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「石岡君、年末の格闘技大会に出る」7 優木麥 |
| 「明るい顔になりましたね」 新世紀アリーナの計量ルームに行くと、イベントプロデューサーの溜来が私に軽口を叩く。すでに大塚から連絡があったことは伝わっているのだろう。 「覆面してるから、顔色は見えないじゃないですか」 ようやく私にジョークを返す余裕が生まれた。今までの状況が異常すぎたのだ。本来、リングに上がるべき大塚の代理で『ミステリーマスク』を演じなければならなかった。 「私も一安心です。さあ、計量をお願いします」 溜来の顔色がいいのは当然だ。本物の挌闘家である大塚があのまま失踪したら、大晦日の興行のメインに穴が空いてしまう。私は生まれて初めて計量室に入った。学生の頃の身体測定を思い出す。室内にはすでに対戦相手である暴君竜がいた。 「てめえ、テレビ番組でまたくだらねえ挑発をしてたなあ」 凶悪な視線が送られるのをひしひしと感じる。しかし、ここでオドオドした態度をとるわけにはいかない。あと数時間後に戦う大塚が不利になるからだ。格闘技の試合は、技量はさることながら、精神のせめぎ合いも重要なポイントである。試合前から、暴君竜に精神的に優位に立たせるわけにはいかない。 「両選手揃いました。では、コミッショナー立会いの下、両選手のウェイトを確認してください」 溜来の合図で、まずは暴君竜がヘルスメーターに載る。公衆電話のボックスを思わせる体型に報道陣のため息が漏れる。あのグロープのような手で殴られていた力士達のことを思うと、大相撲は超人のやる競技だとあらためて感じた。 「232.5キロです」 審判が数値を読み上げる。一人の体重とは思えない。私と里美ともう一人の体重を足しても及ばないだろう。 「ベストには、まだ2キロ足りないけど、まあいいか」 笑いながら暴君竜がヘルスメーターを下りた。次は私の番である。着ていたトレーナーを脱ぎ、上半身裸になる。 「えっ、あれ……」 私の半裸姿を見た報道陣からどよめきが起こった。暴君竜に対するそれとは明らかに質が違う声だ。つまり、失望である。ミステリアスなベールに包まれた謎の挌闘家ミステリーマスクの肉体が、いかに鍛えぬかれているかに期待していた彼らからすれば、私の貧弱な体は予想を大きく外れていたのだろう。ペンより重いものは持たないどころか、パソコンで仕事をしている以上、ペンすら持たない日々を送っている私だ。青白く、筋肉と呼べる部分は探さなければないほどの体である。精進を重ねた結晶にはほど遠かろう。 「ホントに大丈夫かよ」 ベテラン記者のひとりが吐き捨てるように言った。猛烈に私を不安が襲う。これは大塚の評判を落としているのに他ならない。とはいえ、今さらどうこうできる問題でもない。デスクワークが中心の年配の作家の肉体改造は不可能だ。 「では、ミステリーマスク選手、計量をお願いします」 審判に促されて、ヘルスメーターに載ろうとした瞬間、暴君竜の声がした。 「マスクも取らなきゃダメだろう」 室内が静まり返る。 「正確なウエイトじゃなくなるんじゃねーのか」 「いや、暴君竜選手、マスクに関しては……」 「わかんねーぞ。マスクだけで10キロあったりしたら困るからなあ」 暴君竜の言葉で、チームのセコンドが笑う。 「この場には関係者しかいないんだ。素顔を見せたって構わねーだろ」 今度は報道陣から大きな期待の声が上がった。彼らからすれば、この暴君竜の要求が通って、ミステリーマスクの素顔が拝めるのは嬉しい流れなのだ。 「そ、それはできません」 私は強く拒否する。 「なんだ、声が震えてなかったかい、今?」 暴君竜がここぞとばかりに畳み掛けてきた。これも挌闘家同士の心理戦の常套手段なのだろうか。 「いい加減にしてください。暴君竜さん」 溜来が割って入る。彼の立場からすれば、大塚の到着が確実になった以上、私に余計な失点を重ねて欲しくないはずだ。 「ミステリーマスク選手は覆面着用で試合に臨む。この条件で、あなたもOKしたじゃないですか。こんな直前になってとやかく言うのはフェアじゃないでしょう」 正論だった。さすがは海千山千の挌闘家達を束ねてイベントを育て上げた名プロデューサーである。 「ガッハッハハ。悪い悪い。この坊やが怯えてるから、ついな。虐めてみたくなっちゃったんだ」 再び暴君竜サイドのスタッフがドッと笑った。私は静かにヘルスメーターに載る。 「ミステリーマスク選手、62キロ」 暴君竜とは170キロ以上のウエイト差になる。ボクシングやレスリングなどの挌闘競技が細かく体重別に分けられていることを考えれば、これは一対一の試合としては絶望的な違いである。いや、競技として成立しないとさえ言える。 「大相撲では小兵の力士でも100キロはあるもんなあ」 報道陣があきれたようにささやく。しかし、私の心配事は別にあった。先ほどの暴君竜の挑発に、私がビビッてしまったことである。格闘技の勝負で、相手に心理的に弱みを見せることはご法度。これで暴君竜が最初から大塚を呑んでかかってくれば、彼の不利は否めない。ウエイトだけでも絶望的な差があるのだ。せめて、精神的には対等な土俵に上げなければならない。 「では、これで試合前の計量を終了します。あとはリングの上で両選手の健闘を見せてください」 溜来の締めで報道陣が去ろうとするとき、私は意を決して声を出した。 「ジャスト ア モーメント!」 意外に大きな声が出たので、室内の一同が一斉に私を見る。 「なに急に英語なんて使ってんだ」 暴君竜の悪鬼のような表情は私の肝を縮み上がらせるが、ここで退いてしまっては無意味だ。 「暴君竜だかポックンパだか知らないですけどね」 「ポックンパ…?」 「韓国式のチャーハンだ。いろんな野菜を細かく刻んでお米と炒める。美味しいですよ」 「なんだ、てめー。オレをおちょくってるのか」 暴君竜がズシリズシリと近づいてくる。 「震えてるんじゃねーかい。無理すんな」 「ふ、服を脱いだから……。寒いんですよ」 私は精一杯の虚勢を張る。ここで突っ張りとおさなければ、大塚の足を引っ張ってしまう。 「暴君竜ってのは、ティラノサウルスのことでしょう。でも、あなたはさしづめ、ティ“ラード”サウルスって感じだよね」 ラードとは、豚の脂肪を指す。暴君竜と私との距離が手を伸ばせば届くほど近づいた。報道陣がざわめき続ける。私に顔を近づける暴君竜にフラッシュが次々と光った。 「面白いな。ますます試合が楽しみになったぜ」 激怒するかと思われた暴君竜は不気味なほど静かに計量室を出て行く。胸を撫で下ろしそうになる自分を寸前で止めた。動じない挌闘家の風格をかろうじて保ちつづける。 「計量は終了しました。報道関係の方は出てください」 スタッフに報道関係者が締め出されてから、溜来が私にささやく。 「私の心臓は止まりそうでしたよ。なんであんな危険なことをするんです。もし暴君竜がキレて襲いかかってきたらひとたまりもなかったじゃないですか」 最悪の事態になれば、ボロ雑巾のように痛めつけられる私の姿をメディアの前にさらされ、今夜のメインイベントは成立しなくなっただろう。 「ぼくは暴君竜選手のプロ意識を信じてましたから」 仮にも横綱まで上り詰めた人間だ。いくら粗暴な気質があろうと、試合前にチンピラのような乱闘はしないだろう。 「でも、これで今日の二人の対決は最高に盛り上がること必至です」 溜来の顔が綻んでいる。 「あの…すみません」 話に夢中になっていた私達は、すぐ近くまで誰かが来ているのに気がつかなかった。 「あなたは誰なんですか」 女性の声だった。振り向いた先には、金髪の白人女性が立っている。私は彼女の顔に見覚えがある。 「あなたは、まさかレーナ・スベロフスキーさん……」 「ええ、暴君竜の妹です」 大塚の恋人であるレーナが、ついに私の目の前に姿を現した。 |
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