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「石岡君、年末の格闘技大会に出る」6 優木麥 |
| 目の前に暴君竜がいる。 小山のような巨体に、殺気を漲らせた目を光らせて立っていた。どういうことか。いつの間に自分はリングに上がらされたのだろう。結局、大塚は間に合わなかったのか。私は周囲を見回す。目が数え切れないほど並んでいた。一様に語っているのは、私がどんな風に料理されるのか、その行方を知りたいという興味だ。 「ようやく二人きりになれたな」 暴君竜の口からこの世のものとは思えない叫びが発せられる。まるで地の底から響いてくる魔王の声だった。 「ぼ、ぼくは……」 恐ろしさに身がすくんだ私は言葉が出てこない。 「あれだけ大言壮語を並べたんだ。覚悟しろよ」 暴君竜が一歩ずつ前に出る。獲物を前にした肉食獣のように興奮して迫ってきた。 「選ばせてやる。どっちの腕から折ってほしい。右か、それとも左かい」 「できれば……左…」 右腕では執筆作業に差し障りが出る。そんなことを考えている余裕はない。どちらもイヤに決まっている。腕を折られるなんて断固拒否する。もう構わない。大声をあげてカミングアウトするしかない。なぜなら……。 「ぼくは、ミステリーマスクじゃないんですぅー!」 しかし、暴君竜の歩みは止まらなかった。 「そんなマヌケなマスクを着けてるヤツはこの世に一人しかいねえ」 「で、でもぼくじゃない。ぼくはミステリーマスクじゃないんだー!」 自分で自分の叫びによって目覚めた。気分が落ち着いてくると、自分のいる場所が、まだホテルのスイートルームだと気づく。ソファでうたたねをしてしまったらしい。顔は汗でビッショリだった。 「悪い夢をごらんになったんですね」 テーブルの上のノートパソコンで作業をしている若宮が笑った。『ビッグバン・バトル』のプロデューサーの溜来の秘書で、私の監視役である。 「うん。まだ覚めてないみたいですけど……」 私は本音を漏らす。先ほどの悪夢からは目が覚めたが、現実世界においてもミステリーマスクを演じつづける悪夢からは逃れられていないのだ。 「もうすぐ計量の時間です」 若宮の口調は事務的に聞こえる。朝の会食で溜来からは大塚が間に合わなかった場合、私がミステリーマスクとして計量することを依頼されていた。 「ぼくはどれぐらい寝ていたんだろう」 時計を見ると、2時を回ったところだった。1時間と少しの睡眠だ。 「大塚君からはまだ連絡がありませんか」 「はい……」 やはり若宮の返事は事務的だ。私は胸の奥からせり上がってくる不安を必死で押さえつける。まだ試合開始までは5時間以上ある。いや、ミステリーマスクの試合はメインイベントなのでさらに2時間ほどの余裕を見ていいだろう。7時間あれば博多までだって行ける。大坂まで往復することも可能だ。大塚は帰って来る。何度も自分にそう言い聞かせた。 ● 「あっ、ミステリーマスクだ!」 ビッグバン・バトルのスタッフに囲まれ、ホテルのボーイの手引きによって人目の少ない形で外に出ようとしたが、ホテルの外でファンに見つかってしまった。 「わー、サインしてください!」 「今日の試合、絶対に勝ってー!」 一人の叫びが呼び水になり、次々と人が集まって、私達は身動きが取れなくなる。 「下がって。選手を通してください」 若宮やスタッフが金切り声を上げるが、興奮した人々はなかなか離れない。 「サインはできません。選手は移動中です。下がってください」 「何だよ、サインしてくれよー」 「握手、握手してー!!」 携帯電話の撮影や、差し出される色紙に私はどう対応していいかわからない。第一、私はミステリーマスクではないのだ。 「車の用意が出来てます。道路まで、あと少し」 若宮が私の耳元でささやき、前後左右をガードするスタッフが私を一歩でも前に進めていく。彼らは自分が先導している相手が本物のミステリーマスクではないと知っているのだろうか。いや、この場ではニセモノであっても関係ない。ファンの目がある以上、本物として接しなければならない。 「お願いだよー、ミステリーマスク。アレをやってよー」 突然、耳に飛び込んできた声に、私は足を止める。“アレ”とは、まさか……。 「ミステリーボーズをやってー!!」 TVの宣伝の力は恐ろしいものがある。先ほどのPR番組で披露した“ミステリーポーズ”が、すでに浸透しているようだ。最初は一人の声だったが、すぐにこの場のほとんどの人々の大合唱に変わった。 「ミステリー、ミステリー!」 「無理です。選手は急いでますから、すみません」 若宮がそう叫んで私の背中を押す。促されて数歩を進んだ私だが、ひとつの決意と共に立ち止まった。 「どうしたんです?」 若宮が避難する視線を浴びせてきた。しかし、私は声援に右手を上げて応える。確かに私は大塚の代理である。ミステリーマスクではない。だが、この場ではミステリーマスクであるのだ。少しでも彼のためになることをする義務がある。 「みんな、ありがとうございます」 私の叫びに、周囲が手を上げて喜ぶ。大塚でもこの場では同じ事をしたはずだ。ならば、私はそれに従わなければならない。 「応援してもらえたので、今日は絶対に勝ちます。では、いきますよー!」 私は3本の指を立てた右手を上げる。 「3、2、1、ミステリー!!」 これだけの大人数でのミステリーポーズは壮観だった。 ● 「ビックリしました石岡先生。おイヤだと思っていたのに意外にノリノリなんですね」 若宮の言葉には皮肉が含まれていた。ファンの要望に応えて路上でミステリーポーズをしたことが気に入らないらしい。あの後、ようやくハイヤーに乗り込んで、会場である新世紀アリーナに向かっている最中だ。 「いえ、あの…自分でも何がなんだかよくわからないんです」 本心だった。ただ確実に言えることは、石岡和己では、あそこまで振舞うことは出来ないということだ。ミステリーマスクと言う自分ではない存在だったからこそ、恥ずかしい気持ちが軽減された。 「ファンサービスの悪い選手と思われたら、大塚君に悪いですから……」 「今後は、ああいう場合、我々の指示に従ってください。群集心理は恐ろしいものです。不測の事態を招かないとも限りませんからね」 「わかりました。すみません」 バツが悪くなった私は車窓から外を眺めた。大晦日の町には、ゆったりとした時間が流れている。そのとき、携帯電話が鳴り出した。着信相手の表示を見た私は、上体を起こす。 「大塚君からです」 「えっ、ホントですか」 珍しく若宮が感情のこもった声を出す。私はすぐに電話に出た。 「もしもし、石岡ですけど……」 「ああ、先生。遅れてすみません」 間違いなく大塚の声だった。たった一晩だけなのに、ずいぶん長い間、彼の声を聞いていなかった気がする。 「心配してたよ。腰はどうなの?」 「本当にすみません。師匠が出かけていて、なかなかお会いできなかったものですから。でももう大丈夫です。しっかりと手当をしてもらいました」 「じゃ、じゃあ……」 「これから名古屋を立ちます。もうしばらくお待ちください」 「うん。待ってるよ」 私の声も弾む。現在、2時半。イベントの開始時間は午後7時。名古屋から駆けつけるには十分すぎる時間である。 |
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