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「石岡君、元横綱と試合をする」1 優木麥 |
| 「大晦日に何をしたいですか?」 そんな質問に対して、あなたはどんな回答をするだろう。 仕事から解放され、海外に行く。大掃除をする。帰省をする。いや、何もせずにとにかくゆっくりしたいと答える人も多いだろう。いずれにせよ、力いっぱい仕事をしたい、なんて人は少数派のはずだ。 ましてや、元横綱とリングの上で総合格闘技の試合をしたい、と答える人は皆無ではなかろうか。もちろん、私もその1人だ。だけど、何の因果か、願ってもいない夢が現実化しようとしている。 「入場テーマがサビの部分に入ったら、ゲートから登場で間違いないよね。OK、いまミステリーマスク選手がスタンバイできたから。うん。リングアナの呼び込みから神輿スタンバってるんで。よろしく」 インカムをつけたスタッフがめまぐるしく動き、あちこちに指示を飛ばしている。断続的に地鳴りのような音が響いてくる。壁一枚隔てた向こう側で、2万人近い観衆が、格闘技の試合に歓声をあげているのだ。 「確認するよ。ゲートを完全に出たら、一度停止すること。そこで両サイドから花火が上がるから。パンパパパンって5発鳴ったら終了。それから花道を歩くってことで」 「花火打ちのときには、ミステリーマスク選手にポーズを取ってもらえないかな」 「神輿の上は不安定だからな。危険かも」 「じゃあ、座ったままでいいから、手で何か観客にアピールだけでも」 ここは入場ゲートの奥にこしらえられた控えのスペース。怒鳴るように話し合っている演出内容は、私に関することだろう。しかし、できる限り他人事として私は眺めている。 「ミステリーマスク選手、私が合図したら、この神輿に乗ってください」 チームリーダーらしき人物が話しかけてくるが、私は無反応だ。彼はもう一度同じ指示を出した。真剣に仕事に取り組む好青年なのだろう。しかし、私は知らない。関わりたくない。だって、私は入場しないのだから。 「試合前の彼はピリピリしてるの。大丈夫、段取りはわかっているわ」 若宮がフォローする。私が睨むが、彼女は平然とした様子だ。やはりマスク越しなので、こちらの恨みの視線は伝わりにくい。 「ぼくは入場なんてしませんからね」 冗談じゃないにもほどがある。派手な柄のガウンを羽織った私は、いまだミステリーマスクの覆面を被ったまま。思えば精神的には、はるかに遠くに来たものだ。 今年も残り4時間を切った。この大晦日の新世紀アリーナで格闘技イベント「ビッグバンバトル」が開催されている。そのメインイベントで元横綱の暴君竜と対戦するのが、謎の覆面格闘家、ミステリーマスクだ。言うまでもなく私ではない。正体は、整体師の大塚克美。私の知り合いでもある彼が、なぜ無謀な対戦を望んだかといえば、暴君竜の妹レーナとの結婚を許してもらうため。兄である暴君竜が「自分に勝ったら結婚を認める」というとんでもない条件を出したからだ。 今日の対戦相手が大塚であることを恋人であるレーナは知っているが、暴君竜自身は知らない。そのために『ミステリーマスク』なる覆面格闘家に転身しての参戦となった。しかし、昨日の記者会見前にアクシデントによって、大塚に持病の腰痛が発生。ここから、私は思いもよらぬ『ミステリーマスク身代わり騒動』に巻き込まれてしまった。 絶対に試合に出場したい大塚は、名古屋に住む整体の師匠に治療を頼みに行く。その間、なんと背格好の似ている私に『ミステリーマスク』になりすますことを依頼したのだ。とりあえず記者会見への代理出席だけのつもりで引き受けた私だったが、予想外の成り行きとなり、試合直前の入場ゲート控えスペースの時点で、まだ『ミステリーマスク』をこなしている。 「みんなが全力を尽くしていますから、石岡先生はお待ちください。とにかく、今の私たちにできるのは信じて待つことだけです」 若宮の言葉は自分自身に言い聞かせている気がする。確かに、彼女の立場では何かを保証できるわけがない。ひたすら信じて待つのは正しい選択だろう。このまま口論するのは不毛だと感じた私は、現在リングで行われている試合が流れるモニターの前に行った。 「このラウンドが終わったらロングのCM入るから」 モニターの前にはスタッフの人だかりができている。壁の向こうで選手の一挙一動に歓声を上げる観客と彼らは違う。スタッフにとって第一の関心は勝敗ではなく、いつ試合が終了するか、なのだ。大晦日に生放送でイベントを流しているプロである以上、当然である。 「まだオブの試合してるの?」 メインイベントの前のセミファイナルで試合をしているのは、黒人の巨漢ファイター、オブ・サッテ。試合前に控え室で会った彼に、私は個人的な事情から「できるだけ長く試合をして欲しい」と頼んだ。 「オブの超人的な強さを見せたくて、あんまり強くない若手選手を選んだのにね」 「もう4Rまでもつれてるよ」 スタッフは不審そうだ。あくまでも大塚と私にとっては、オブの長時間ファイトは好都合である。 「コンディションを崩したのかなあ」 スタッフの感想を耳にしながら、私はその場を離れた。セミの前の五試合が、予想外に早く決着したことが、大塚到着までのタイムリミットを大幅に削減した。だが、ありがたいことにオブの努力で時間を稼げている。今のうちに大塚に会場入りして欲しいと切に願う。我慢できずに私は携帯電話を手に取った。「おかけになった電話番号は現在、電波の届かないところにおられるか……」 つながらない。神経質になっている私は、大塚からの連絡があった後、何度も電話をかけているが、一切話せなかった。彼は本当に新幹線に乗れたのだろうか。 「若宮さん、ちょっといいですか」 やはり確認せずにはいられなかった。クリップボードを持ったスタッフと話していた若宮は、すぐにこちらに駆け寄ってくる。 「どうしました?」 「震えが止まらないんです」 私の肩から両手は悪寒に襲われたように小刻みに動いている。気持ちを他に向けていないと、吐いてしまいそうだ。 「お願いです。どんな結果になっても、試合をしなくていいと断言してください。そうしないとこの震えは止まらない」 「プロデューサーの溜来には事情を説明してありますから」 秘書の若宮が幼子をあやすように言う。溜来といえば、私を『ミステリーマスク』から開放せず、監禁し続けた張本人である。この『ビッグバン・バトル』に賭ける彼の情熱は理解する。だが、私にも協力できる許容範囲があるのだ。 「溜来さんと直接話をさせてください」 「いまは無理です。テレビ中継の実況席で解説をしてるんですから」 「とにかく、今度は最優先で大塚君を呼んでくださいよ」 私の口調はほとんど泣き声に近い。 「承知しています。すでに会場の関係者入り口には、大塚選手の写真を持たせたスタッフを数名張り付かせています。たとえ彼が、またパスを忘れようとここまで案内してくる手はずを整えてあるんです」 メインイベントに出場する選手が会場入りできないなんて、マヌケな事態はもう避けて欲しい。名古屋から一度は帰京した大塚だったのに、関係者入り口の通行に必要なIDパスや、携帯電話の不所持により、再び名古屋に舞い戻らなければならなくなった。 「スタッフに30秒おきに電話させてます」 若宮は万全を期していると胸を張る。6時30分に「今から新幹線で帰京する」と、名古屋駅近辺からの連絡があったきり、現在まで大塚と連絡が取れない。 「今度はケータイを持ってるはずなのに、どうして……」 私の不穏な雰囲気にあわてて若宮が私の耳にささやいた。 「大丈夫です。もう常識的に考えて穴はありませんから」 今の私は疑心暗鬼の塊である。昨日からありえないはずのことが次々と起こった。常識では大丈夫、なんてセリフは耳に入らない。 「新幹線に大塚君が乗ったなら、なぜ電話に出ないんですか」 「車内での通話を控えてるんでしょう」 「デッキに出ればいいじゃないですか」 「きっと試合前にコンセントレーションをしてるんですよ」 「携帯電話にコンセントが要らないことぐらい知ってます」 「いえ、石岡先生、そうじゃなくて……」 「やっぱりダメかも」 耐え切れなくなった私は頭を抱えて座り込んでしまう。 「やめてください。石岡先生、他のスタッフが見てますよ」 若宮が私の手を取って立ち上がらせる。たしかに、試合前の選手がひざを抱えて座り込んだら、スタッフは緊急事態発生と勘違いするだろう。しかし、私は格闘家ではない。一介の作家に過ぎないのに、なぜそんな心配をしなければならないのか。 「オブの最終ラウンド、ラスト30秒です」 スタッフの声が無情に響く。いよいよ、ミステリーマスクの試合までカウントダウンが始まった……。 |
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