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「石岡君、歌舞伎町で朝まで過ごす」10 優木麥 |
| 歌舞伎町一番通りに降り立った石倉の顔は、自信満々に見えた。 「石岡先生、昨日、私と飲んだことが、まさかこんな形で生きてくるとは思わなかったでしょう」 得意満面の表情だが、私は素直にうなずけない。 いまだに信じられないが、タクシーからの電話で豪語していたように、もし本当に石倉が稲垣重蔵を歌舞伎町に連れてこれるのなら、彼が戻ってきた僥倖は喜びたい。ただし、石倉と飲んだこと自体を喜べと言われると、クエスチョンマークがつく。なぜなら、彼と歌舞伎町で痛飲しなければ、午前3時という非常識な時間まで新宿に留まることはなかったし、ほのかとのトラブルに巻き込まれもしなかった。 「それにしても災難でしたなあ」 石倉は、私の事情説明を聞いて開口一番、そう言った。確かに、財布を盗られただけでなく、警官に職務質問をされたり、稲垣重蔵を連れてくる約束をしたりしたことは、心躍るような出来事ではない。 「まあまあ、もう安心してください。私が来ましたからは、大船に乗った気分でいてくださって結構です」 「どうして、イナジュウを連れてくるのに自信満々なの?」 私には、編集プロダクションの社長と与党の大物との接点が浮かばない。石倉は歯を見せて笑いながら、手を振る。 「大したことじゃありません。実は、私の知り合いのフリーカメラマンが、ちょうどイナジュウをマークしてる最中なんです」 「えっ、それって、いわゆる写真週刊誌系の?」 「そうです。何のネタを追いかけてるか、までは教えてくれなかったんですけど、確かにイナジュウを追ってるそうです。だから、今夜辺りも、すぐにどこにいるか判明しますよ」 「なるほどね」 稲垣にどうやって連絡すればいいのか見当がつかなかった私には、朗報かもしれない。 「ちょっとお待ちを。いま連絡をつけます」 石倉は携帯電話で2〜3分話した後、こちらに近づいてきた。 「すみません石岡先生」 「えっ……」 「見失ってしまったそうです。なんか、撒かれちゃったみたいで……」 石倉からさきほどまでの自信が消えている。 「自宅に帰って寝てるんじゃないの?」 「いえ、それが与党の閣僚と赤坂の料亭で会合に出た後、車で消えたそうです。例のカメラマンはすぐにイナジュウの自宅に戻って見張ったそうですが、いまだに戻る気配がないと」 私はうつむいた。やはり壁は厚くて、高い。石倉のおかげで飛び越えられたかと思った次の瞬間には、もう別の壁がある。 「それにしても、やっぱりスクープの内容は教えてくれないんですよ。結構、ガードが固いですね。まあ、スキャンダルの決定的な写真で食ってる連中ですから、それぐらいでなきゃやっていけないのでしょうが。イナジュウの何の弱みを狙ってるんですかねえ」 石倉と同じ疑問を私も抱いていた。 「イナジュウは品行方正に見えるけどなあ」 「表向きのイメージですけど、そうですね。まあ、なんだかんだ言ってもスキャンダルのネタなんか、限られますからね」 寄ってくる客引きを石倉は断る。 「女か、金か、あるいは家族に問題が……」 「えっ、石倉君!」 私は周囲に構わず、大声を出した。さっきの客引きが自分が呼ばれたのかと、再び近づいてくる。 「なんですか石岡先生」 「うかつだった。ほのかチャンだ。いま写真週刊誌が狙っているイナジュウのスクープのネタは、彼女なんだ」 そう確信した私は走り出していた。 ● アマミの店『イモーレ』は、雑居ビルに挟まれた2階建ての1階だった。 「あそこですか。電話で言っていたその……」 息を切らせて私の後をついてきた石倉が言う。しかし、私は彼の言葉を聞いていなかった。電柱の陰で携帯電話を話している人物に歩み寄る。 「またお会いしましたね」 私が話しかけたが、相手は聞こえないふりをして携帯電話で通話を続ける。 「最初に会ったときも、そうやって携帯電話の通話で誤魔化そうとしましたね」 「石岡先生、一体何をしてるんです」 私の肩に手をかける石倉の顔が青ざめている。無理もない。かくいう私自身も、最初にこの人物とであったときは、肝をひしがれたものだ。白いスーツにサングラス、角刈りとくれば、周囲3メートル以内に近づくことは避けたい。 しかし、今は違う。 私はこのサングラスの男が、見かけ通りの職業だとは思っていなかった。 「ほのかチャンの写真を何枚撮ったんです」 「なんのことだ、オラー」 「騙されませんよ」 自分でも驚くほど私は落ち着いている。暴力的な気配を漂わせていても、目の前の男は決してその筋の人間ではない。スキャンダル写真を狙って、ほのかにつきまとっているだけだ。 「人気政治家であるイナジュウの娘の放埓ぶりは、さぞや売りになるのでしょうね」 「意味がわからんのだけどな」 サングラスの男は凄んで見せるが、声が震えている。 「職安通りで、ぼくが後ろを向いたとき、あなたは写真を撮っていたのがバレないように、携帯電話で通話しているフリをした。あのときは、ぼくも怖い人に因縁をつけられなくてよかったとそれ以外は考えませんでした。でも、よくよく考えてみれば妙な話です」 「な、なにがじゃ、こりゃあ」 「あなたは、あのとき買う馬券の指定をしていました。1番じゃない、7番だとか何とかね。でも、おかしいじゃないですか。あの時間は、もう午前2時ですよ。一体、どこの売り場で馬券を買ってるんですか?」 「オ、オレのシノギにあやつけるんか」 「観念なさい。ほのかチャンは未来ある娘です。ヘンなスキャンダルに巻き込ませたくありません。あきらめてください」 私は頭を下げた。そのとき、後ろで聞き覚えのある声がする。 「なにやってるの、イッシー」 振り返った先には、やはりアマミがいた。 「店の前で、ゴチャゴチャやってるから、店内まで聞こえたわよ」 「アマミさん、ほのかチャンに出るなって……」 私の言葉は遅かった。アマミの後ろから、ほのかが現れる。 「大声だしてたの、石岡さんなの? 喧嘩かと思っちゃった」 「ほのかチャン、出てきちゃダメだ。ここにパパラッチがいるんだよ」 「えっ……」 もう間に合わない。私は身を挺してほのかの体をカメラのレンズから守ろうと思った。しかし、彼女は、サングラスの男に目をやる。 「鹿川さん、なにやってるの、こんなとこで」 彼女の言葉に、私の動きが止まる。鹿川と呼ばれた男は、サングラスを外した。 「お嬢さん、すみません」 角刈りの頭を下げる。私には目の前の事態が飲み込めない。 「どういうこと?」 「彼は、お父さんの私設秘書の鹿川さんなの」 「えっ、えええー!」 今度は私が驚く番だった。写真週刊誌のカメラマンだと勘違いして、暴言を吐いてしまったことになる。 「ほのかお嬢さん、もう家に帰ってください。先生も心配しています」 先ほどまでの凄みとは打って変わって、鹿川は丁寧な言葉遣いになっている。 「帰らないわ。誰が、あんなヤツの言う事をきくもんか」 ほのかはそっぽを向く。そのとき、石倉の携帯電話が鳴った。しばらく話した後、緊張した声で言う。 「イナジュウが、自宅に戻って、すぐにまた家を出たそうです」 |
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