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「石岡君、ホラー映画を批評する」3 優木麥 |
| 「巌流島心中は私のライフワークです」 板東の声は切実だった。もちろん、私も自作にこだわる気持ちはよくわかる。とはいえ、批評する相手に何度も電話をかけて懇願する態度は誉められたものではない。 「坂東さん、落ち着いてください」 「この作品がヒットしなかったら、もう私はメガホンを取れないんですよ」 徐々に板東は興奮してきた。危険な兆候である。 「わかります。非常によくわかります」 「今までの批評家はみんな、私の作品をコキ下ろすんです。こっちは心血を注いで作り上げたのに、クーラーの効いた部屋で2時間足らず、眺めていただけの人が作品の価値を決めてしまう。これはおかしいでしょう」 「え、ええ……ただ、それも表現者としての宿命というか」 「許せない。だから、自分の作品の価値は自分で守るしかないと決めたんです」 板東の不気味な宣言だった。 「あ、あの……」 「私の作品を貶めようとする者が現れたら、誰であろうと許さない。人の魂の結晶をけなすことは、どれほどの大罪か思い知らせてやるのです」 明らかな脅迫だった。だが、不思議と私は震えない。もちろん、腹の底からジワリジワリと湧いてくる恐怖はある。しかし、私もまた一人の表現者だ。自作への愛情は人一倍持っていると自負している。それでも、その作品への賛美を強制したりはしない。作品に対して千差万別の反応があることは仕方がない。また、私達の世界はそれで成り立っているのである。その嗜好の違いを認めず、己の未熟さを棚に上げて、自分の作品を全肯定しろ、などという横暴な姿勢を私は忌避する。だから、板東の脅しに屈して、言われるがままの高得点をつけることはありえない。 「坂東さん、あなたのお気持ちはわかります。でも、ぼくはぼくの価値観、いや内なる良心に従って批評させていただきます」 「何ですって……」 「その代わり、自分が出した批評の内容には責任を持ちます。だから、坂東さん。脅迫めいた言葉で批判を封じようとするのはやめてください」 自分でもよくそこまで言えたものだと感心する。しばらく、板東は無言のままだった。私は電話が切れてしまったのかと思い、問いかける。 「板東さん……」 「おのれ、石岡和己……」 地の底から響くような板東の唸り声だった。 「我が作品に対して、そこまでの悪口雑言をほざくとは……」 「いえ、まだ何にも具体的な批評はしてないんですけど……」 「決して許すまじ! 首を洗って待っているがいい」 捨て台詞を吐くと、板東は電話を切った。ツーツーと鳴る携帯電話を、私はしばらく見つめているしかなかった。 ● 板東圭介監督作品の「巌流島心中」のストーリーは以下の流れだ。冒頭は、巌流島の決闘シーンから始まる。史実通りに展開する宮本武蔵と佐々木小次郎の戦い。無論、武蔵の勝利で終わる。この作品のオリジナル部分はそこからだ。なんと、武蔵が小次郎の亡霊にとりつかれてしまう。最初は夢に出て悩ませるだけだった亡霊は、やがて昼間の武蔵の目の前にも現れるようになる。懸命にお通が励ますが、亡霊を退けることはできない。ついに武蔵は思い出の地、巌流島へ。そこでお通の身体にのり移った小次郎と再び対戦。さすがにお通の身体を斬るわけにはいかず、斬られてしまう武蔵。我に帰ったお通は、目の前で自分に斬られた武蔵の死体を見て、絶望のあまり、自らも命を絶った。 「うーん……」 見終わった私は首を捻る。どう採点したものか。辛口にならざるを得ない気はする。ストーリーとして細かいことをいえば、最後に武蔵が斬られて死んでしまうのはいただけない。史実的には、武蔵は生きていたわけだから、その武蔵はニセモノだったとか、小次郎がのり移って生きていたとかラストの作り方はいろいろあったはずだ。 問題はまだある。画面が非常にチープなのだ。まず主役である武蔵役。巌流島の決闘から1年ほどの話なのだから、20代の武蔵のはずなのに、どう見ても50過ぎのオジサンが演じている。しかも、かなり脂肪のついた身体でドタドタと走り回り、ハッキリいえば見苦しい。小次郎役も問題がある。他作品では、美青年に描かれることが多いが、この「巌流島心中」では、どこかの場末のスナックママのような年配の女性が演じていた。いくら小次郎の扮装をしようと、そこまでギャップがあると町内会の忘年会での出し物を見ているような気分になる。そして、お通。彼女を演じたのは、東南アジア系の出身に見えるホステス。セリフもイントネーションがおかしい。 画面を見ている最中、役者が演じたい話とは別のイメージが湧いて仕方がなかった。初老の武蔵と、外人ホステスのお通のラブシーンは、どこかの飲み屋の社長とホステスの会話そのものにしか聞こえない。 さらに、一番の問題は、怖くなかったことだ。この私が見ていて全く怖くなかった。日本で怖がりランキングをつければ、上位入賞も狙えるであろう私が怖がらない「ホラー映画」は高得点をつけるわけにはいかない。 「坂東さん、これは誉めるのが難しいよ……」 思わず私はひとり言を口にする。映画の魅力として挙げられる基本要素のことごとくがバツ印。さすがに、この作品を誉めるのは、私も批評の仕事を引き受けたものとしての良心が痛む。板東には不本意だろうが、多少は手厳しい意見を書かせてもらうしかない。そう決めたら、お腹がすいた。一度に5本続けて観ても、イメージが混ざってしまうので、気持ちをリセットする意味でも、コンビニに買い物に出かけることにした。 ● 「石岡先生ですよね」 コンビニで雑誌を立ち読みしているときに声をかけられると、ドキッとする。どんな場面でもドキッとするかもしれないが、特に自分が立ち読みをしているときは無防備な状態なのだ。 「は、はい……」 目の前のメガネをかけた長髪の青年は「石岡先生ですよね」と確認する問いかけだったので、こちらとしては肯定するしかない。これが「石岡先生ですか?」という尋ね方なら、まだ「いいえ」と答える勇気も多少はある。 「あの……『タッパーの中の悪意』はご覧になっていただけました?」 「何ですか?」 「あれ、僕の作品なんです。一応、監督をしまして……。監督の真下総一というのは、僕のことなんです」 真下ははにかみながら頭をかく。私はようやく合点がいった。「タッパーの中の悪意」という作品も批評すべきホラーの5本のうちの1本だった。 「ああ、すみません。まだです」 「そうですか。そうですよね」 真下の顔から笑みが消え、うつむいてしまう。 「真下さん、あの……」 「ダメなんですよね。やっぱり、また僕の作品なんか……世の中に問うに値しないんだ。そうに決まってる」 そう叫ぶと、真下はコンビニのウインドーに頭をガンガンと打ちつける。青い顔をした店員が駆け寄ってきた。 「お客様、おやめください」 「うるさい。こんなゴミ作品しか生み出せない頭なんて……こうしてやる。こうしてやるー!」 「真下さん、違いますよ。ちょっと、まだぼくは1本しか観てないんです」 「どうして、その栄えある最初の1本に、僕の作品を選ばなかったんですか」 私が1本目に観たからといって、どこにも栄光はない。 「あ、あいうえお順です」 何とか当り障りのないことを口にしようと思い、私はそう言った。確かに、巌流島心中のほうが「タッパーの中の悪意」よりも、あいうえお順で先に来る。 「なるほど。そういうわけなんですか」 こちらが拍子抜けするほどあっさりと、真下は平静さを取り戻す。 「では、これから僕の作品を観るんですよね。よかったら、隣でいろいろ解説してさしあげましょうか。面白い撮影裏話が一杯ありますよ」 「いえ、大丈夫です。結構です」 ホラー映画を観ながら、笑える裏話を聞くのは正しい鑑賞法とは思えない。 「遠慮なさらずに、さあ……」 「1人で観ないと怖がれませんから。ホラーはそこが命じゃないですか」 私の言葉に真下はうなずいた。一難は去ったが、私の胸の中の不安は膨張する一方だ。一体、全部見終わるまでに、何人の監督と出会うのだろうか。 |
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