![]() |
||
|
|
|
|
「石岡君、ヘッドハンターになる」4 優木麥 |
| 「名曲に『Rock is Dead』って歌があるけどさ。今の日本の状況はさしづめ、『商業主義 is Dead』だね」 マヤはひとりでしゃべり続けながら、ハーブティーを飲んでいる。私たちは出鼻をくじかれた格好で、どう対処していいか迷っていた。 「それで、御子柴さんは……」 「マヤでいいよ」 「マヤさんは、今のお仕事に満足してますか?」 一郎が質問する。ヘッドハンティングの原則として、相手が現在の状況に抱いている不満を解消してやることで新しい環境に移すというやり方がある。たとえば、上司の評価が低いとか、成績に応じた収入がもらえてないとか、同期に比べて出世のスピードが遅いなど人が抱える悩みや不満はさまざまだ。 「満たされてるかって? 人生、満腹しちまったら終わりよ」 マヤは右耳のピアスを触る。 「だから、満足してないっていえば、すべてに満足してないね」 「あの……具体的にひとつ、ふたつ不満の理由を挙げてください」 「いくらでも挙げられるよ。いい女、ドラッグ、芸術的インスピレーション、リスペクト…うーん、すべてが足りない。全然足りない」 一郎とマヤの会話は全然かみ合っていない。 「では、『かぼちゃ丸』に関するお仕事には満足していますか?」 それでも商談に持ち込まなければ意味がない。一郎は、強引にでも今回の引き抜きの核心に触れてきた。 「してないなあ」 あっさりとマヤは認める。 「満足してらっしゃらない。ということは、『かぼちゃ丸』のお仕事をする環境に問題があるんではないですか?」 「あ、そうかも」 マヤはクリームパフェをパクついている。脈ありといえば脈ありだし、手応えなしといえば手応え無しのような気がする。微妙な反応だ。 「はっきりと申し上げますとね、マヤさん。実は、私どもの出版社で『かぼちゃ丸』に関して満足いく環境を提供できるかもしれないんですよ」 「あ、そうなんだ」 一郎はここぞとばかりに熱を帯びた発言をしたが、当事者のマヤには変化がない。 「石岡和己さんはいらっしゃいますか?」 突然、ウエイターが私たちのテーブルに現れた。私は手を上げる。 「お電話がかかっています。こちらにどうぞ」 ウエイターに案内されて、受話器を取ると、相手は夕方、打ち合わせをするはずの編集者だった。一郎とこの喫茶店に長くいるはめになったので、彼には場所を知らせていたのだ。携帯電話がつながりにくいため、仕方がない。 「ずいぶんその店にいらっしゃいますね。お仕事ですか?」 「ええ、ヘッドハンティングをしてます」 「アハハハ、石岡先生もジョークが好きになりましたなあ」 編集者はまったく信じないまま電話を切った。私がテーブルに戻ると、一郎が口角泡を飛ばすほど熱弁をふるっていた。私の姿を見ると、早速手で指し示す。 「こちらの石岡先生も、実は当社の発行する雑誌に連載をもたれてるんですよ」 業を煮やした一郎が、早くも私をマヤに紹介する。 「へぇ、すごいじゃん」 今日の面談で初めてマヤの表情に感情らしき動きが見えた。 「そうでしょう。どうです。マヤさんも、当社で一緒にやりがいのある仕事をしてみませんか。後悔はさせません」 「本当にやりがいがあんの?」 マヤは私の顔を見ながらそう尋ねてきた。予想外の質問であり、さらに答えにくい内容なので一瞬、絶句する。 「ねー、石岡先生は今やりがいがあんの? そのアニジャだか、ニンジャ出版の仕事をしててさ」 「ええ、まあ、そこそこは……」 「そこそこのやりがいだったら、今の仕事で感じてるよ。もっとドバァァッとした、ズキュュュンとしたやりがいはないわけ?」 食い下がるマヤに、一郎が慌てて反応する。 「ありますとも。当然それぐらいのやりがいはあります。いつもあります。ねっ、石岡先生?」 私としても一郎に協力をしなければならない。 「まあ、あるかないかと言ったら微妙にあると言えなくもないというか…」 「大してなさそうだなあ」 マヤの表情が曇ったのを見て、一郎は必死で対応策を打つ。 「それに加えて、当社の仕事は自由度が高いんですよ。クリエイターの方々の感性を信用して、おやりになりたい作品作りに打ち込んでいただいています。ね、石岡先生?」 同意を求められても、私は小さく何度もうなずくことしかできない。 「クリエイターの方々の個性と創作姿勢を何よりも尊重し…」 「ぶっちゃけた話、移籍したらナンボくれるの?」 突然、マヤの口調が変わった。 「まどろっこしい話はもういいや。お宅の会社はいくら積むのさ。その条件を聞かないことには、話は進まないっしょ」 一郎には一番痛い部分だった。ちなみに私がここ10年で仕事をした中で、アニジャ出版の原稿料が一、二位を争うほど低い。 「そ、それは、お仕事のボリュームとクオリティに応じてですね」 「だから、お宅の会社の相場はいくらよ」 「換算不能です」 私が二人の会話に割って入る。 「なに、換算不能って。意味がわからない」 怪訝そうな顔をするマヤに私はさっきの写真を見せる。 「これ、何だかわかりますか?」 「何って。ただの石じゃん」 「お金なんですよ」 「はっ?」 「クロマニョン・コインなんです。ね、一郎さん」 私は一郎にウインクした。彼に私の意図が伝わったようだ。 「そうですよ。1万5000年以上前の年代物コインですよ」 先ほど私にした説明を一郎が嬉々として始める。一通り説明し終わった後、私が質問した。 「これは一個いくらでしたっけ?」 「30万円ですよ。いいルートを持ってるので格安で手に入るんです」 一郎の答えを聞いたマヤの額に皺が寄る。 「あんた、またそんな……」 「本当に創造的な仕事は、数値で測るものではないんじゃないでしょうか」 私は御手洗が昔、口にしていた言葉を使う。 「そうは思いませんか、一美さん」 一瞬、テーブルの時間が止まったような空気が流れた。 「どうして、わかったんです」 マヤこと一美は、サングラスを取った。一郎が息を飲む。たしかに、私から見れば一郎と一美は似ている。彼こそが「アネキング商事」の代表取締役、一美だったのだ。 「最初から違和感は感じていました。あなたが本当にこのホテルに初めて来た客であれば、その風体ではロビーをうろうろできません。ある程度の利用客で顔が割れている方だからこそ、ホテルも黙認したんです」 私の言葉を聞いた一美がニヤリと笑う。 「そしてさっき、ぼくがウエイターに呼ばれたとき、イシオカカズミさんいらっしゃいますかと聞いてきました。そのとき、あなたも腰を浮かしそうになったのを偶然見ていたんです。たぶん、あなたにはこう聞こえたんでしょう。『イシオか、カズミさんはいらっしゃいますか』と。あなたのお名前もカズミですからね」 「へえ、すごいわ」 「本物の御子柴マヤさんなら、ぼくのフルネームを知らないわけがありません。いえ、これは自惚れで言っているのではなく、一応ぼくのファンだそうなので、客観的事実として申し上げてるんですけどね」 「素晴らしい。石岡さんは商談において相手を観察する力がありますね。こっちがヘッドハンティングしたいくらいだ」 一美がニコニコして言う。私はテーブルの上の写真を手に取った。 「このクロマニョン・コインの話をあなたに振ったのはわざとでした。あなたの一郎さんに対する気持ちを知りたかったんです。明らかなサギ行為に引っかかろうとしている兄弟に対して、あなたがどんな反応をするのか。そしたら、一郎さんの説明を聞くあなたはみるみる不機嫌になり、『あんた、またそんな…』と思わず咎めようとなさいました。ケンカをしていても、一郎さんのことを心配されているんですね」 私の言葉に一美はうなずくと、一郎の方を向く。一郎は口をとがらせた。 「なんだよ、一美」 「一郎、おまえこそいい加減にしなさい。同人誌をつくってフラフラ遊んでいる年ではないんだから、もうそろそろこっちの仕事を手伝えよ」 「えっ、同人誌?」 今度は私がビックリする番だ。「叫ぶ商才王!」は同人誌だったのか。通りで、書店でアニジャ出版の書籍をまったく目にしないわけだ。 「あの…そうしますと、トップ営業マンを引き抜いたというお話は…?」 私の質問に、一美は爆笑した。 「ウチの父親のことです。この一郎のために同人誌を知り合いに売っていてくれたんですけど、今度、私の会社の仕事を手伝うことになりまして」 「ということは、家庭のケンカだったんですか?」 私は呆れると共に、少しホッとする。殺伐としたビジネス戦争ではなくて、よかったのだ。 「石岡先生も『叫ぶ商才王!』への連載を辞めてしまうんですか?」 一郎が泣きそうな顔で私を見ていた。 「いいえ、編集長から切られない限り、続けさせてもらいますよ。なにしろぼくが創刊号から連載している唯一の雑誌ですから」 私の言葉に一郎と一美がニッコリと微笑んでくれた。 |
|
| Copyright 2000-2002 Hara Shobo All Rights Reserved |