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「石岡君、剣豪になる」4 優木麥 |
| これは有名な五条大橋の決闘である。願をかけて毎夜、武芸者を打ちのめして刀を奪い、千本を達成しようとしていた弁慶と、後に彼の主君となり、源氏の血を引く牛若丸が出会う場面。武田信玄と上杉謙信の話から、まったく変更されていたのか。いや、時代もまるで違う。それにしても、このシーンは二人しか出てこないのではなかったか。大高田は何の役なのだろう。 「鬼は成敗してくれる」 牛若丸が小太刀を構える。子供ながら、さまになっているその姿からは殺気がほとばしり、私は思わず一歩二歩と後ずさった。 「いざ、尋常に勝負いたせ」 斬りかかってくる牛若丸に背を向けると、私は本気で逃げ出した。 「おいおい、ヒラリヒラリと弁慶が逃げたら、逆じゃないか」 監督の怒鳴り声がする。しかし、今の私にそこまで高い演技を期待されても、とうてい応えられない。 「待て、逃げるのか卑怯だぞ」 牛若丸が追いかけてきた。私の顔は恐怖にひきつっている。 「カットカット!」 スタッフの緊張感が解けた。中には私と牛若丸の追いかけっこを笑いながら見ている者もいる。カットの声によって牛若丸は立ち止まった。ようやく私も息を切らせてその場に止まる。監督をはじめとして、みんなが集まってきた。 「あなたは、明智さんじゃないな。一体、誰なんだ」 詰問する監督に対して、私の頭は混乱している。これはどこまで演技で、どこまでが再現ドラマなのだろう。いずれにせよ、大高田の記憶回復を手伝っている間は、私は彼の親友でなければならない。だから、おもむろに頭巾を取りながら私は言った。 「小境遊丸です」 その言葉を聞き、私の素顔を見た監督を始めとするスタッフからは一斉に悲鳴とどよめきが起こった。 「ばっ、化けて出てきた…」 「小境さんの幽霊だ」 スタジオ内のパニックはしばらく収まることがなかった。 ● 「つまり別の撮影班、まあこの場合は『本物の撮影班』に弁慶役の役者と勘違いされて連れて行かれたんですね」 木村は笑みを浮かべながら言った。私は少々憮然としている。上杉謙信の扮装をしていたため、同じ僧兵の「武蔵坊弁慶」と間違われたのだ。源平合戦のテーマで撮影していたクルー達には多大な迷惑をかけてしまった。大高田事務所のマネージャーの原が謝罪に奔走して大変だったらしい。 「結局、川中島の決闘も再現できませんでしたね」 木村が他人事のように言う。もはや私は疲れていた。慣れないことはするものではない。 「でも、今度のシチュエーションこそは大丈夫です。必ずや大高田さんの記憶を取り戻す効果が……」 「すみません」 私は右手を上げた。 「ぼくはもう限界です。この役目は荷が重過ぎるんです。すみませんが、誰か他の…もっと演技もアクションも出来る方にお願いしてください」 「降板なさりたいというわけですか、石岡先生」 木村はあくまでも冷静だった。私はうなずく。 「はい。勝手を言ってすみません」 私は一礼して部屋を出ようとする。その後ろから、木村の声が追いかけてきた。 「実は、もう石岡先生は降りることはできないんです」 妙に意味ありげなその言葉に私はドアのノブを掴んだまま振り返る。 「どういう意味ですか?」 私の問いに木村は一通の手紙を渡して答えた。私がその中を確認すると、恐るべき内容であった。 「……貴殿に果し合いを申し入れ候。場所は舟島にて…」 読み進めば一目瞭然、これは果たし状である。宛名は「大高田富丸」であり、差出人は、なんと「石岡和己」になっている。 「なんですか、これは?」 思わず私は声を荒げた。 「まあまあ落ち着いてください」 「落ち着けませんよ。こんな勝手に……ぼくの名前で果たし状を出すなんて。メチャクチャだ」 「これぞ記憶回復の決め手になるんです」 「どうしてです。時代も、人の名前も全然ドラマと関係ないでしょう」 「決闘というシチュエーション。ここに大高田さんの魂のコアがある。真骨頂があるんです。今までは、彼が出た作品の一場面をただ切り取ってきただけだった。借り物の設定に、借り物のセリフ。しかし、今度は違う。決闘という場面を与えることで、大高田さんは剣豪になりきってくれるでしょう。そして、その手には輝かしい記憶も取り戻すわけです」 「さっぱり意味がわかりません。それになんでぼくが決闘をしなければならないんです。冗談ではないですよ」 「ご心配なく。決闘に関しては、石岡先生が勝ちます」 妙に確信めいた口調で木村が言う。 「いい加減なことを言わないでください。大高田さんは剣道三段で、それ以外にも身体を鍛えていて……ぼくなんかひとひねりで…」 「大丈夫。舟島で決闘する以上、石岡先生の勝ちです」 「その根拠は一体…」 「大高田さんは、生涯一度も『宮本武蔵』を演じたことがありません。彼は、いつも佐々木小次郎しか演じたことがないんです」 ● 真紅の陣羽織は船の上からハッキリ見えた。決闘の当日、決闘の場所に大高田富丸は来ていた。しかも、佐々木小次郎の扮装をしている。ここまでは、木村の読みが当たった。 「ね、石岡先生。これでもう先生の勝ちは決まったも同然です」 舟に同乗している木村は相変わらず能天気である。 「あの背中に差しているのは……真剣じゃないですよね」 大高田は物干竿よろしく長刀を背負っている。私は茶色い着物に、白い鉢巻を締めて、こちらも宮本武蔵に見えるような衣装だ。だからといって、決闘の結果が本当にそうなるかは神のみぞ知るである。 「だから、舟が近づいて、大高田さんが『遅いぞ、武蔵』と怒鳴ったら、間違いなく小次郎の役になってますから、安心して果し合いをしましょう」 木村の言葉には一理あるが、私は怖い。そうしている間にも、舟はグングンと舟島、いわゆる巌流島に近づいている。 「遅いぞ、武蔵」 大高田が大声で怒鳴っている。 「おー、言った。言いましたね」 私と木村は手と手を合わせた。確かに彼の言う通り、大高田が完全に佐々木小次郎の役になりきっているのなら、宮本武蔵に勝つことはありえない。いや、勝ってはいけないのである。 「わかってますね。石岡先生。大高田さんが鞘を捨てますから、すかさず『小次郎、敗れたり』ですよ」 「はい。頑張ります」 それぐらいならできる気がする。舟はすでに砂浜の近くまで進んでいる。 「さあ、石岡先生、いざ決闘へ」 さっそうと舟から飛び降りて水しぶきを……あげることなど私にはできない。こわごわと舟から降りると、そのまま大高田の待つ砂浜に進んだ。 「約定の刻限はとっくに過ぎているぞ。臆したのか、武蔵」 さすがに名役者である大高田だ。対峙してみると、文字通りの剣豪といった雰囲気がぷんぷんする。 「いざ、勝負だ」 大高田は鞘を捨てた。私は間髪入れずに叫ぶ。 「小次郎、敗れたり!」 「なんだとー」 「勝つつもりなら、なぜ鞘を捨てる」 「おのれー」 大高田は憤怒の形相で、私に斬りかかって来た。隙のない一撃である。私は交わそうとしてよろけて尻餅をついてしまう。瞬間的に恐ろしさが身体を突き抜けた。考えてみれば、いかに私が武蔵役とはいえ、ある程度、大高田の攻撃を交わさなければ成立しないのではないだろうか。そして、私には、とてもそんな技量はない。 「覚悟しろ、武蔵」 大高田が再び刀を振りかぶる。私は恐怖で動けない。刃を殺してあるとはいえ、あの一撃を受けたら、骨折はまぬがれまい。必死の思いで私はいちかばちかの言葉を叫んだ。 「カーット、カットカット!」 大高田の動きが止まった。ハッと眠りから目覚めたかのように辺りを見回す。倒れている私に気が付くと、手を差し伸べてくれた。 「石岡先生ですよね。私は何をしていたんでしょうか?」 どうやら記憶は戻ったようだ。私は笑顔で言った。 「思い出さなくても結構ですよ。どうせカメラは回っていませんでしたから」 いずれにせよ、果し合いなどというものは、私の人生でこれっきりにしてほしいものだ。 |
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