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「石岡君、ホラー映画を批評する」2 優木麥 |
| 「怖すぎて内容が頭に入りません」 まだ作品を観る前から私は悲鳴をあげるように言った。ホラー映画の批評をするなど、私にとっては大型トラックを九州まで運転するのと一緒だ。とても、やりおおせる能力も自信もない。 「ジャパニーズホラーは世界を席巻しつつあります。新たな“涼しげなモノ”として、文化に息吹を与えているのです」 「鳥井さん……」 何と言われようと、私は5本のホラー映画を観るなんてできない。たとえ1本でも、開始30分後まで失神せずに済むか自信はない。 「文化の担い手は他を当たってください。ぼくには不適当な役回りです」 「何が、どう不適当なのでしょうか?」 鳥井の質問に私は必死で答える。 「まず血が駄目なんです。ホラー映画では、いろんな人が殺されたりして血がドバドバ出るじゃないですか。あれはもう生理的に耐えられないんです」 「日本のホラーはひと味違いますぞ」 鳥井は悠然として、私の抵抗を跳ね返す。 「石岡先生がおっしゃってる作品は、スプラッター映画、まあナイフスラッシャー映画と言いまして、ホラー映画のジャンルの中でもひとつのカテゴリーなのです。その意味では、今回ご覧いただきたい5本の作品に、このタイプの作品はひとつもありません。いわゆる、血がドバドバ出て怖がらせようという手法ではないのです」 「しかしですね……」 「石岡先生、海外の作品によく見られる血の多さで恐怖を演出しようなんてアサハカな志の作品ではありません。日本人の心に訴えかける“恨み”とか“情念”などを是非ともご批評いただきたい」 「そ、それも……受け付けないのです」 「何ですと…?」 「因縁ドロドロのストーリーは、ぼくにとっては苦手極まる物語でして……。すみません。公正な批評ができるとは思えないのです。それゆえに不適当だと申し上げて……」 「石岡先生は、ミステリー作家ですよね」 突然、話題の矛先が変わった鳥井の質問に私は素直にうなずく。 「だったら、今のお話は額面通りに受け取れませんな。ミステリー作品は、まさに因縁ドロドロ、死体ゴロゴロなくしては成立しない世界。そこの第一線の書き手である石岡和己先生のクチからそのストーリーは苦手極まるなどとおっしゃられるのは、矛盾していると思われますが、いかがか」 高僧の一喝にも似たひと言だった。このまま言葉でやりあっていては流れに飲み込まれてしまう。いつのまにか、ホラー映画を観る確約をさせられるのは必至だ。こうなったら三十六計逃げるにしかずである。 「さまざまな面では議論は尽きないと思います。ですが、私の気持ちは変わりません。批評はご遠慮します。それでは、失礼致します」 是も非もない。その場からそそくさと立ち去ろう。いつまで押し問答していても切りがないのだ。 「あなたも、蔑視されるのですね」 鳥井の言葉に私は足が止まる。非難する口調と言うより、悲しみをたたえた言い方に聞こえたからだ。 「蔑視……?」 「そうです。石岡先生からすればホラー映画は一段下の扱いなんですね」 「いや、そんな気持ちでは……」 「ホラーにはストーリーもなければ、テーマもない。あるのは、キャーキャー騒いでいる女優と、うろつく異形のモノのみ。映画鑑賞というより、テーマパークのアトラクションのほうが似合いだと思っていますね」 「ぼくはただ……」 「エンターテインメントに貴賎はありませんぞ、石岡先生」 「わかっています」 私としても、ホラー映画を蔑んでいるから引き受けないなどと思われるのは心外だ。 「鳥井さん、単純にぼく自身の批評精神に関する適性の問題なんです。ホラー映画に関しては、蓄積もないし、嗜好もありません」 「でも、人一倍怖がる能力をお持ちだ」 鳥井はニコヤカに笑っている。 「ホラー映画を製作している人間にとって、これほど喜ばしいことはない。甘いものが嫌いな料理研究家が、いくら舌が肥えていたとしても、積極的にデザートを食べて欲しいと思うパテシェは少ないでしょう。その意味では、石岡先生こそホラー映画の批評を行なう者としてふさわしいのです」 「し、しかしですね……」 「恐怖を知る鑑賞者こそが、ホラー映画を正しく賞味できる。その真髄を味わうことができると信じております」 「は、はあ……」 正面からそう言われると、積極的な反論がしにくい。 「どうか、お引受けください。日本の“涼しげなモノ”文化の永遠の繁栄のために」 鳥井の言葉は大げさすぎた。しかし、それだけ熱く語る彼の思いは確かに私にも伝わってくる。むげに断れるほど私の気持ちは強くない。 「わかりました。では、やってみます」 鳥井は私の言葉に涙を流さんばかりに感動している。 「ありがとうございます。これで日本のホラー映画界は救われますぞ」 その前に私自身を救って欲しいと考えたが、さすがにそれを口に出すことはやめた。 ● 「イヤです。絶対イヤだからね」 里美は電話の向こうで強硬に反対した。私の懇願に快い返事をくれない。 「なんで、石岡先生の家でホラー映画のビデオを観なくちゃならないのよ。それも5本も!」 「ぼく一人で観るなんて不可能なんだよ。助けてよ里美ちゃん」 私も必死だった。まだ公開前の作品のサンプルを預かってきたのだが、とてもではないが自分だけで再生するなんてできない。なんとか、同伴者がいれば気持ちも奮い立たせられるので、里美に電話した次第だ。 「お断りします」 「じゃあ、画面を観なくてもいいから、一緒にいるだけでも……」 私がそこまで話したとき、キャッチホンがかかってきた。一旦、里美との電話を切って、そちらに出る。 「もしもし、石岡先生のお宅でしょうか」 聞き覚えのない男性の声だった。 「ええ、そうですが……」 「私、板東圭介と申しまして、映画監督をしております」 「どうも、はじめまして…」 私には板東の電話の意図がわからない。 「実は、こういうことを先生に申し上げることは、道義上、間違っていると重々承知しているのですが……。やむにやまれずお電話してしまいました」 「あの、ご用件は……?」 「折り入って石岡先生にお願いがございます」 私は身構える。何かを売りつけられるのかと警戒したのだ。 「どうか『巌流島心中』に高得点をおつけください」 即座には私に意味がわからなかった。出てきた単語が唐突だったからだ。しかし、数秒もするうちに何となく察しがついた。私が預かっているホラー映画のタイトルに「巌流島心中」なる作品があった。そして、板東はその作品の監督なのだろう。だから、批評する私に対して、点を甘くして欲しいと頼んできたのだ。 「坂東さん、正直なことを申し上げます」 「はい……」 受話器を通して板東の緊張感が伝わってくる。 「ぼく自身もモノを書いて、世間に発表して生計を立てている人間です。批評のさじ加減によって読者の印象が左右されるケースもあると承知しています。ですから、少なくても未見の人に対して、興味を薄れさせたり、価値をおとしめるような書き方はしないように自分を戒めておりますので、ご安心ください。ただし、観る前から高得点をつけるなんてお約束はできません。それもご了承ください」 「そうですか。おっしゃる通りです。私が短慮でした。申し訳ありません」 「気になさらないでください。では、作品を楽しみに拝見いたします」 板東との電話を切った。私が会話が途中だった里美にもう一度かけようとリダイヤルに手をかけたとき、携帯電話が鳴る。非通知なので放っておこうかとも思ったが、出てみた。 「もしもし、板東ですけど……」 「あ、はい……」 いま電話を切ったばかりで、また板東から電話がかかってきた。 「やっぱり高得点にしてほしいんです。お願いします石岡先生」 私はホラー映画を観る前から、背筋に冷たいものが走っていた。 |
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