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「石岡君、テレビCMに出演する」1 優木麥 |
| 「いわゆるコラボレーションによるCMなんですよ」 西城は落ち着かないのか、それとも無意識の癖なのか、ひっきりなしにニューヨーク・ヤンキースのベースボールキャップのツバに触っている。 「ご存知のようにコラボレーションとは、共同制作の意味です。つまり、複数でカンカンガクガクやっていいものを作りましょうという話。それが今、コマーシャルの世界でもトレンドになりつつあります。コラボレーションCMというのは、2つ以上の企業が同じ1つのCMで、それぞれ自社の商品を宣伝する。1社で普通にコマーシャルを作るよりも話題になるし、予算も大きくなるので、協力してもらえる著名人の方のランクも上がるんです。石岡先生のように…」 最後の私の名前を意識的に大きな声で言った西城は、計算された笑顔をこちらに向けた後、私と目が合った瞬間に照れ臭そうに顔を逸らした。こういうひとつひとつの仕草が、彼のCMに出演するアーティストなり、文化人なりのプライドをくすぐって、テンションを上げ、撮影現場に好影響を及ぼすのだろう。しかし、私に関しては、その効果は期待できない。むしろプレッシャーをかけられているようで、早く帰りたくなってしまう。緊張してミスを連発する逆効果さえ誘発しかねない。もっとも、西城の言葉があろうとなかろうと、私の場合は今すぐにでもキャンセルして帰宅したい気分だし、NGを量産することも予想の範ちゅうだ。 「それにしても、石岡先生ほどの著名な方が今回初のCM出演とは、意外でした。いえ、その分、当社のCMをご快諾いただきまして光栄でなりません」 スーツ姿の初老の男が汗を拭きながら私に頭を下げる。彼は今回のコラボレーションCMに協力している一方の企業、外資系ビールメーカー「サドンバブル」の担当者である。 改めて考えてみるとミステリー作家がTVCMに出ている記憶はあまりない。私なりにその理由は三つほど挙げられる。まず第一に、一部の作家を除いてほとんどの作家は読者以外の層に顔が知られていないため、CMにおける宣伝効果が薄いことが大きいだろう。やはり、企業側も画面を見た瞬間に「あの人が出てる」と条件反射的に思えるレベルの有名人を選ぶことは想像に難くない。 第二の理由は、利害の不一致である。ミステリー作家というのは作品の中に大なり小なり「悪役」を設定しなければならない。あるいは「被害者」も設定しなければならない。その際、特定の企業とCM契約などしていれば、その企業のイメージダウンになるような表現は慎む必要が出てしまう。それは自由な創作活動に決して少なくないデメリットがあると判断するケースも多いのだろう。 さらに第三の理由だが、実はこれが一番大きいのではと密かに私は思っている。作家の多くは、恥かしがり屋だからだ。自分自身が前面に出て何かをしたり、公共の電波に流れることを良しとしない人たちが相当数いるものだと私は思う。そして、かくいう私自身もこの最後の理由のためにCM出演の話があっても断ってきたのだ。 では、なぜ私は今回の話に限ってCM出演を受けたのか。やり手CMプランナーの西城の依頼だったからではない。純朴で一途な壮年の必死の言葉があったためだ。 ● 「ブンゴボンゴ!」 私が馬車道の自宅で電話を取ったとき、受話器の向こうから聞こえてきたのは、奇妙な挨拶の言葉だった。いや、初めて耳にする単語である以上、挨拶の言葉なのかどうかも定かではない。異国の言葉なのか、それとも今のティーンエイジャーが交わす挨拶のように長い言葉を縮めて発しているのだろうか。「あけましておめでとう」を「あけおめ」と略すのと同じ形式なのかもしれない。そんなことを瞬間的にダラダラ考えていたら、即座に謎は解けた。通話相手が日本語を話し始めたからだ。 「どうですか、石岡先生。いい響きでしょう。ブンゴボンゴって?」 「はあ……たぶん…」 何がいいのかわからないが、なにが悪いのかもわからないので適当に相槌を打つ。 「やっぱりくり返しがベストなんですよ。ユニット名というのは」 「ユニット名…?」 「ああ、失礼しました。著名な石岡先生と会話が出来たので舞い上がっちゃっいましたよ。私はホロホロ堂のCMプランナーで西城と申します」 「はい。石岡です。えっ、CM…?」 私はその時点で厄介そうな話になる気がして、電話を切る理由を探していた。 「そうなんですよ。石岡先生、コラボレーションのCMの目玉を何にしようかとない知恵を振り絞って考えていたんですが、やっぱり日本人に訴えかけるものは演歌だと。演歌をCMタイアップ曲にして、しかも新しいユニットに歌ってもらえればセンセーショナル、ファッショナブル、ワンダフルな話題を呼ぶと思いましてね」 「ちょっと待ってください。その演歌を歌う新しいユニットというのは…」 悪い予感が心臓から噴出す気体だとすると、すでに私の体内に充満し始めていた。今にも肌を突き破って破裂しそうである。 「私の口から言わせるんですか。もちろん石岡和己先生と、演歌のニューウェーブ太田凡梧さん。その二人が組むからユニット名は『文豪凡梧(ぶんご・ぼんご)』。説明するまでもなく文豪は石岡先生を指し、その後に凡梧さんの名前が……」 「無理です」 「えっ、何がですか?」 西城は私の反応が予想外であったようで、少し狼狽していた。 「ぼくは文豪ではありませんし…」 「はあ、文士のほうがお気に召しますか。いや一応、候補には『文士凡梧(ぶんし・ぼんご)』も挙がってたんですが、やはり語呂がイマイチということで…」 「違います。ユニット名とか何とかではなくて、前提としてぼくはCMに出演するなんて考えたこともありませんし、ましてや演歌を歌うなんて想像も出来ません」 私は一気にまくしたてた。 「そ、そうですか。ポップスのほうがよろしかったでしょうか?」 「とにかく、CMのお話はお断りします。原稿の締め切りがありますので、失礼します」 珍しく私は一方的に電話を切った。そこまでしないと、何となく引き受けさせられてしまう恐れがあったからだ。西城には不快な思いをさせてしまったかもしれないが、私がCMに出演することで彼が味わう不快さに比べれば微々たるものだと思う。 西城の電話から数日後。私が近所にある馴染みの喫茶店に行くと、ドアを入ってすぐにマスターが私をカウンターに呼んだ。 「石岡先生、何かヤバいことに巻き込まれてませんか?」 声を忍ばせるマスターの様子は尋常ではない。 「どうしたんですか?」 「実は、昨日、着流し姿の男が『石岡先生の家を教えてくれ』って尋ねてきたんですよ。なんか風体もカタギの人間には見えないし、顔つきが非常に思いつめた感じだったんで、気になってたんです。もちろん、家を教えたりはしません」 「え、心当たりはないですけど……」 着流し姿の男が私を探している。その事実は私を不安にさせた。まさか、任侠映画のように、私に差し向けられたヒットマンなのだろうか。そう考え出したら、とても優雅に紅茶を飲む気分ではない。 「すみません、マスター。ちょっと今日は帰ります」 「それがいいですよ。何かあったら相談してください」 私はフラフラと喫茶店のドアを開けて外に出た。すると、待ち構えていた男がいる。 「石岡先生とお見受けしましたが」 低い声の方向を見ると、マスターの言葉通りの着流し姿の男が立っている。着流しとは、つまり男性の略式の和装。羽織・袴を着けずに長着をそのまま着ている。時代劇では、浪人者がよく着流し姿である。そして、現代では任侠関係者にその姿をよく見る。 「間違いございませんよね」 ズイズイっと迫ってくる着流しの男に、私は口も聞けない状態だ。 「石岡先生に折り入ってお頼みしたいことがあり、お待ちしておりました」 「ひっ、ひぃっ……」 私は腰を抜かしそうな精神状態である。今にも這いつくばって逃げ出したい。そもそも彼の顔に見覚えはない。まさか「折り入ってお頼みしたいこと」とは、「あなたのお命を頂戴したい」と言い出されるのではないだろうか。 「あの…あの……」 あまりの恐怖に口も耳も満足に働かなくなっている。自分の意志が言葉にならないし、相手の言葉もよく聴き取れない。 「先生……を頂戴……」 「ひぇっ…」 途切れ途切れに耳に入ってくる言葉は「あなたのお命を頂戴したい」なのか。 「たっ、助けて…」 私が必死の力で悲鳴を振り絞ろうとしたとき、着流しの男の体が動いた。 万事休すなのか……? |
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