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「石岡君、テレビCMに出演する」3 優木麥 |
| 事前の説明では、各国の代表と短距離走をする設定で、「日本の象徴」である着流し姿の私が勝つという話だった。その対戦相手について、オリンピックのメダリストや出場選手であるなどと思いもよらない。 「ものすごい大物じゃないですか」 「当然ですよ。お金かかってますから」 西城はサラリとそう言った。 「では、集まってくださーい」 トラックのスタートラインに集まってきた顔ぶれは、まさに世界陸上大会クラスの選手ばかり。私は場違いも甚だしい存在である。 「……ということで、この石岡さんがトップでゴールするということでよろしくお願いします」 西城の話を通訳が各選手に訳している。選手たちは、私の姿を見てニヤニヤしたり、親指を上にして挨拶してくれた。 「ハロー、ハーアーユー?」 私に挨拶をしてきたのは、金メダリスト、ガンマレイ・バルバである。私は緊張を隠せないまま返答した。 「ファイン。今日はよろしくお願いします」 ペコリと頭を下げる私の言葉を通訳がバルバに伝えてくれる。バルバが英語で何かをしゃべった。 「日本の高名な作家とレースが出来て光栄です、と言っています」 「そんな、とんでもない」 「すみません。スタンバイ、お願いしまーす」 ADに呼ばれて私たちはスタートラインに集まった。 ● 「えっ、CGで処理するんじゃないんですか?」 私は思わず声を張り上げてしまった。このCMのコンセプトを聞いたとき、私たちはレースっぽく走ればいいだけで、あとは私が圧倒的に早いイメージ映像にCG処理をすると聞いていたからだ。 「ある程度はリアルなレース展開がないと、CG処理だけで石岡先生を一位にしたら完全に作り物っぽくなっちゃうんですよ」 「そうかもしれませんが……」 私は顔面が蒼白になっているはずだ。世界のトップランナー達と私がどんな走りをすれば、リアルにトップに見える映像になるのだろうか。しかも、今の私は着流し姿に雪駄履きなのである。この条件で私が勝つには、相手選手のスタートを競技場の外からにしてもらわないと無理だと思う。 「まあ、とにかく何度かやってみましょう。難しいところは微修正していけば何とかなると思いますから」 間違いなく、何ともならないと思うが、これだけのスター選手が出番を待っているのに、私だけがゴネ続けても仕方がない。私は早く無事に終わってくれることを祈りながら、スタートラインに着いた。 「では行きます。シーン1 カット1 用意スタート!」 ● 先ほど行なわれたものは、レースではなかった。100mを10秒かからずに走る選手たちと、私が何を競い合えばいいのだろうか。まるで新幹線と三輪車が競争しているようである。いくら、新幹線が速度を加減しようととてもレースっぽく見せられるものではない。 「無理です。どう考えても、難しい」 切れた息を整えるのにたっぷり五分かかった後、私は西城に抗議した。 「ミスター・ガンマレイも、これ以上スピードを下げなければならないのなら、私は歩くという表現がふさわしいと言っています」 「そうでしょう。CG処理してください。ぼくが自然にトップになるような絵なんか奇跡が起きても不可能です」 「わかりました。スピードとレース展開はCGとカット割で何とかしましょう。しかし、まだ問題はありまして……」 西城が口篭もる。 「何ですか?」 「見た目の力強さというか…和の迫力と言いますか。少し物足りない絵になっているんですね」 「つまり、ぼくの走る姿がイメージと違うと…」 「そうなんです。正直言って例えるとすると、着付けのお弟子さんが、バスに乗り遅れて小走りに追っかけてる、みたいな感じがしていまして…」 「西城さん、ぼくは世間の人より演技力も、運動能力も低いんです」 後から考えたら威張って言うことではなかったが、そのときの私は興奮していた。 「雪駄で全力疾走しろ、という注文だってとても難題なのに、さらに条件をプラスされても、ぼくは……」 「承知しています。石岡先生は十分以上に頑張ってくださっています。ですから、私どもで、イメージを変えるように考えてみます」 「どうするんですか?」 「小道具を使います。ゴールシーンでは、後から桜吹雪が舞い散っているイメージをプラスします。それから、えーっと……山口、着流しで迫力出すにはどうすればいい?」 問いかけられたADがすぐに答える。 「ドスですか?」 「その通り。石岡先生、次のレースシーンでは、ドスを持って走ってください」 「えっ……そんな物騒なモノ……」 「大丈夫です。模造ですから」 西城は私から離れて手配に動き出してしまった。後を追おうにも、さっきのレースのシーンの疲労が体からまったく抜けていない。むしろ、一分ごとに筋肉が重くなっている気分だ。 「お疲れ様です」 日の丸の扇子を手にした凡梧がおしぼりを手にやってきた。彼の出番はまだ先になる。 「いいCMにしたいですね」 「ええ…」 彼にしんみりとそう言われたら、私は弱音を吐いているわけにはいかない。ある程度CMタイアップ曲が売れなければ、凡梧の将来を閉ざしてしまうのだ。 「ありましたよ。スタイリストさんが小道具で持ってました」 西城が喜色満面で戻ってきた。手には長ドスを握っている。 「本当にそれを持って走るんですか?」 私は最後の抵抗とばかりに尋ねた。 「ええ、いい絵が撮れますよ」 西城に連れられて、うつむきながら私はスタートラインに移動する。 「オーッ、ジャパニーズ・ヤクザ。クレイジー」 私が長ドスを手にスタートラインに現れると、ガンマレイ達は面白がって笑った。 「雰囲気が出ましたね。これぞ頑張る和の象徴ですよ」 西城の言葉はとても素直に受け取れない。 「では、またレースのシーンをお願いします」 私たちは所定のスターティングブロックに足をかける。 「では行きます。シーン1 カット2 用意スタート!」 ● 「なんか設定がおかしくなったなあ」 モニターを見ながら西城が腕組みして頭を捻っている。 「何人かの選手は『走っている最中にオレを斬ってくれ。チャンバラ映画のファンなんだ』とか言ってきたんですよ」 私は吹き出る汗を拭ってくれていたメイク担当の女性から、タオルを受け取り自分で顔の汗を拭く。 「すでにあの絵はレースでも何でもないです」 「ウーン、何が足りないんだろう」 「いや、足りないっていうか…」 すでに何かを足したり減らしたりする段階は過ぎている気がする。門外漢の私が言うのもなんだが、CMとして成立させるには、もっと根本に立ち戻る必要があるだろう。いろんな部分が間違っている。 「まずシチュエーションがわかんなくなっちゃんたんですよね」 言われるまでもない。せっかく世界のスーパースプリンターを集めてきて、長ドスを持った着流しの素人に追いかけられて、抜かれる役をやらせるというのは、まったくコンセプトが伝わらないだろう。 「石岡先生、すみません。やっぱり私が認識不足でした」 西城が頭を下げた。ようやく自らの過ちを悟ったのだろうか。 「いいえ、ぼくは何にもわからないままですから」 「コンセプトがズレていたんです」 「そうですか」 「スニーカーのメーカーのCMなのに、それを履いている選手たちが雪駄履きの石岡先生に抜かれるというシチュエーションはCMとして成立していません」 「はあ…なるほど…」 「だから、こうしましょう。雪駄で不利なレース展開になった石岡先生が、ダッシュラン製のスニーカーに履き替えて、みんなをゴボウ抜きすると」 「100mのレースでですか?」 ガンマレイ・バルバは9秒台で走り抜ける。 「そこはCGでバッチリです」 「でも、この着流し姿でスニーカーなんて、ミスマッチでは……」 「そこが逆にいいんです。その違和感が人の心に引っかかる映像を生む」 「和が勝たなくてもいいんですか?」 「新しいキャッチコピーを考えました。『和洋折衷 ゲッチュー!』。どうですか、これでいきましょう」 西城は燃えている。私は走り終えた瞬間より、さらに疲れが増していた。 |
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