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「石岡君、投資について考える」1 優木麥 |
| 「一緒にお花見をしませんか」 突然の誘いだった。悪霊を連れた魔女が私に声をかけてきた。目を通していた小説が、中世ファンタジーの作品だったので、劇中の登場人物がストーリーから抜け出して目の前で実体化した錯覚に陥る。今朝目覚めたときから、どこかうつろで現実感が薄かった。決められた時間に会社まで出かけていく人なら、そんなフワフワした感覚は弊害かもしれないが、私にとっては歓迎すべきテンションだ。春の陽気は出不精の私の気持ちまでほぐしてくれる。開放的な気分になった私は、近所の公園まで足を伸ばすとベンチに座って文庫本を開いていた。 「あなたも一緒にお花見をしませんか」 もう一度誘われた。声をかけてきた主は、やはり魔女だった。黒いフードに頭まで覆われ、マントが全身を包んでいる。顔はよく見えないので、鉤鼻かどうかは確認できない。右手には杖を持っていた。隣には、目の部分だけ切り抜いた白いスーツを被った悪霊がしたがっている。とはいえ、人を見かけで判断するのは誉められた話ではない。魔法のひとつも見せてもらったわけじゃないのに、魔女と断定するのは早計だ。 「あ、あの……」 私は非日常的空間に引きずり込まれないようにできるだけ冷静な声を出す。 「ぼくに言ってるんですか?」 「他に誰がいます」 「初対面ですよね」 我ながら滑稽だと思いながらも確認する。魔女の知り合いに心当たりはないが、知り合いが私の知らぬ間に魔女に転職した可能性は否定できない。不況はいまだ底を見せないのだから、あらゆる職業に可能性を見出すだろう。魔女はフードの隙間からわずかに覗く口元を吊り上げて笑った。 「でも、私はあなたのことを知っています」 「えっ……」 意外な言葉を浴びせられて、私は動揺した。魔女は畳みかけてくる。これも一種の魔法だろうか。 「石岡先生でしょう」 「はあ、まあ一応……」 「仲間が待っています。さあ、一緒にお花見をしましょう」 依然として魔女に誘われるいわれは感じないが、魔界に連れられて魂を抜かれる危険はないだろう。こんなにポカポカした天気の日に、花見に誘われて断る理由はどこにも見つからない。私は文庫本を閉じた。 「では、ご一緒します」 「ありがとう石岡先生」 「ところで、あなたはどなたでしょうか」 「400年前から生きている魔女バーバラ……ではなくて、タンマリ投資ネットワークのアナリスト、塩崎雅代と申します」 魔女……いや、雅代は私に名刺を差し出した。フードを脱ぎ、素顔を見せると、まだ20代後半の女性である。 「ちなみに、この悪霊は、私の上司です」 雅代に紹介され、白スーツを脱ぐと40歳ぐらいのメガネをかけた男性が姿を現す。 「投資マネージャーの河野です」 「これはどうも。ご丁寧に」 名刺を渡されると、先ほどまでの幻想的なムードは消え、現実的な昼下がりのひとコマが戻ってくる。 「実はいま、ウチの会社でお花見をしていましてね。せっかくだからいろんな人をお招きして楽しくドンチャンやろうと思ったんです」 「ぼくのことはどうしてご存知なんですか」 「著者近影で何度も拝見しています。もちろん、石岡先生の作品のファンだからですわ」 雅代にそう言われると、私は「ありがとうございます」と口でモゴモゴ言う。どうも、ファンですという人を前にすると落ち着かない気分になる。 「私たちがこの姿で現れると、みんな驚くんですが、さすがに石岡先生は堂々と受け答えされておりましたなあ」 「いえ、たまたまです」 頭がボーッとして働かなかったから、白昼夢を見てる気分で話していただけである。 「とにもかくにも、お花見の場所にお連れしましょう。さあこちらへ」 「あ、皆さんで持ち寄って宴会をしているんですよね。混ぜてもらうならぼくもお酒かオツマミを買っていきますよ」 「大丈夫です。ゲストの方々は会費500円出していただけば、あとは飲み放題、食い放題ですから」 「そうですか。では、お言葉に甘えて」 私は会費を支払った。魔女と悪霊が誘いに来た場面から考えると、ずいぶんと即物的になっていく気がする。 ● 魔女と悪霊に……いや、塩崎雅代と河野に連れられて私は花見の場所に辿り着いた。今日の天気情報を見たとき、気象庁は4月中旬並みの暖かさだと言っていた。すでに公園内の桜はどれも七分咲きである。穏やかな春らしい陽気に誘われて、桜並木の下にはあちこちに同様の花見客グループが点在していた。 「あれー、コスプレしてないじゃない。ダメだよ。ルールを守らなきゃ」 最初にビニールシートから立ち上がったのは、フランケンシュタインだった。おでんの串に刺したコンニャクを手にしている。 「あれ、もしかしてビッグゲストなんじゃないの」 狼男が大ナベをかき混ぜながら言った。 「塩崎ちゃん、石岡先生なんて大物をどうやって捕まえてきたの」 半魚人が発泡酒の缶を掲げて一人で乾杯している。 「さあさあ先生、こちらへどうぞ」 鎧武者が私をビニールシート上の一角に案内してくれた。それにしても、種々さまざまなモンスターに扮した人間が車座になって座っているのは異様である。 「お花見をするなら平日の昼間に限りますよ」 「ええ、まったくです」 手渡された紙コップに雅代が缶からビールを注いでくれる。 「では、石岡先生もいらっしゃったので、あらためてカンパーイ」 「いま、トン汁を作ってますからね。ゆっくりしていってください」 非日常にもほどがある空間である。 「皆さん、同じ会社の方々なんですか?」 「ええ、外資系の会社ってバリバリ仕事に打ち込んでってイメージがありますけど、遊ぶときは遊ぶんです。要はメリハリですよね。本当は取引先の方々にも声をかけたんですけど、モンスターをテーマにしたコスプレっていうドレスコードが引っかかったみたいで、誰も参加しないんですよ」 それはわかる気がした。私だってそんな条件だったら、ここにはいない。 「酒もツマミもタンマリありますから、ガンガンやってください」 「はい、ありがとうございます」 「何たって、ウチはタンマリ投資ネットワークですからね」 「うまい!」 フランケンシュタインと半魚人が大笑いする。すでに相当量のお酒が入っているようだ。 「それにしても社長、遅いなあ」 「ああ、さすがに社長はお忙しいんですね」 「違うんです。お酒が足りなくなったから買出しに行ってるんですよ」 「えっ、社長が……ですか」 「パーティのときは無礼講なんですよ」 そうかもしれないが、嫌な予感がする。 「ウチは外資系なので、社長はアメリカ人です。このコスプレお花見パーティもボブの発案ですからね」 「ちなみに、社長さんは何のコスプレなんですか?」 「ジャック・ザ・リッパーです」 「その格好のまま、コンビニに買い物に?」 「もちろんです。それがルールですから」 たぶん、社長は当分帰ってこないだろう。もしかしたら、今夜一晩は別の場所で過ごすことになるかもしれない。 |
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