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「石岡君、新春、スターと出会う」2 優木麥 |
| 「あけましておめでとうございます」 あちらこちらで新年の挨拶を交わす声が聞こえる。新年を迎えると、私でも気が引き締まり、新たな気分になる。今年の正月は、生涯初めてTV局のスタジオで迎えた。しかも、珍しくおめでたいことが連鎖していた。まず私のチームが今日行なわれる決勝戦にコマを進めた。そして、ライヤとの約束も果たすことができた。番組のファイナルカウントダウン中にざるそばを食べていた私は、誰からも苦言を呈されなかった。人気コメディアン(名前は知らない)からは「ワシにはそこまでできん。先生は大物や」と激賞さえされる始末。何にせよ問題にならなかったのは助かる。その後、祝勝会、番組の打ち上げ、新年会などのさまざまな勧誘を丁重に断り、私は自分の控え室に戻った。もちろん、ライヤを待たせていたからだが、室内は無人だった。焦って部屋を飛び出した私は、廊下を行き交うTV局のスタッフに呼びかける。 「すみません」 せわしなく動く彼らに、私はこう尋ねた。 「江麻ライヤさんを見かけませんでしたか?」 大概の相手は、まるで私が「火星人を見ませんでしたか」と聞いたかのような顔で「いいえ、見ませんでした」と立ち去る。元々、私にとってはTV局の中など迷宮のようなものだ。どこをどう探せばいいのか見当もつかない。こうなると、さきほど室内にライヤがいたのは私の錯覚ではないかと感じ始めた。だが、内ポケットには、ちゃんとレオナからの手紙が入っている。カリスマアーティスト、江麻ライヤと出会ったのは、私の夢でも妄想でもないようだ。仕方なく、私は控え室に戻ってきた。 「A Happy New Year!」 パァンというクラッカーの音と共にライヤがニコニコして立っていた。 「どこに行ってたの?」 「イケてる曲が閃いたから、忘れないようにと思って、コーヒー飲みながらまとめてた」 何はともあれだが、私には年越しソバを欠かすなと言っておいて、優雅にコーヒーとは少し癪に障る。 「ファイナルカウントダウンは見てくれた?」 「ええ、爆笑ものよね」 「笑わないでよ。君のためなんだから」 私は出演者全員に局から配られた重箱を開ける。 「ほら、おせち料理だよ」 ライヤにお正月気分を味あわせるにはうってつけだろう。 「ニの重までしかないの?」 「ああ、重箱というのはね…」 「ダメよ。おせち料理だったら、与の重までの四段重ねが正式じゃん」 「えっ、そ、そうなの」 「ニの重が酢の物、三の重が焼き物、与の重は煮物が一般的よね。歳神様を迎える正月に台所仕事をして騒がしくないようにという意味で、保存食をつくったのが由来ね」 淡々と述べながらライヤは重箱の蓋を取った。 「子孫繁栄の数の子、見通しが利くようにレンコン、長生きできるように海老、まめに働くための黒豆、あれ、栗きんとんがないじゃん」 「好きなの?」 「石岡先生。好き嫌いの問題じゃないの。栗というのは勝ち栗といって、縁起物として欠かせないのよ」 「わかった。たぶん、スタジオに残ってると思うからもらってくるよ」 「いらない。もう出なきゃならないし」 「えっ、どこへ?」 「初日の出を見に行こう」 「あ、そうなんだ」 「先生も一緒よ」 「今から…?」 「今夜出かけなかったら、初日の出を見るのに一年間待たなければならないじゃん」 ● 私が危惧していた事態は起きなかった。まるで問題なく、TV局から出られたのだ。ライヤが誰かに見つかって騒がれるのではと心配したが、考えてみれば彼女の日本滞在自体が想像の範ちゅうにない以上、すれ違う人々が気がつくはずもない。局の裏口に出るとすぐにタクシーが拾えた。一月一日の午前一時。この時間でもタクシーに乗れたのは、TV局のご利益である。私達を載せたタクシーは一路、横浜の山下公園に向かう。 「九十九里浜とか、高尾山もいいスポットらしいけど、横浜港にぼくのオススメの場所があるんだ」 「フーン」 ライヤはヘッドホンで音楽を聴きながら夜景を見ている。母国である日本の風景は彼女の目にどう映っているのだろうか。車が川崎を抜けた辺りでのことだ。 「お嬢さん、あの歌手に似てるね。何だっけ」 突然、運転手が話しかけてきた。きっと乗ったときからずっと口に出したくてたまらなかったのだろう。私は懸命に話題をそらそうとする。 「それにしても、こんな時期に働くなんて、運転手さんも大変ですね」 「いやー、でも季節感なんてないですよ。クルマのしめ飾りも忘れててさ。ついさっきつけたんですから」 うまく話題がそれたと私が安心したのもつかのま…。 「降ろして」 ライヤが鋭く言った。 「えっ、でもまだ先だよ」 私の言葉に耳を貸さず、結局タクシーを降りてしまう。 「どうしたの。君の正体がバレそうになったのは危なかったけど。それで降りなくても…」 「違うのよ」 ライヤは私の目を見つめる。 「一夜飾りはいけないのよ」 「一夜飾り…?」 「しめ飾りを31日に飾ること。これは縁起のよくないことなの。そんなタクシーに乗ってたら私のツキも落ちちゃう」 「そうかもしれないけど…」 ライヤと話していると、どちらが日本の文化を教えているのかわからなくなる。それはともかく、今はタクシーがもっともつかまりにくい時間帯だ。たまに無人のタクシーが来たと思えば「迎車」のサインである。 「歩こうよ」 ライヤが事も無げに言った。 「だって、四時間ぐらいかかっちゃうよ」 「ドントウォーリー」 そう言うと彼女は先立って道路を歩き出した。 「待って、ライヤちゃん」 「いいじゃん。歩いていこう」 「それはいいんだけど。方向が逆だよ。そっちは東京方面」 さすがにそれぐらいは地元の私が教えなければ仕方がない。私達は一月一日の午前を横浜に向かって進みつづける。クイズ番組出場というプレッシャーから解放されたと思ったら、夜を徹して歩くハメになってしまった。ただし、同行者は世界に冠たるカリスマアーティストの江麻ライヤ。運がいいのか悪いのか判断が難しいところである。 「石岡先生、何か歌おうか?」 へばりかけている私を見て、ライヤが優しい言葉をかけてくれた。とはいえ、私は気軽に一曲所望することなどできない。それは、まるで宮廷料理人に「夜食を作ってくれ」と頼むようなものである。私の返事を待たずに、ライヤは唄いだした。その歌は私も聴いたことがある。街角で、コマーシャルで、店の中で知らずに耳に入ってきた曲である。聞いている私の足取りが不思議と軽くなった。 「上手いねえ。感動するよ」 唄い終えたライヤに私は精一杯拍手した。 「知ってた? この私の『StoneTea』」 「耳にはしてたんだけど…ゴメン、タイトルはさっき知ったんだ」 私の答えを聞いたライヤが吹きだす。 「本当に先生はレオナが言ってた通りの人だね」 「えっ、何て言ってたの?」 「くだらないごまかしはしない人」 そんなカッコいい自覚はないが、レオナにそう思われていたなら嬉しい。 「ご褒美に私が『StoneTea』を教えてあげる」 「教えるって?」 「一緒に唄おう。いくよ」 信じられないかもしれないが、事実である。ライヤは横浜に着くまでの数時間、私に自分の歌のレッスンをしてくれた。言うまでもなく、彼女が接してきた相手の中でもっとも出来の悪い生徒だったに違いないが、ライヤは丁寧に励ましながら私を導いてくれたのだ。 「先生も何か歌を教えてよ。日本の伝統的なお正月の歌」 「いや、困ったなあ」 「ほらほら、レオナにもよろしくと言われてるジャン」 ライヤにそう言われては、とても抗えない。私は童謡の「お正月」を必死の形相で唄った。 「もういーくつねーるーと、お正月…」 ライヤは手拍子をして聞いてくれた。私が教えるまでもなく、メロディは一度で飲み込んだようだ。もちろん、私の音程が正しかったかどうかは定かではない。 「サンクス。石岡先生って素敵な声じゃん」 「そんな…からかわないでよ」 「凧を揚げたり、独楽を回すのがお正月のホビーね」 「でも、今はもう凧は揚げないなあ。独楽は、なんか打ち出すベーゴマみたいなのが流行ってるみたいだけど」 「失われていくんだね。いいものって」 「そんなことないよ。残っているいいものだってたくさんあるし」 私はライヤに力説する。周囲の闇が徐々に明るくなっていた。 |
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