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「石岡君、湖の怪物を探す」2 優木麥 |
| 信州の千龍湖に住む竜神ガ・ジアス…。その神々しい姿に心を打たれた青年、壮吉は五十年を経た今、もう一度見たいと願っているという。いくら信じやすい性格の私でも、そんな与太話を真に受けたりはしていない。私を動かしているのは、祖父の身を一途に気遣う孫の真奈美の献身を見たからだ。 「ガ・ジアスのウロコって、どうやって手に入れたの?」 竜神が実在する証拠としてウロコがあるというが、にわかには信じられない。 「オジイチャンが何度か千龍湖を調査するうちに、何枚か手に入れたらしいの。あるときは水面に浮いていたり、あるときは湖のほとりに落ちていたり…」 「らしいって…。真奈美ちゃんは、そのウロコを見たことがないの?」 「だって、オジイチャン、人に見せたりしないもん。竜神様のご神体の一部だからと神棚に奉納してあるの」 私は真奈美に気づかれないようにため息をついた。真奈美の祖父である壮吉の「竜神恋しい病」はかなり根が深いように見える。ましてや、ガ・ジアスを神聖視しているのでは、めったな形で取り除くことは難しいかもしれない。生物としての湖の怪物が実在しないことを説明することはセオリーがある。 巨体を維持するエサの問題、ある程度の頭数が生息していなければならないのに一匹だけしか目撃されないことの不審…など当たり前の反論を用意できる。しかし、生物ではなく、神だと信じているのでは、それらの議論が有効ではないだろう。 「ぼくは……どうすればいいの?」 ガ・ジアスがいないことを壮吉に諭すのならまだしも、見せてあげたいと言われても私がやれることなどあるまい。 「論破してほしいんです」 真奈美の言葉は、私には即座に理解できない。 「論破? だって、オジイチャンにガ・ジアスがいることを…」 「オジイチャンではないの。野尻先生を論破してください、石岡先生」 真奈美は身を乗り出してきた。その目は怖いほど真剣である。 「私のお父さんとお母さんは、オジイチャンがガ・ジアスを探すのにお金を使うことを快く思っていないの。早くやめさせたいと苦々しい気持ちで一杯。だから、オジイチャンがやっていることは、無意味で非科学的だと諭すために、大学教授を頼んで説得させているの」 話が大げさだとは思うが、当事者にとってみたら笑い事ではないのだろう。 「最初の議論では、オジイチャンは劣勢だったわ。野尻秀一郎っていうその大学教授は次から次へと資料を出して、ガ・ジアスがいないことを証明しようとするの。オジイチャンも懸命に頑張ったんだけど、どうしても苦戦は免れなかったわ。どんどん追い詰められていって……」 真奈美はうつむいた。そのときの光景が脳裏に蘇ったようだ。自分の敬愛する祖父が議論でやり込められる姿はたまらなかったに違いない。 「それでもオジイチャンは頑張ったわ。すると野尻先生は『いくらあなたが主張したところで不毛です。もし証拠でもあるなら別ですけどね』と挑発したの。そのひと言でオジイチャンはキレたの。『証拠ならある。ガ・ジアスのウロコを持っとるんじゃ』と」 真奈美は再び顔を覆った。 「あんなに大切にしていた竜神様のウロコまで持ち出さなければならないなんて。オジイチャンはどんな気持ちでそれを口にしたんだろうって。私、悲しくなっちゃって…」 私は真奈美から視線を外す。周囲の好奇の視線はこちらに集中していた。私は慌ててうつむいた。 「ゴメンなさい。石岡先生。私は感情的になっちゃって……」 「いや、いいんだ。気持ちが収まってから話してよ」 「もう大丈夫。それで、今日の夜、二回目のディベートがあるんだけど、オジイチャンは竜神様のウロコを持ち出さなければならないの」 「ああ、なるほど…」 「野尻先生は生物としてどんなウロコなのかを検査すると言うし。でも、私は心配でしょうがなくて…。だって、そのウロコが竜神様のものではなかったら、オジイチャンはショックから立ち直れないもの」 真奈美の推察は当たっているだろう。自分が生涯かけて追いかけてきた存在がいないと、断定されたら、その衝撃は計り知れない。 「だから、石岡先生。ガ・ジアスのウロコを盗む手伝いをしてほしいの」 「えっ、ええー!!」 思わず飲んでいたアイスティーを吹いてしまった。 ● 「やっぱり辞めようよ」 目的地である壮吉の家を前にしても、私はまだ決心が固まらなかった。真奈美は首を横に振る。 「ダメよ。もうこれしか方法はないんだから」 「だけど、ウロコがなくなったら、それはそれでお爺さんにショックを与えると思うけどなあ」 「ニセモノだとか、他の生物だと判明するよりはいいでしょう。背に腹は変えられないってヤツよ」 真奈美の自信はゆるぎない。反対に私の不安はドンドンと増大する一方だ。彼女の作戦はこうである。今夜のディベートで壮吉陣営の助っ人として私が登場する。そして、野尻と論戦を交わすのだ。そうやって時間を稼いでいる間に、席を立った真奈美が神棚のウロコを手に入れてしまう。 「ウロコがないことがわかれば、お爺さんは嘘つき呼ばわりされるかもしれないよ。野尻先生はそのために来るんだし…」 「大丈夫。これが一番いい方法だと思うの」 真奈美は私の言葉に聞く耳を持たず、玄関のベルを鳴らす。中から、スーツ姿の好々爺が顔を出した。 「おー、真奈美。よう来てくれたな」 「うん。オジイチャン、紹介するね。話した助っ人の石岡和己先生」 壮吉は、私を見て深々と頭を下げる。 「こんなところまでご足労いただいて、恐れ入ります」 「いえいえ、とんでもない。こちらこそ、真奈美ちゃんにはいろいろお世話になっておりまして…」 私も壮吉に負けないぐらい頭を下げた。 「まあ、中にお入りください。学者先生たちもおっつけ参るでしょう」 一歩入った私は、思わず目を見はる。まるでマタギの山小屋を思わせる室内だったからだ。熊や鹿の剥製に、銛や鉈が丁寧に飾られている。 「ガ・ジアスと出会うために山で暮らす生活が続きましてな」 「は、はあ……」 壮吉の人生は、まさに龍神と出会うために費やされているようである。 「あと一目、一目だけでも…。そう思って何十年も過ぎてしまいましたわ。まあ、お迎えがくるほうが先でしょうけども」 「そんなことないよ。嫌なこと言わないで、オジイチャン」 真奈美が壮吉の腕を掴む。孫の必死の言葉に彼は「わかったわかった」と真奈美の頭を撫でた。 「石岡先生は作家さんだと伺いましたが?」 「ええ、一応…」 「さぞかし、不可思議な出来事に遭遇されているのでしょうな」 「いいえ、一番不思議なのは、人間の心ではないかと、何となくそう思っています」 私は何と答えていいかわからなかった。そのとき、チャイムが鳴る音がする。 「おお、敵のお出ましだ。石岡先生、友軍として頼みますぞ」 壮吉が野尻達を出迎えに玄関に向かう。部屋の中で二人きりになった途端、真奈美が私の耳に口を寄せてきた。 「あとは手はず通りにお願いね」 「でも、あんなに必死なお爺さんを傷つけることにならないかい」 「何を言ってるの。だからこそ、オジイチャンの心を守るためにやるのよ。ウロコを鑑定されたら一発で、ニセモノだとわかるんだから」 ふと私は、そこまで言い切れる真奈美の口調が気になった。 「でも、なぜ君はガ・ジアスのウロコがニセモノだと確信してるの? もしかしたら、龍神とはいかないまでも、巨大な生物のウロコの可能性があるじゃない」 真奈美は首を横に振る。 「ありえないの」 「どうして…?」 「だって、そのウロコを作ったのは、私だから!」 真奈美の衝撃の告白に、私は一瞬息を飲んだ。 |
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