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「石岡君、生命保険を選ぶ」3 優木麥 |
| 「ファンのために1日でも長く、1作でも多く作品を生み出しつづけるのが、石岡先生の崇高なる使命ではないですか」 浦木は力強くそう言うと、テーブルの上に保険の資料の束を置く。彼の言い分は理解できる。もったいない言葉だが、私の非才を棚に上げれば正論だとさえ思う。しかし、その結論が生命保険に入ることだというのは納得できない。 「でも、私が死亡して保険金が入ることがどうしてファンのためなんですか?」 「石岡先生、誤解なさられては困ります。私がオススメしたいのは、医療保険です」 「医療保険?」 「保険には種類があるんですよ。さきほどまで申し上げていた、サルカニ合戦の母ガニが入っているべきだったのは、いわゆる死亡保障の生命保険。通常、生命保険と言いますとこの保険のイメージが強いですね。当事者が亡くなった場合、受取人に決まった金額をお支払する。一昔前までは、規制によってほとんどの保険には、死亡保障をつけなければならなかったのです。だから、ある意味では医療保険は、死亡保障のオプションのような形で認識されてきましたが、今は違います。規制緩和に伴なってさまざまな形の保険が選べるのです」 私には十分に理解できたとは言えないが、とにかく死んだら保険金が入る形以外の保険を浦木は勧めているようだ。 「石岡先生がご病気をなさる。お怪我をなさる。そして入院する。場合によっては手術をする。いや、条件次第では、その通院に関しても、保障しますというのが医療保険です」 「はあ…」 気のない返事に聞こえたのか、浦木の眉間にわずかにシワが寄った。 「今はお元気で体にいうところがないので、あまり実感が湧かないのでしょうね。ですが、さんざん申し上げている通り、人生にはどんな事態があるのかわかりませんから。場合によっては数ヶ月単位で入院するハメにならないと誰にわかりますか。しかも、それはそんなに先とは限りません。一年後かもしれないし、一ヵ月後かも…」 そう言われると、確かに私の胸にも不安はある。病気や怪我を絶対にしないなどと考えられない。むしろ、年齢相応にそのリスクは高まっていくのだろう。 「当社のリサーチでは、入院すると平均で1日1万円以上の出費がかかるそうですよ。もちろん、石岡先生の財政にとってその程度の金額は大した痛みにはならないかもしれませんが、病気によっては長期の入院となり、その治療費もバカになりませんよ」 「ウーン…」 さきほどまでの「絶対に入らない」という気迫はどこかに飛んでしまった。浦木の話は身につまされるところがある。 「その点、ハチハリクリウスの医療保険は、とにかく手厚い。がん、脳卒中、心筋梗塞などの日本人の3大疾病から、それ以外の病気、怪我までフォローする保険を用意しています」 浦木は数種のパンフレットをトランプの札のように両手で広げてみせる。私の気持ちは今にもグラリときそうだった。 「それから石岡先生、ちなみにですが、ご年齢に関しても注意を払われる必要があります」 「年齢?」 「ご存知だと思いますが、生命保険というのは、高齢なほど選択肢が狭くなってくるのです。入れる保険が減っていくんですね。とくに60歳を過ぎるとどの会社でも審査やら何やらが厳しくなります。50歳の今こそ、お入りになるラストチャンスかもしれませんよ」 まさに殺し文句だった。そんな事実をあらためて告げられては、私の気持ちはひとつしかない。 「わかりました。浦木さんの保険に……」 「ちょっと待ってください」 女性の声が私の言葉を遮った。何が起きたのかわからない。声の方角は、私の後ろの席からだった。私が振り向くと、後ろの席の女性がゆっくりと立ち上がる。 「あ、あんたは…」 浦木が驚いたように叫ぶ。女性はにっこりと微笑んだ。 「さっきは目玉焼きを台無しにしてくれてありがとう」 私がエビフライランチを食べた定食屋にいた女性が立っていた。 ● 「申し遅れました。私はカッチカチ保険の美川と申します」 私達のテーブルに席を移した美川は私に名刺を渡す。浦木が色をなして怒った。 「あんた、ひどいじゃないか。こっちの商談が進んでいるお客さんに対して、割り込んでくるなんて。保険セールスの仁義を守れないのか」 「あら、ゴメンナサイ。あまりにもお粗末な営業トークをしているので、どうしてもひと言申し上げたくなったの」 「なんだって」 「あなたにじゃないわ。石岡先生によ」 美川は浦木に構わず、私に向き直る。 「石岡先生、彼の巧言令色にたぶらかされてはいけません。危ういところだと思いまして、失礼ながら声をかけさせていただいたのです」 「は、はい…それは…」 私としては何とも答えようも、判断しようもない。 「基本的に申し上げたいのは、お客の不安を煽って契約させようとするセールスマンは信用ならないということです」 美川は浦木を横目で睨む。 「石岡先生のためを思ってのことだ。日常では自分が入院するイメージを描きにくいから、ある程度リアルに言うしかないだろう」 浦木は負けていない。 「本当にお客さんの身に立ったトークとは思えなかったわね」 「なぜだよ。理由を言ってほしいな」 「いいわ。石岡先生は、自由業なのよ」 二人のやり取りは、段々と私の存在を無視しているような気がしてきた。 「自由業の方が入院したらどうなるかしら? サラリーマンと一番違うのはそこなの。入院すれば、その期間は仕事が出来ない。イコール収入が入らないということになるのよ」 美川の言う通りだった。もし私がたとえば3ヶ月入院したとする。そうすれば当然、その間は仕事が出来ない。もちろん、印税その他の収入は入るが、引き受けている原稿がすべてキャンセルになるダメージは大きい。 「そんなことは、僕だってわかってる」 浦木は口をとがらせた。 「全然わかってないわ。もしわかっているはずなら、石岡先生に入院費や治療費を賄う保険だけを勧めてはダメだもの」 「あっ…」 浦木が口を押さえる。何事かに気づいたようだ。しかし、肝心の私は何もわからない。 「そうよ。お察しの通りよ」 勝ち誇ったように美川が言った。 「入院費だけではなく、その仕事が出来ない期間の収入になるぐらいの保障ができる保険でなければダメなの。自由業の人は、入院費が保証されるだけだとプラスマイナスゼロではなく、マイナスだと考える必要があるわ」 ハッキリとそう言われて、私はさらに不安感を増した。本当に因果な商売を選んでしまったのかもしれない。 「そんな基本的なことをわかって保険を組めないあなたに、石岡先生の保険は任せておけないわ。あんたの好きな民話に例えるなら、カチカチ山のタヌキ同様に泥舟に乗せられるのがオチだわ。さっさと敗北を認めて私に譲りなさい」 「途中から出てきてエラそうに言うな。ウチには貯蓄型の保険もあるし、養老保険も充実している。石岡先生を後悔させる事はないさ」 まるで昼間の「目玉焼き論争」の再戦のようだった。二人は何度か言葉の応酬をした後、私のほうを見る。 「いや、ぼくとしては、その……もう少し検討してから…」 「いいえ、このままでは僕達が納まりません」 「そうよ、決着をつけなければいけないわ」 二人は興奮して、私の言葉など聞く耳もたずといった有様だ。 「石岡先生、僕達に勝負をさせてください」 「勝負って?」 唐突な申し入れに私は戸惑う。保険を選ぶのに営業スタッフ同士が何の勝負をするのだろうか。 「どちらが誠意のある営業スタッフか。ゲームで決めるのです」 一体、どんなゲームなのだろうか。 |
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