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「石岡君、野球チームを買う」5 優木麥 |
| エースが営業の仕事に狩り出され、馬車道カプリコンズは窮地に陥った。これも草野球チームの宿命なのか。大事な査定試合まで、あと1時間余り。その間にピッチャーを確保しなければ、勝利など覚束ない。とにもかくにも、今のこのチームのオーナーは私である。自分の職分を果たさなければ、選出してくれたメンバーに申し訳が立たない。 「石岡オーナー、どちらにお電話されるつもりですか?」 マネージャーの角田の問いかけに、私はタウンページを片手に答える。 「便利屋さんに頼めないかと思って」 以前、テレビ番組で便利屋が草野球の助っ人をこなしている姿を見たことがある。腕っこきのピッチャーの出前ひとつ、という感じでお願いすれば協力してくれるのだろう。画面で見る限り、困っている人に力を貸してくれる心強い存在だった。 「オーナー、よろしいですか」 角田の目はいつになく真剣だった。 「確かに草野球の試合です。でも、この一戦には、馬車道カプリコンズの実力だけでなく、誇りや品位も問われているのです」 「えっ、ええ、わかります」 角田の迫力に押されて、私は一歩あとずさる。 「そんな試合に、職業的にレンタルしてきた助っ人を投入することが正しい戦い方でしょうか。ましてやピッチャーという要の役割を担わせるんですよ」 角田の意見は正論である。私はタウンページを閉じた。彼が指摘する通り、目先の勝利を求めるあまりに、大切なことを失いかけていた。戦力を形だけ整えて、ただ勝つことにこの査定試合の意味はないはずだ。 「済まない。マネージャー。君の言う通りだ」 「でも……」 角田が意味ありげにウインクをする。 「補充する選手が、ちゃんと馬車道在住の人間であれば、カプリコンズのニューカマーとして何の問題もありませんけどね」 「……と言うと…?」 「馬車道以外の住民や、職業的な助っ人はゴメン蒙りますが、新たな戦力を一切拒否する姿勢も正しいとは言えません」 角田の言いたいことが何となく理解できてきた。 「つまり、君は……」 「そうなんですよ石岡オーナー、どなたかいらっしゃいませんか。ご近所にお住まいのピッチャーは…?」 馬車道在住のピッチャーであれば、今日の査定試合に戦力として投入しても問題ないというのが、角田の意見なのだ。筋は通っているかもしれない。ただ、現実問題として私の知り合いにそんな人間がいれば苦労はしない。 「サウスポーが得意な人がいいなあ」 ピッチャーを捜すだけでも大変なのに、さらに条件が増えている。 「左打者対策ですよ」 「そうですか。サウスポー……サウスポー」 私はその言葉につながる顔を連想した。 「一人、心当たりの人物がいます」 「馬車道在住ですね」 「ええ……」 「お願いします。さすがは石岡オーナー、ネットワークが広い」 私は編集者の佐原に電話をした。作家として若い編集者に私事で頼み事をするのは抵抗があるが、いずれ何らかの形で埋め合わせをしよう。 「石岡先生、どうしたんですか」 「よかった。今日は家にいるんだね」 私は単刀直入に用件を切り出した。 「君のサウスポーを披露して欲しいんだ」 「えっ、そんな急に……」 「よく言ってたじゃないか。サウスポーには自信がありますって」 「まあ多少は……学生の頃からの十八番なので」 「だったら、ぼくを助けると思って、頼むよ」 「構わないですけど……私が一人でですか?」 その疑問を伝えると、角田はフンフンとうなずく。 「つまり、佐原さんは一人でひと試合を投げぬく先発完投は難しいと言ってるわけですな。リリーフを何枚か用意して、継投するしかないですね。とりあえず、一人ではないとお伝えください」 角田に言われた通り、佐原に「一人ではない」と言った。 「よかった。やっぱり二人が基本ですから。ユニフォームは自前のヤツを着ていきますね」 私は了承した。マウンドでは馬車道カプリコンズのユニフォームに着替えてもらわなければならないが、佐原のやる気をそぎたくない。日曜日に無理を聞いてもらっているのだ。彼が昔のユニフォーム姿を見せたいのなら、温かく迎えてやろう。 「ありがとね。じゃあ、待ってるから」 私は通話を切った。しかし、まだ問題は残っている。いま佐原に他にもピッチャーを用意することを約束してしまった。 「いずれにせよ石岡オーナー。現代野球でリリーフは必須です。再びオーナーの広い人脈を活用させてください」 そう角田に言われて、私は「ウーム」と考え込む。 「理想ですが、シュートの切れがあれば鬼に金棒です」 角田の要求のハードルがどんどん高くなっている。だが、その言葉が引き金となり、またまた脳裏に一人の人物の顔が浮かびあがった。 「います」 「本当ですか。その方も馬車道在住なんですね」 「ええ、いつもシュートの自慢を聞かされてました」 「頼もしい限りです。是非」 「すぐに連絡を取ってみましょう」 私は携帯電話に登録された『ホーム蘭々』に発信する。 「はい、もしもし……」 明らかに睡眠を阻害された不機嫌な声。夜の仕事だから仕方がない。午前中の今の時間帯は、彼にとっては通常生活人の真夜中過ぎの感覚だろう。 「ゴメンなさい。石岡ですけど……」 「ああ、石岡先生。おはようございます」 通話相手の名は古河。私が時々、顔を出しているスナック『ホーム蘭々』のマスター。彼にとっての非常識な時間に電話したことを詫びると私は本題を切り出した。 「古河さんは、高校生のときシュートが得意だったとおっしゃってましたよね」 多少アルコールが入った状態で訪れていたので、断片的な記憶しかないがマスターの古河が「シュートが得意」と何度もくり返した会話は覚えている。 「キレ味抜群ですよ」 「そのワザをお借りしたいんです。いまグラウンドにいるんですが、チームのメンバーが一人、急にキャンセルになりまして……」 「試合ですか!」 私の説明を遮って古河の声のトーンが上がる。 「そうです。試合に助っ人として出て欲しいんです」 「ワオー行きますとも。しばらく試合にご無沙汰でウズウズしてたんです。必殺シュートをガンガンぶちかましますぞ。自前のユニフォームを着てきますね。あ、でもそっちのチームのユニフォームがあるか」 「いえ、古河さんの思い入れのあるユニフォーム姿も見せてください」 「嬉しいなあ。血が騒ぎますよ」 これでリリーフも確保された。馬車道カプリコンズは、この15分間で新しいピッチャーを二人獲得したことになる。 「石岡先生、あなたに新しいオーナーになっていただいて本当によかったと思います」 角田が目を潤ませながら私の手を握った。 「いえいえ、快く引き受けてくれた佐原君と、古河さんのおかげです。それに喜ぶのは査定試合に勝ってからにしましょう」 照れ臭い私は頭をかきながらそう言った。 ● 「野球の試合だなんて! 石岡先生、私をあざ笑うためのイタズラか何かではないでしょうね」 グラウンド中に響き渡るような声で古河が怒鳴っている。その姿は、ブラジルナショナルチームのレプリカウェアに短パン。まごうことなきサッカーのユニフォームだ。 「いえ、あの……カン違いなんです。古河さんが得意なシュートというのが、てっきり投球のほうかと……」 「勘弁してくださいよ。せっかくの休みの朝寝を潰して、ウォーミングアップまでこなしてきたのに……」 ぶんむくれている古河に謝りながら、私は視線を佐原に移す。彼も恨めしそうな目でこちらを見ていた。佐原の格好は古河に比べれば“野球のユニフォーム”には似ている。だが、内実はまるで違う。ピンクのノースリーブウェアにピンクの短パン。頭にはピンクの野球帽である。 「カラオケボックスじゃなくて、グラウンドに集合という時点で、おかしいと気づくべきだったなあ。私はバカだ」 佐原はピンクレディのコスプレで現れたのだ。言うまでもなく、私が披露して欲しいと頼んだ『サウスポー』は、佐原にとっては左投手そのものの意味ではなく、ピンクレディのヒット曲のひとつを指していた。 「すまないね。もっとちゃんと説明すればよかったんだけど……」 「石岡オーナー、結局、ピッチャーが一人もいないことになりますね。どうすればいいんでしょうか」 マネージャーの角田をはじめとする選手達の視線も冷たい。私は完全な四面楚歌だ。無責任を承知で心の中で叫んでいた。もう、このチームを売りたい……と。 |
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