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「石岡君、生命保険を選ぶ」4 優木麥 |
| 里美が部屋に入ってきた。私は隣の部屋でモニター画面を見ている。ここはカッチカチ保険のビルの中である。なぜ、里美がここに呼ばれたかを説明すると長くなる。実は、私を生命保険に入れようと躍起になって争っていた二人、カッチカチ保険の美川と、ハチハリクリウス保険の浦木。彼らの競り合いは激しいデッドヒートを繰り広げ、ついには何らかの勝負によって決着を目指すこととなった。しかし、お互いの契約者数と売上高はほとんど変わらず、勝負の決め手なし。そこで、変則的なゲームが組まれた。簡単に言うと、里美に「石岡和己の保険金の受取人」を承諾させたほうが勝ちというゲームである。 「石岡先生には、万が一のときの保険金の受取人がいますか」 と両者から質問され、私は大いに迷った。身内のいない私にとって、誰がいいのだろうと考えたのだ。そして熟慮の末、里美であろうと結論を出した。すると、彼らはゲームの内容を話し始めた。 「まず石岡先生が入院したと里美さんに連絡します。そして、石岡先生の意思で現在加入している保険金の受取人の名前を里美さんに変更したいと言っていると伝えるのです」 「はあ…?」 私はそう説明されても最初はピンと来なかった。つまり、彼らは本当に窮地に陥った当事者の関係者にどれだけ誠意を持って接するかを私に見てもらいたいと言う。その内容によって、どちらの保険に実際に入るかを決めて欲しいというのだ。 「これは石岡先生の人生のためなのです」 二人に詰め寄られて私は渋々承諾した。本音を言えば、病気になったなどと里美を騙すことは気が進まないが仕方がない。あとで詫びるしかないだろう。 私が病気で入院したとすでに聞いているらしく、部屋に入ってきたときから里美は不安げだった。もちろん、彼女は私が隣の部屋にいるなど知る由もない。そこへ、まずは浦木が満面の笑顔で入ってくる。 「犬坊さん、わざわざご足労いただいてすみません」 「あの、石岡先生は大丈夫なんですか」 里美はバッグを握り締めて尋ねる。何とも健気な表情である。 「もちろんです。ご心配なく」 「どちらが悪いんでしょう」 「胃に影が見えるようですね」 「えっ…」 里美は開いた口に手をやる。私は後ろめたい気持ちになった。あんなに真剣に心配してくれている彼女を騙しているのだ。 「いつ入院したんですか?」 「み、3日ほど前ですね」 「あれ、昨日電話で話したときは、元気だったんですが…。入院してるなんてひと言も言ってなかったし…」 そうだった。私は昨夜、里美と電話で会話していた。思わぬ綻びを見せたが、浦木は何とか取り繕う。 「そ、それは犬坊さんに心配をかけたくなかったんでしょう」 「そんなのって……言ってくれればよかったのに」 里美は悔しそうに唇を噛みしめた。私は複雑な気持ちだ。 「ところで、実は今日、お呼び立てしたのは……」 「病院はどちらでしょうか」 「えっ…」 「私、すぐにお見舞いに行きたいんですけど」 里美の問いかけに浦木が返答に詰まる。そこまでシナリオを練っていなかったようだ。そのとき、また部屋のドアが開いて、今度は美川が入ってきた。 「横浜WSクリニックですわ」 里美がすぐにメモを取る。浦木は自分が解けなかった問題を解かれた気分なのか、不機嫌そうに美川を見つめていた。美川はそんな彼を尻目に、里美の対面に座った。 「それで、石岡先生から承っていることがありまして…」 「何でしょうか」 「先生には当社の保険にお入りいただいてるのですが実は……」 「あっ、大事なことをお伝えするのを忘れていました」 美川の話を遮って、浦木が身を乗り出す。 「石岡先生が入院された理由は胃に影があったからですけど…。実は、院内で検査をして、新しい事実がわかったんです」 「何ですか…」 「心臓にも疾患があることが判明したんですよ」 「えっ、ウソ!」 里美の顔面が蒼白になっていくのが、モニター越しにも感じられた。それにしても、心臓疾患とは少々、やり過ぎの感がある。 「そんな……相当悪いんですか?」 「まあ、ここだけの話ですが、主治医の先生はレントゲンを見たとき、暗い表情でしたね」 浦木は沈うつな言い方をする。私は何となく彼らの目的がわかった。入院している私の余命が幾ばくもないことを強調することで、里美が「保険金の受取人」になることを承諾しやすい状況を作ろうとしているのだ。 「今度手術をするんです」 負けじと美川が声を張り上げる。浦木の前に身を乗り出して、主導権を握ろうとしていた。 「その手術の成功率は10数%らしいです」 「な、なんですって…」 里美はもはや卒倒しかねない表情である。 「その石岡先生から依頼を受けたんですが、保険金の受取人に関して……」 「手術といっても、条件があるそうです」 浦木が美川を突き飛ばす。 「条件? 何ですか。石岡先生が手術を受ける条件って?」 泣き出さんばかりの顔で里美が尋ねる。 「来週まで命があったらという条件です」 「エッ、エッ……」 あまりの驚愕の宣告に里美は言葉が出せない。ところが、そんな彼女の様子をお構いなしに、二人は会話の主導権を取り合っている。 「私が主治医の先生に伺ったのは、あと3日命があれば奇跡だと…」 「僕は今日の午前中にお見舞いに行ったんですが、石岡先生は『これでお別れだね。明日はもう会えないよ』とおっしゃいました」 「私も午前中にお会いしたんですが、石岡先生は『たぶん、あなたが最後に会う人になるでしょう』と…」 「なんだと。僕がさっき電話したら……」 「もうやめて!」 エスカレートする二人に里美は叫んだ。 「石岡先生はどこにいるの? 本当にもうダメなの?」 血を吐くような問いかけだった。私はもう我慢できなかった。こうなったら浦木と美川の勝負など関係ない。これ以上は見ていられないのだ。 「ここにいるよ、里美ちゃん」 ドアを開け、里美達のいる部屋に入った。恐ろしいほどの文句をぶつけられるだろうが、仕方がない。覚悟をして里美の前に立った。 「実は保険の契約について話があって、そのシミュレーションというか。ゴメン、ぼくは入院なんかしてないし、病気でもないんだ。里美ちゃんを騙してゴメン」 許されるはずがないと思った。本気で怒られるに違いない。彼女は私の姿を見て息が止まるほどビックリしたようだが、すぐに抱きついてきた。 「よかった。ああ、よかった」 里美が号泣している。 「病気の石岡先生はいないのね」 私まで胸が熱くなった。病気になっても私は一人ではない。たぶん、一人ではない。 |
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