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「石岡君、湖の怪物を探す」4 優木麥 |
| 竜神探索隊は結成された。調布にあった壮吉の家から、二台の車に分乗して、長野県の千龍湖を目指す。乗用車に野尻と井上が乗り、バンには壮吉、真奈美に私が乗っている。車内では私たちはほとんど口を開かず、壮吉の独壇場だった。 「そうじゃ、竜神様のお姿をお見せすれば、あんな不逞の輩どもはひれ伏すだろう。真奈美はいいことを言ってくれたなあ」 壮吉はハイテンションで話し続ける。こちらは適当に相槌を打つしかない。真奈美が何を考えているのか不安が浮かんでくるが、壮吉も同席している車内ではそのことを口には出せない。彼女も、祖父の言葉に「うんうん、そうだよ」としおらしく答えていた。ふと私は大事なことを確認していないことに気がついた。 「あの……壮吉さん…」 「えっ石岡先生、何ですかのー」 「いや、五十年前にご覧になった竜神様の姿ってどんなものだったのですか?」 私は今まで壮吉や真奈美からガ・ジアスの姿を聞かされていなかった。湖に棲む巨大生物とか、竜神という呼び名から首長竜を漠然と思い描いていたのだ。 「そうじゃな。わかりやすく説明するなら、ワニに似てるけど、足じゃなくてヒレになってる昔の恐竜がいたでしょう。あれに似てますな」 壮吉の言葉でピンときた。モササウルスやティロサウルスのことを指しているのだ。 「五十年前、ワシの目の前で飛び跳ねたんじゃ。あの神々しい姿だけは忘れられんなあ」 バックミラーに映る壮吉の顔は遠い追憶に浸っていた。考えてみれば、もっと早く気づくべきだったのだ。首長竜にウロコはない。私は千龍湖に行こうと言い出した真奈美の真意を早く知りたかった。しかし、壮吉の前でそんな話は持ち出せない。長野までの長旅だったが、自然と車内は沈黙に支配されていた。 ● 長野県M市にある千龍湖に到着したのは、朝の五時過ぎ。夏の朝日が湖面を照らし始めた時刻だった。私が初めて見たその湖の印象は、北海道にある摩周湖に似ていた。あの世界に誇るカルデラ湖同様、水は透明度が高く、まるで巨大な鏡のようだ。ちなみにカルデラとは、火山の崩壊や陥没で形成された大きな窪みのことで、そこに水が溜まってできた湖をカルデラ湖と呼ぶ。 「こんなところまで朝から引っ張ってこられていい迷惑だ。茶番もはなはだしい」 野尻は不機嫌そのものである。当然の気持ちだろう。自分は存在しないと確信しているガ・ジアスを見るために長野の山奥まで連れてこられたのだ。 「さあ、見せてもらおうか」 車から降りた私たちのところに野尻が詰め寄るように駈けてきた。 「まあ待ってよ。いくら何でも今すぐに見せられるわけないじゃない。一時間ちょうだい。その間に必ずガ・ジアスを見せるから」 真奈美は自信満々に言う。私は不安で仕方がない。 「一時間しか待たんよ。もしそれを一分でも過ぎたら、ガ・ジアスはいないことに決定でもいいのだね」 「構わないわ」 「真奈美ちゃん!」 さすがに私は声を出した。そこまで請け負うのはやり過ぎだ。いかに壮吉を思うあまりとはいえ、かえって逆効果になりかねない。 「壮吉さん、何とかおっしゃってください」 「カワイイ孫娘が言うことじゃ。ワシは信じる」 壮吉はどっかりと湖のほとりの腰を下ろすと優雅にタバコをふかし始めた。私は耐え切れずに真奈美の手を引いて森の中に進む。 「どこに行くのよ石岡先生」 彼女の抗議にも取りあわず、壮吉たちからかなり離れた位置でようやく私は手を離す。 「正直に言ってほしいんだ」 「どうしたの。そんなに怖い顔をして…」 「インチキをするんだろ? そうでなければ、あんなに自信たっぷりにガ・ジアスが出るなんて請合えるわけない」 真奈美はツンと横を向く。 「インチキじゃないわ。これは正しいことなのよ」 「真奈美ちゃん…」 「そうよ。私は美大生の友達にワニの剥製を借りてもらって、水の中から出そうと思ってるわ。それはいけないこと? だって、オジイチャンが可哀想でしょう。自分が大切にしているものをあんなに馬鹿にされて。私がその大切なものを守るだけ。だからインチキじゃないの」 真奈美は私の顔をじっと見つめた。私は目をそらさずにただ静かに彼女を見つめ返す。根負けしたのは彼女だった。唇を震わせながら目を伏せる。 「オジイチャンを守ってあげたいの。悪いことじゃないでしょう。石岡先生はオジイチャンが傷つくほうがいいって言うの?」 「ああ、そう思うよ」 私の言葉に真奈美が息を飲む。 「なぜなら、自分が信じてきたものが孫娘の手によるニセモノだとわかったときに、きっともっと深く傷つくだろうから」 私は真奈美の両肩に手をそっと置いた。 「そして、そのインチキをしたことで、オジイチャンがこの何十年かの間、ガ・ジアスについて見たり信じたことが全部ウソに感じられてしまうだろう。それこそ、一番やってはいけないことだと思わないかい?」 「だ、だけど……」 「壮吉さんは五十年前に竜神を確かに見たのだろうし、真奈美ちゃんはそれを信じている。そして、ぼくも信じるよ。だから、小細工はやめよう。一時的に取り繕ったって意味はないよ。壮吉さんはウソをつかずに真実だけを話してきたんだろ? その孫娘である真奈美ちゃんがウソをついていいの? 今なら間に合う。もう辞めよう」 私の言葉の意味を真奈美はじっと一分間ほど考え込んでいた。 「でも、そしたら野尻先生はガ・ジアスはいないとあざ笑うんだよ」 「たとえ、野尻教授が信じなくてもいいじゃないか。もう誰に何を証明しなくてもいいと思う。信じる人が信じる。そこで不正な行いをするほうがよほど恥かしいことだよ」 真奈美はこくんとうなずいた。私の言葉が心に届いたようだ。 「よし、じゃあ戻ろう。そして大学生の仕掛け人には中止を……あっ…」 「どうしたの?」 「帰り道がわからなくなった…」 夢中で話しながら山道を歩いていたら、どこから来たのか迷ってしまっていた。真奈美が湖を見て指差す。 「あそこに見える中州はほとりの近くにあったはずよ。あの中州を目印にしましょう」 指差す方向を見ると、湖に中州が見える。これで下の場所に帰れると私はひと安心した。 ● 私たちが壮吉や野尻の下に戻ったとき、すでに約束の一時間は過ぎ去ろうとしていた。 「さあ、ご自慢のガ・ジアスはどうしたのかね。敗北を認める時間が来たようだな」 野尻の言葉にムッとした真奈美は食ってかかろうとするが、私は押し止める。 「そうですね。やはり一時間で証明することは無理だったようです」 「何ともあっけない幕切れだな」 野尻の嘲りの口調に、壮吉は顔を真っ赤にして立ち上がった。 「何じゃと。言いたい放題を……証拠ならここにあるわ。その目ん玉で、ようく見ろや!」 壮吉は懐から緑色のウロコを取り出した。私は思わず真奈美を見る。 「ウソ、私の分は全部取り戻したはずなのに……」 小声で真奈美が言った通り、家を出る前に彼女が仕掛けたニセのウロコはすべて回収しているのだ。となると、壮吉が今手にしているウロコは少なくても真奈美の作ったまがい物ではない。彼は野尻にウロコを手渡す。 「さあ、竜神様のご神体の一部じゃ。確かめてみよ」 野尻が受け取った瞬間、真奈美が素早く行動する。 「何よ、こんなもの」 野尻の手からウロコを引ったくると、フリスビーでも投げるように湖に向かって放り投げる。 「ま、真奈美、一体……」 「竜神様にお返ししたのよ」 真奈美は壮吉に微笑んだ。私にはわかる。彼女は自分の作ったニセモノのウロコであれば、野尻に即座に見破られてしまうことを恐れたのだ。 「そうか。それはそうと、帰りが遅いから心配しとったんだぞ」 「うん。ちょっと森で道に迷っちゃって。でも、中州を目印に戻ってこれたの」 真奈美の言葉に壮吉は怪訝な表情を浮かべる。 「中洲って、何のことじゃ」 「え、そこに見えている中州……あれっ…」 真奈美の表情が青ざめていく。先ほどまで私と真奈美が目印にしていた中州は、千龍湖のどこにも見当たらなかった。湖面には何一つなく澄み切っている。 「ワシは五十年間、この千龍湖に通っているが、中州など見たことないぞ」 私と真奈美は顔を見合わせた。そこに野尻が割り込んでくる。 「い、今のウロコは一体何なんだ」 「あれは……」 「あんな大きな爬虫類のウロコは見たことがないぞ。現存する爬虫類のものではないな。どこで一体……」 野尻の顔が紅潮している。決して演技ではない。消えた中州、巨大な爬虫類のウロコ……。これらが意味するものは竜神ガ・ジアスなのだろうか。千龍湖の湖面は静かであり、何も答えてくれない。 |
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