞きの悪いことをおっしゃらないでください」 西尾がウッドクラブをしまいながら言う。 「お約束はこうだったはずです。10球を打つのは、私の指示に従うと」 「ええ、そうですけど……」 「私が指示する10球は、2週間後のコンペで打ってもらいます」 「え、何ですって!!」 どうやら私は一杯食わされたようだ。 ● 何が紳士のスポーツだろう。私は自宅に戻ってからも、憤りを感じていた。寸借詐欺に遭ったような気分である。ゴルフに関して素養も経験も、やる気もないことを理由に放漫社主催のゴルフコンペを断ろうと思っていた。しかし、出版部の部長である西尾が10球の試し打ちだけしてほしいと懇願するので、私は渋々承諾したのだ。ところが、実際はその10球を打つのは2週間後のコンペの場でという。これでは、実質的にコンペに参加するのと一緒である。 「納得できない」 私は怒りを声に出した。そのとき、玄関のチャイムが鳴った。 「どなたですか?」 「放漫社の西尾の妻でございます」 女性の声がした。私はあわててドアを開ける。そこには、ブラウス姿の清潔な印象の若い女性が立っていた。 「ぶしつけにお邪魔してすみません」 「いいえ、どうぞお入りください」 私は訪問者を応接室に案内する。彼女はアケミと名乗った。座るとすぐに用件を切り出してきた。 「実は2週間後に開催されるゴルフコンペの件で、ご相談したいことがあって参りました」 「あ、はい」 私は複雑な思いである。 「あらかじめ申し上げておきますが、今からお話する内容は、私一人だけではなく、放漫社の文芸部の社員ならびに常連の作家の先生方の奥様たちの意見の総意として受け止めてください」 なんともスケールの大きな話である。 「単刀直入に、お願いを申し上げます。石岡先生、ゴルフコンペで是非とも優勝してください」 「は、はあ?」 私は紅茶をむせてしまった。藪から棒にとんでもない要求である。 「その、ぼくはゴルフ未経験でして……」 「そう伺っております。ですから、優勝していただきたいのです」 「どういうことでしょうか?」 「主人を始めとしたゴルフマニアの男性たちは、家庭を顧みず、週末も休日もほとんどをゴルフに明け暮れています」 アケミはハンケチを取り出して、目頭を押さえる。 「ウチの例を申せば、結婚したのは6年前ですが、それからの生活において主人に家庭サービスをしてもらったことは皆無といっても過言ではありません」 「それは、それは……」 「他の奥様の主人達も大同小異です。彼らの人生において、愛でるのはクラブ、子供の成績より気になる数字は自分のスコアです」 アケミの目がらんらんと光り出す。 「それで、ぼくが優勝というのは……」 「ゴルフのビギナーである石岡先生が並み居るゴルフ経験者を尻目に優勝してくだされば、彼らのショックは計り知れません。自分たちが今まで10年20年打ち込んできた努力は何だったのかと空しくなること必至です」 「はあ、なるほど……」 宴会の余興のパッティングゲームでさえ、私がパットを決めたら参加者は感情をむきだしにしたのだ。本物のゴルフコンペで、ビギナーが優勝すれば、その効果は破壊的だろう。だが、そんなことができるはずもない。 「すみません。奥さん、ぼくは本当に完全な素人でして、ご期待には添えないと思いますけど……」 落ち込むかと思えたアケミは不敵に笑う。 「ご心配には及びません。石岡先生には、参加者全ての奥様が全面協力いたします。どんな手を使っても優勝させてごらんにいれますわ」 私は空恐ろしい気分になってきた。 |
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